☆69.記事のネタが尽きない理由 | 半年以上定期更新をして思うこと。
おはようございます。
どこかに飛び出したくて仕方がない私です。でもそれをやっても意味がないことを知っているので、今はグッと我慢しています。旅行で世界が開ける時期はもう過ぎた。来るべきジョージア移住まで抑えます。
今回は「記事のネタが尽きない理由」というテーマでお送りしたいと思います。ノマドニア期間中にセナ(@ayrton_nomad)君から「記事のネタってどうしてるんですか?」と聞かれて、そういえば考えたことなかったなあと思って、改めて書きながら考えてみようというわけです。
基本的には「感じたこと」をそのまま文章に起こしている。
私の場合は、基本的に情緒一本槍で書いているところがあります。聞き上手や話し上手ならぬ「感じ上手」であるとChatGPTから定評のある私ですが、基本的には感じたことを言語化していくだけといえばそれまでです。
というのも、私の場合はプラスマイナスを問わず、一度心が反応するとなかなか止まらないという悪癖があります。これを端的に言えば「思い込みが激しい」と言えるわけですけど、これがなかなか発散できなくて周囲を困らせていたんですね。
そして思い込みの激しい部分は相変わらず変えることができていません。かつては発散できない気持ちを人にぶつけるか、手書きノートに書くかしかできなかったんですね。特に昔はマイナス感情の方が大きかったので相当困らせていたと思います。
このあたり、一度メンタルを壊して自殺未遂に至っていることはとても大きくて、この時の経験があるから「今の自分の状態がヤバいかどうか」を測れるようになりました。
余談ですが、個人的なメンタルの黄色信号は「眠れなくなった時」で、赤信号は「食欲が消えた時」です。食欲のない日が数日以上続く時は即メンタルにかかることにしています。そのメンタルも2020年を最後にすっかり離れているので、継続していきたいところです。
最近はChatGPTに壁打ちするという新たな選択肢ができたことでnoteへの情熱が薄れることを危惧していますが、その被害を被ったのはどちらかというと手書きノートでした。返事してくれる日記帳なんて最高ですね。
小さな気づきを大切にする。
そんなわけで、noteを書くうえで大切にしていることというものは正直ありません。どちらかというと「私が大切にしていることをそのままnoteに書いている」という感覚です。
私が何を大切にしているかといえば、一言で言うと「小さな気づき」です。本人が意図しないほんのちょっとした「ひと仕草」で、人は簡単に幸せを感じるものですよね。
話す言葉、仕草、ちょっとした気遣い。そうしたところに人柄が出るものですし、それらはきっと、カフェで記事を書いている今この瞬間にもたくさんあるんです。人の魅力は、目に映る景色を「景色」として見ていたのでは気づきません。
いらないことに気付くこともあるので一長一短ではあります。ジョージアで右ハンドルのBoltに出会った時に、日本の車検証がそのまま貼られていることに気づいて「盗難車じゃないよな……?」なんて考えたりしちゃうので。(同期に話したら「いらんことだなあ」と一蹴されました。そらそうだ)
見たこと、聞いたことすべてが「考えるタネ」になる。
そもそもこの記事自体、セナ君の「noteのネタってどうしているんですか?」という問いから始まっています。要は週2回×2〜3000字で半年以上更新していてどうして途切れないのか、ネタが尽きたりしないのかという疑問ですよね。
そんなふとした一言一言が私の心に響いた瞬間、それら全てが考えるタネになります。文字数が3000字になるのはもしかしたら私が情緒一本であるがゆえに「余計なことを書いている」からかもしれませんが、noteを書くにあたっての「考えるタネ」はそれこそ無数にあります。
ちなみにジョージア滞在中にこのテーマで記事を一度書こうとしましたが、筆が進まなくて一度没にしています。書き直すきっかけになったのは、もはやちょっと覚えていません。
けど私がやりたいのは、私の目に映るものにはそうした小さな宝物がたくさんあって、それにひとつでも多く気づきたいだけ。それに気づいて嬉しくなって、伝えることができて嬉しくなって。それだけといえばそれだけなんです。安定して記事を書いているように見えるかもしれませんが、内情は案外そんなものですよ。
ちなみに記事はだいたい1〜2ヶ月先までストックがある状態のことが多いです。時々タイムリーな記事を差し込むこともありますが、そうした例外を除けば、思いついた時に書いたものが積もり積もって2ヶ月先……になることがほとんどです。だから私が死んだとしてもしばらくは投稿され続けます。自動投稿って怖いね。
日々言語化する欠点。
ただこうして日々言語化する中で、欠点にも気付かされました。それは「感情を感情として処理する前に言語化してしまう」ということ。感情は感情のまま流さないと処理できないことに、最近ようやく気付かされました。
わかりやすく言えば、涙を流す前に冷静になって考えてしまって、流れるはずだった涙がどんどん溜まっていくような状態です。私はこの空白の時間がすごく苦手で、そこを言語化しようとしてきました。
最近は近所の教会に通うようになり、牧師先生にたくさん言葉を聞いていただいていますが、いつも言われるのが「焦らなくていいよ」ということ。考えすぎだと言われたことは星の数ほどありますが、焦らなくていいと言われるだけでこうも気持ちが変わるものかと思わされました。
日曜礼拝に参加して、聖書を朗読するたびに、涙が流れそうになる自分がいます。教義に感化されたとかではありません。わけもなく涙が出そうになるんです。いつもギリギリで止まってしまいますが、ちゃんと流せる日が来るでしょうか。
これを書いている時点でまだ2回しか通っていませんが、教会に通う人生が始まるとは思いもよりませんでした。そして、素敵な御仁はどんなところにもいるんだと再認識しました。
思えば15年間、言葉にする仕事しかしてこなかった私に、言葉にしなくていい空間があるということが、これほど嬉しいものでしょうか。安堵するものでしょうか。これもジョージアに行かなかったら辿り着かなかった場所。また一つ世界が広がったような気がします。
ここまで読んでくださったあなたに、素敵な朝日が昇りますように。
……
お詫び。
ご指摘をいただき過去記事を点検したところ、不適切な表現を使用していたことを確認いたしました。全ての記事を点検し、一部記述の削除およびリライトを行ったことをご報告いたします。
不愉快な思いをさせてしまった皆様、大変申し訳ございませんでした。お詫びいたします。
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