『ストレイト・ストーリー』から『コーダ あいのうた』まで|映画と音楽が救ってくれた1週間(週記 2026/1/26-2/1)
今週は、立て続けにドラマや映画を観た。『サムバディ・サムウェア』のシーズン2と3を一気に駆け抜け、20年来の念願だった『ストレイト・ストーリー』の劇場鑑賞を果たし、『コーダ あいのうた』で週を締めくくった。それらはどれも音楽と家族、そして人と人との関係性を描いていて、偶然ではなく今の自分が求めているものだったのだと思う。祖母が亡くなってから書くことで悼んできたこの1ヶ月、場所の記憶についても考えさせられた1週間だった。
しかし今週は書いたなぁ。引用もあるが、13,000字超え。1週間合計であれば、これまで書いてきた日記でも最も長くなったかもしれない。
2026/01/26(月)|朝活は最低1時間必要らしい
今日から娘のクラスも学級閉鎖が終え、再開。ということで今朝から朝活がまた始まるわけだが、昨日は友だちと夕方まで遊び疲れていた上に、先週からの自宅待機で起きる時間が遅くなっていたこともあってか、6時のアラームでは目が覚めなかった。妻は何度も娘に声をかけていたのだけれど。6時半にもう一度アラームが鳴り、今度は僕が目覚め声をかける。何度か声をかけてようやく起きたが、体をむくっと起き上げるや娘は「いまなんじ?」と尋ねてき、6時半であることを伝えると、「5時半じゃなくて6時半?え?......え?…...もう30分しかないじゃん!............ママぁ!!!!」と号泣しながらトイレへ向かった。これまでもわかっていたことだが、朝活の時間は最低1時間必要で、30分だと絶望するらしい。朝から娘の絶叫が響き渡った。
昨日からまた首の痛みがあり、今日になってまた本格的に痛くなっている。また寝違いのようになって、首が回しづらい。歩くのも結構辛いくらい。寝具を新調して順調だと思っていたのだけれど、どうしたことだろう。一度良くなったが、去年の年末から痛みが出ているから一度病院に行った方がいいのかもしれない。気温が下がったときに痛みが出ているから寒さも関係しているのだろうか。うーん、首の痛みは逃がしようがなく、今日はしんどい。
昨日、『サムバディ・サムウェア』のシーズン2を見終えた。もったいないと思いながらも、止めることができずに一気に駆け抜けた。
シーズン2もまたサムとジョエルの友情が主軸としてありながらも、家族の物語としての要素が強くなっている。特に反発し合っていた妹のトリシアとの関係が縮まったように見え、そのことでもまたいざこざは起こりもするのだが、それは関係性が変わったがゆえのこと、家族であっても、家族だからこそ、少しでも関係性が変わればそれは人生を揺るがすような出来事も招く。家族は面倒だ、とサムは言っていたが、それはどんなに仲の良い家族であってもそう感じることはあるだろう。
サムとトリシアは全く性格が違っていて、正反対のでところもあるように見える。妹の方がずっと社交的だ。シーズン1では正反対がゆえに反発し合っていたところもあるように見えたが、シーズン2では正反対さが上手い距離感を保っているようだ。社交的な弟を持つ僕はより一層サムに与するところがあって、とはいえ僕の場合はサムとは違って弟と喧嘩をすることはないのだけれど、小さい頃から正反対の兄弟として育ってきて、陰の兄・姉の気持ちがわかる。サムの何か自分にとって許せないことがあったときにそれに意固地になって関係性を破壊してしまうところとかも本当にわかるわぁと、わかってはならんのだろうが、でもわかるわぁと反省とともに、胸がズキズキしながら観ていた。マイルールに縛られるのだ。
しかし、シーズン2もやはり素晴らしく、このドラマのことがより一層好きになった。シーズン1でお気に入りの人物だったエドがその存在感は濃く残したまま、俳優のMike Hagertyが亡くなったからもう目にすることができないのが残念でならないが、いつだってあのはにかみ顔が目に浮かんでくる。
新登場人物であるブラッドもまた好人物だ。おじさんになっても気にせずに歌を習い、自分があまり上手ではないことを認識しながらも、気にしないでいいのだ、自分が楽しければいいのだと謳歌しているところがまたいい。最高だ。
ブラッドの歌や、サムの歌もそうだが、シーズン2でも引き続き音楽はこのドラマの重要な要素である。音楽はどれだけ人生に彩りを与えてくれることだろう。
喜びだけでなく、ときには笑いも、苦しみも、戸惑いも、怒りだって生み出すことがある。ある意味では音楽は恐ろしいものでもあるのかもしれない。だが、シーズン2の最後の演奏を観て胸がいっぱいになって、音楽最高!となる、それがこのドラマの最大の魅力だと思う。
