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visual diary 📱📝 20250820

20 August 2025
1920年代のエコール・ド・パリ(パリ派)の代表的な画家として著名な藤田嗣治。
美しく輝くような、独自の乳白色を用いた作品を数多く発表しました。
その多くの作品に、私はちょっと享楽的な香りを感じてきました😃🍸

ただ、ここ数年、藤田が制作した「戦争記録画」をみる機会が重なって、印象が変わりつつあります。
画面いっぱいに広がるのは、ドラマティックで、緊張を孕んだ迫真的な構成と 精緻をきわめた克明な描写。
作品の前にしばらく立ち尽くしてしまうほどの迫力があります。
うめき声や すえた匂いまで漂ってきそうな臨場感もあり、その画力の凄みに圧倒されます。

なので、ここのところ、私の中には、ふたりの藤田嗣治が並んでいるような感じでした。



きょう、東京ステーションギャラリーで、『藤田嗣治 絵画と写真』展をみて、もうひとつの側面に出会いました。

幾度となく描かれた自画像。
繰り返し撮影され 世に広まっていった肖像写真。
そこには、絵画と写真によって、自らの像を丹念に築き上げていった画家の姿がありました。
「イメージ戦略に こんなにも注力していたの?」と、とても驚きました😳

藤田は、自画像や肖像写真の発表を重ねることで、〝Foujita〟というキャラクターを世の中に定着させたかったようです。
芸術家たちが群雄割拠して、個性を競い合った1920年代のパリでは、作品だけでなく、自分の装いと言動を印象づけることもたいせつだったのでしょう。

アンセル・アダムスやベレニス・アボットたちが撮影した肖像写真を鑑賞して、藤田が意図した通りに功を成して、〝Foujita〟の姿は人々の記憶に残るイメージとなり、その存在感を確実に拡張していったことを知りました。



このイメージ戦略を前にして、作品と自己の像の関係とか、表現と演出の境界について、あらためて考えさせられました。

類まれで 個性的な作品そのものが評価されるのは当然のこと。
と同時に、画家自身の表情や装い・言動もまた強く印象を残すのだと。

藤田は佇まいの効果をよく理解していて、絵筆と写真を駆使して〝Foujita〟という人物像を構築していた。
そのことが、この展覧会の構成を通して鮮明に伝わってきました🤓



〝Foujitaらしさ〟の追求・発信・伝播は、今の私たちの行いと地続きのものとしても 映ります。

イメージはあくまでも容れ物。
中身に確かな密度がなければ、効果は持続しないのでは?
発信だけが先行すれば、どれほど巧みに装っても、受け手にはすぐに見抜かれる。
信頼を得るということは、本業での充実した精度の高い構想と独自の表現にほかならない。
展示作品を鑑賞しながら、そのようなことを考えました。

藤田の場合も、熟慮した構想と表現の積み重ねがあったからこそ、イメージの演出が有効に作用して、多くの人々の記憶に残る〝Foujita〟という像が成立したのだと思います。

彼は、自画像や肖像写真を上手に活用して、自分の理想とする〝画家としての姿〟をブランディングしました。

けれども、多くの作品をみていると、それを支えていたのはセルフブランディングという言葉では捉えきれない、彼の時代の空気を読む嗅覚や、実行に移す器用さ、何度も重ねてきちんと実現していく粘り強さ。
そうした資質・背景こそが〝Foujita〟を確かなものにしていったのだと、今回の展覧会で深く心に残りました。

そして「つくろうとする像と、受け手に残っていく像。その差異は?」
「いま私たちがつくっているイメージは、時代を超えても残る批評の眼差しに耐えられるのかしら?」

そのような問いがこちらへ跳ね返ってきました。

#藤田嗣治
#art #photographicart #exhibition #tokyo

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