支援を受けずに乗り越えられたケアラーは、本当に支援が必要ではなかった?
現在、国では
子どもから大人に移行する18歳前後で支援が途切れることのないように支援の強化が進められています。
継続的な支援は大切なことだと思います。
子ども時代(〜17歳)にケアをしていた人が
18歳になったから、20歳になったからといって
「もう大人なんだから大丈夫」となるわけではありません。ケアが続いているなら尚更です。
では、
本当は支援が必要だったけど、支援を受けることができなかったケアラーはどうなるのでしょうか。
支援を受けなかった = 支援が必要なかった?
私は4歳のときにきょうだい児となり、度重なる家族の怪我や入退院でヤングケアラーとなりました。
料理に洗濯、掃除をしたり、病院へ行くこともありました。
子どもの頃の私は、
それを「ケア」とは思っていませんでした。
家族だからやるもの。
自分がやらなければならないもの。
それが当たり前だと思っていたので誰かに相談したこともない。私はこれまで支援を受けずに家族のケアをしてきました。
支援を受けなくてもケアをすることができるなら
支援を受ける必要はないのでしょうか。
私は、支援が必要か必要ないかの前に
支援を受けるという選択肢を知らなかった。
支援があること自体知らなかった。
相談していいと思えなかった。
家族のことを話していいのか分からなかった。
家族を悪く思われたくなかった。
自分が我慢すれば何とかなると思っていた。
そして何より、
自分が「支援される側」だとは思っていなかった。
だから、自分を削って生活を回すしかなかった。
子どもとして過ごすはずだった時間を削り、
進学や就職などの機会を諦め、自分の人生を後回しにして家族を支えてきた。
「継続的な支援」のその先へ
もし、誰かに相談できていたなら
支援があることを知っていたなら
私は子どもとしての時間を削ることはなかった。
支援を受けなかったのではなく、受けられる支援を知らなかった。その結果、自分自身を犠牲にすることで乗り越えた人もいるのではないでしょうか。
ケアには終わりが来るかもしれない。
けれど私たちの人生はそこで終わりではない。
これからも生きていかなくてはならない。
ケアを終えた後も生きるケアラーたちにも
再スタートのチャンスや機会が与えられるように。
ケアをしてきた日々をなかったことにしない。
そんな世界になったらいいなと思っています。
最後に
支援を受けずに乗り越えられたケアラーは、
本当に支援が必要ではなかったのでしょうか?
ここまで読んでくださった皆さん
あなたは、この問いについてどう考えますか?
「必要なかった」
「本人が助けを求めなかったのだから仕方ない」
と思う人もいるかもしれません。
反対に、
「支援を受けられなかっただけかもしれない」
「自分を犠牲にして乗り越えたのかもしれない」
と思う人もいるかもしれません。
どれが正解なのか、私にも分かりません。
正解はきっと一人ひとり違うものだと思います。
よかったら皆さんの考えをコメントで聞かせてください。

