『ストレイト・ストーリー』 トラクターの速度で、20年を
念願だった劇場での『ストレイト・ストーリー』鑑賞がようやく叶った。

『ストレイト・ストーリー』の名前を初めて聞いたのは高校生のときだった。2002年とか2003年くらいのこと。友人が映画好きの同級生からお勧めの1本を教えてもらったと言って、それが『ストレイト・ストーリー』だった。その友人も僕も寮住まいだったから、薦められても映画を観ることはできずに、何となくその名前だけが残っていた。
高校のうちはそのまま観る機会もなく大学へ進学し、しかし大学進学後もしばらく観ることはなかった。はっきりとは覚えていないが、おそらく大学4回生の頃だったと思う。いつものごとく夜の時間を持て余し、TSUTAYAに行ったらスタッフお勧めの映画として陳列されていた『ストレイト・ストーリー』のジャケットが目に入った。満天の星空に、素朴な「the Straight Story」の文字。そのときに、それが高校のときに名前だけ覚えていたあの『ストレイト・ストーリー』だと認識した。
家に帰って鑑賞。あまりにも感動して、僕は観終えてすぐにあの友人に電話した。
「おぉ、どないしたん?」
「高校のときにさ、Kから『ストレイト・ストーリー』ば薦められたって言っとったと覚えとる? 今日、たまたまTSUTAYAで見かけて初めて観てさ」
「あぁ、そやったなぁ。覚えてんで。まだ観てへんけど。そんで電話してくれたん?」
「そうそう。すげー映画だったわ。やけど高校生で『ストレイト・ストーリー』を薦めるKは凄かね」
「あいつほんま映画好きやったからなぁ。そぉか、そんなええ映画なんやぁ」
「観とらんとやったら観てみて!そういうことで、じゃあまた!」
突然に、興奮のまま電話したが、『ストレイト・ストーリー』のことを知った寮でのあの夜の続きのように話をした。6年一緒に過ごした友人であるから、いつだって久しぶりの感覚はない。互いに違った人生を歩んでいるが、それは高校の続きでしかない。
『ストレイト・ストーリー』が素晴らしい映画であることには違いないが、そこまで響いたのは、そのときの僕がまさに『ストレイト・ストーリー』と接続するようなものに囲まれていたからだと思う。
当時僕はゴルフコースで働いていた。最初の組がスタートする前に仕事を始め、仕事が終わるのは最後の組が終わって掃除を終えてから。最後の組が回るのはいつも陽が落ちる直前のタイミングだった。
ゴルフコースに出勤するとき僕は日が昇る時間に目覚ましをかけ、陽が落ちるのを見届けてから、もしくは帰りの車の中で陽が落ちていく様子を見届けながら帰宅していた。日が昇って落ちる周期と同じように生活をしていたのだ。
加えて、その2年前くらいからだったと思うが、4回生はもっともThe Bandを聴いていた時期だった。Levon Helmが『Dirt Farmer』をリリースして本格的に活動を再開していたタイミングでもあった。『Dirt Farmer』の世界観はまさに『ストレイト・ストーリー』と通ずるところがあったのだ。『Dirt Farmer』でも、まさに音の中にコーンフィールドが広がっている。そしてThe Bandの『King Harvest (Has Surely Come)』でも。
それらと呼応するようにスタインベックやヘミングウェイなどの小説を読んでいた時期でもあった。
ゴルフコース、『Dirt Farmer』、スタインベック…。そのとき接していたもの全てが『ストレイト・ストーリー』と通じていたから、なおのこと響いたのだろう。『ストレイト・ストーリー』に衝撃を受けたあの夜のことは今でもよく覚えているし、以来『ストレイト・ストーリー』は僕にとって特別な映画となった。
前置きが長くなってしまった。初めて観て以来、この『ストレイト・ストーリー』を劇場で観ることができたらどんなに素晴らしいだろうと思っていたが、今回4Kリマスター版となったことで遂に劇場で観る機会を得たわけだ。
大好きな映画ではあるが、『ストレイト・ストーリー』を最後に観たのはいつのことだろう。1年は観ていない、もしかしたら3年くらい経っているかもしれない。だから今回劇場で観たのも久しぶりの鑑賞ということになる。