2026/01/27(火)|美しい友情と音楽の魔力 『サムバディ・サムウェア』
『サムバディ・サムウェア』のシーズン3まで全て観終えた。
シーズン2から既に関係性は良好になっていたが、サムと妹のトリシアの関係性はより親密になり、家族であると同時に友人のような関係になっている。一緒にいる時間が多くなり、それまでであればジョエルと一緒にいたであろう時間をトリシアと過ごすサム。サムにとっても、トリシアにとっても、お互いがお互いを必要としているようだ。それはジョエルが新たな生活を始めたことも関係していることではあるが、共通の喪失を抱えた姉妹が、2人とも冗談ばかりでクソほど口が悪いけれど、一緒の時間を過ごすことでともに励まし合いながら、生活をポジティブなものにしようとしているように見える。
シーズン3だけを観てもきっと楽しめるだろうが、シーズン1から観続けただけに、シーズン3の2人のやり取りを見るだけでグッとくるものがある。
周囲の環境が変わり、1人寂しさを感じてることもあるサムは、寂しさを埋めようと新しいことに挑戦するが、うまくいかないことも多い。が、サムにはジョエルもいるし、フレッドもいる。ジョエルのパートナーのブラッドも、サムといい友人関係を築けている。そしてもちろんトリシアも。
1人でいることの寂しさはふとしたときに訪れるものだが、40歳を超えてこれだけの友人に囲まれ、愛されていることはどれほど幸福なことだろうか。ジョエルはもはや友人以上の存在のようだ。ジョエルもサムも、家族や他の友人、そしてパートナーにでさえも見せることができないようなことも見せ合える。美しい友情。
シーズン1を観たときにはサムがバンドを結成でもして、音楽によって人生がどんどん変わっていくのだろうとも思ったが、そうはならなかった。ジョエルと出会ったことで音楽が自分にとって大切なものであることに気づきはしたが、サムの音楽のつきあい方は想像していたよりもずっと緩かった。だが、時折出てくる音楽が本当に素晴らしい。
ブラッドとともにジョエルへ向けて歌った愛の歌。ブラッドはジョエルのまなざしの素晴らしさを歌うが、僕が感じたのはブラッドのまなざしのことである。ジョエルは表情豊かで、そのまなざしに僕もドラマ中何度も感動したけれど、ブラッドのそれだって控えめながらも優しさと人への敬意に溢れたものだ。特に人の話に耳を傾けることのブラッドのまなざしは全てを受け入れてくれるような慈愛に満ちていて、そのまなざしを向けられた人は安心してブラッドに話をすることができるだろうと思った。
トリシアとサムがふざけ合って歌った夜もまた印象的だった。きっと2人は子どもの頃から似たような曲を聴いて過ごしたことだろうが、2人が声を揃えて同じ歌を歌う姿には2人の子どものときの姿がそのまま見えてくるようだった。そうだ、このドラマではみんないい年ではあるが、誰もが子ども心を失っていない。
そして友人に囲まれてカラオケの小さな舞台に立って歌う圧巻のサム。カラオケにジョエルの伴奏がついただけではあるが、とても心を揺さぶられ、感動する。バーについているカラオケだからその歌は外向けにはなるのだけれど、しかし歌いながらサム自身も乗ってきて、とてもジューシーに際どくなってくる。が、それがまたいい大人たちを盛り上げるのだ。サムが歌うときは、たかが外れて感情が爆発し、サムが人付き合いで悩むのが嘘のように人との距離が近くなる。それも歌の魔力、音楽の魔力なのだろう。
シーズン3では新しい人物、アイスランドが出てくる。最初はサムもトリシアも怪しげに思っていたアイスランドだが、それはアイスランドがぶっきらぼうで近寄りがたい雰囲気を出していて、感情をあまり表に出さない人物だからだ。しかしサムにはアイスランドと似たところがある。徐々にサムはアイスランドと打ち解け、関係が発展していく。シーズン3では最後まで描かれなかったし、実際のところどうなるかはわからないが、たっぷりと想像の余地を残してくれた。
アイスランドはサムがかつて過ごした農場を借りているが、アイスランドはサムの家族が残した写真をそのままにしている。アイスランドはその写真から物語が思い浮かぶからそのままでいいのだという。サムがそれぞれの写真を指しながら、その人物はどんな人物と聞いてアイスランドが答えるシーンもまた印象的だった。
シーズン3まで一気に観たが、本当に素晴らしいドラマだった。1話30分のこのドラマはまたたびたび見返すことだろう。シリアスになりがちなテーマを扱いながらも笑いあり涙あり、常にリラックスした状態で観られる。かと思うとサムの歌う姿にガツンとやられて、酒をがぶ飲みしたくなる。