この映画はとてもゆっくりだ。セリフは少なく、あまり流れることのないBGMもスローテンポ。ロードムービーではあるが、車での移動ではなくトラクターだからロードムービーにしては景色の移動が非常にゆっくり。歩いているのとほぼ変わらない。見渡す限りのコーンフィールドで、見える景色も変わりがないように見えるが、風により畑が海のように波打つ、その静寂の中の変化がとても美しい。
エリザベス ストラウトの『私の名前はルーシー・バートン』に出てくる下記の文章とも繋がるところがある。
道の片側が大豆畑で、くっきりした緑色が広がり、うねうねと続く畑を明るく染めていた。もう一方の側はトウモロコシ畑で、まだ私の膝丈ほどにも育っていないが、いまは明るい緑色が、これから濃さを増すだろう。しなやかな葉がぴんと張っていく。(ああ、幼かった日のトウモロコシ、おまえが私の友だった! 何列もならぶ間を抜けて、走って、走って、夏に一人で遊ぶ子供ならではの走り方で、畑の真ん中に一本だけ立っている木まで走った──)私の記憶の中では、あのときの空は曇っていて──はっきりしない空なのに上昇するように見えていて──上がりながら明るくなるという美しい空が、その曇り空の色にわずかに青を混ぜたようで、木々は緑の葉をたっぷりと繁らせていた。
アルヴィンは多くを語らないが、その言葉には重みがある。一つ一つの言葉が示唆に富んでいる。映画を観ながら感じたのは、短い言葉のそれぞれが詩のように映画全体に行き渡るこの余韻は、絵本のようだということだった(村上龍は、この映画をもとに絵本のような本を書いている)。
コーンフィールドの美しさや、アルヴィンの目の力強さもそうだが、劇場で観ていることの効果をもっとも強く感じたのは、この映画でも印象的なシーンの一つ、トラクターが坂を猛スピードで下っていく場面だ。映画の大画面と下るときに地面を擦るトラクターの轟音によって一層ハラハラとし、恐怖を感じた。
この映画のテーマは、家族愛だったり、仲違いした人間関係の中での許しだとは思うが、仲違いした兄弟がもう一度元に戻るためには、アルヴィンにとってはトラクターで、一人の力で移動したというのは意味があったのだろう。映画には描かれなかったが、1ヶ月以上の時間をかけながらゆっくりと移動する間に、アルヴィンがライルのことを思う時間が膨大にあったことだろうし、その溢れる想いはアルヴィンが到着したときの万極まった「ライル!」と呼びかける言葉にも表れていた。だからライルは、その「ライル!」の言葉へ「アルヴィン!」と応答したのではなかったか。そしてその後トラクターを見てライルはアルヴィンの覚悟を察する。
先日まで観ていた『サムバディ・サムウェア』と通ずるところもあったように思う。何にしろ『サムバディ・サムウェア』 にも出ていたBarbara Robertsonがこの映画には出演しているのだ。『サムバディ・サムウェア』は歌の先生役だったBarbara Robertsonは、何度も鹿をひいてしまう女性役として出てくる。
アルヴィンは家族を枝に喩え、1本の枝はすぐに半分に折ることができるが、その折った枝を重ねて折ろうとすると途端に難しくなる。家族はそのようなものだと。『サムバディ・サムウェア』でのサムの家族のことを思い浮かべたが、家族だけでなくジョエルなどの友人だって束になることはあるだろう。
「年の近い兄弟というのはいいものだ。自分を一番よく分かっている。」という言葉も、同じくかつては仲違いしていたサムとトリシアの関係を思い出すところがあった。
もっとも『サムバディ・サムウェア』に限らず、アルヴィンの言葉は普遍的で、あらゆる家族に当てはまることではあるだろうが、そりゃそうだろうと素通りしてしまうような言葉でもあると思う。普段の生活の中で、アルヴィンの言葉が腑に落ちることはほとんどないのかもしれない。
劇場で観ることができてよかった。
とりあえず、またあの友人に電話しようと思う。高校のときのあの夜の続きとして、また『ストレイト・ストーリー』の話をするために。