この時期に観られたこともまたよかった。本は読んだ場所やタイミングを覚えていて、本を読んだシーンと一緒に思い返すことがたびたびあるが、このドラマもそうなりそうな気がする。
2026/01/28(水)|書くことで悼む
娘が硬筆の県展候補に選ばれたらしい。クラスで2人選ばれたうちの1人とのこと。2月上旬には入選するかどうかが決まるが、候補に選ばれただけでも凄い。ただただ家で日々の宿題を頑張った結果で、納得いかずに泣きながら宿題をすることもあるが、真面目に取り組んできたことで上達していったのだろう。
最近は書くことが殊に楽しい。
楽しいというのとはまた違うかもしれないが、書くことたびにふと去来する何か、必ずしも訪れてくれるわけではないが、訪れたしても捕えられるとも限らないその何かを偶然手にするあるたびに、書く習慣があって良かったと思う。それは特に祖母が亡くなったあとに祖母のことを書くことが増えるにつれ、祖母との出来事だけでなく、祖母の表情やちょっとした仕草、言葉を思いがけず思い出した。
間もなく四十九日を迎えようとはしているが、この期間、書くことで祖母を悼むことができたように思う。やはりそれは楽しいことでもあった。祖母はいなくなったが、思い返したそれらのことは美化せずともいずれも良いもので、祖母からの愛を感じるものだった。
日によって変わるが、毎日の日記も長くなり、1週間分の日記をまとめてnoteにあげるたびに1万字近く書いていることに気づき、あぁ今週も多く書いてきたも思う。書くことは自己満足でしかないが、今年に入ってから書いていたことは気に入っている内容が多い。今年出す本には、そのままというわけにはいかないだろうが、ここ最近書いたばかりのことをいくつか入れたいと思っている。
祖母の葬式は仏教葬だったが形式だけのもので、少なくとも僕は特定の信仰する宗教は持たない。
友人の中には深く信仰する宗教を持つ者もいて、彼らの話を聞くと祈る対象があればと感じることもあった。だが、文学がそばにあってよかった、音楽がそばにあって良かったと思う。そしてそれらを編み込みながら書くことの意味を感じられることは書く習慣があって良かった。
私が本好きだと知った先生が何冊か譲ってくれた。大人向けの本もあったが、どれも読んだ。ハイスクール時代になっても、暖かい校内で宿題を終えてから本を読む習慣は続いた。読めば得るものがあった。そういうことを言いたい。私の孤独感がやわらいだ。そういうことを言いたい。そして私も作家になって人の孤独をやわらげたいと思った! (これは心の中だけの秘密だった。あとで夫との出会いがあってからも、すぐには言わなかった。自分でさえ本気になりきれなかった。でも本気。心の奥の奥のずっと奥の秘密としては本気だった。私は書く人間だと思っていた。どれだけ大変なことなのか、まだわかっていなかった。でも、わかっている人なんかいない。わからなくたってかまわない)
葬式のことを振り返ることもある。
葬式でのお経は長かった。2人お坊さんが来てお経を唱えてくれたのだが、お通夜のときも葬儀のときにも脇導師の人が叩く木魚が叩いているうちに横にずれてきて、とても重そうなそれが落ちやしないものかとヒヤヒヤした。
お通夜のときにはいなかった母は葬儀の時には僕の横に座っていて、葬儀が終わるやいなや「木魚が落ちてこないかヒヤヒヤしたわ。元に戻してやろうかと何度思ったか」と僕に言ってきて、あぁ一緒のところを見ていたのだと少しおかしくなった。
葬儀はいくら悲しくても、申し訳ないとは思うが、ときにフッと笑いそうになる瞬間があるものだ。
緊張と緩和なのか知らないが、母方の祖母の葬儀のときも悲しくて仕方なくて号泣していたのに、お経のリズムが変わって旋律がついたときと、祖父が喪主の挨拶中に突然熱唱し始めたときには笑いを堪えるのに必死だった。
ふるさとのお墓に入るとき
寺でお経があげられた
僧二人 揃いも揃った音痴であって
朗々と声張りあげればあげるほど
調子はずれて収拾つかず
集まった親族は笑いをこらえるのにも苦しむ
く く く く
切ない鳩のような声が洩れ
さざなみのようにひろがってゆく
さすがに私は笑えないが
同情は禁じえない
日本海に面した海のみえる寺
子供の頃からあなたの慣れしたしんだ寺
きけば僧の一人は中学時代の先輩とか
こんなお経はめったに聴けるものじゃございません
なによりも威風堂々がよろしくて
なつかしいひとびとの忍び笑いにつられて
いちばん笑ったのは
音感の鋭いあなただったかも……
そんな姿が見えるようで
「なんとも不謹慎なことでした」
「失礼をば……」
あとで皆に謝られたけれど
「いいえ、ちっとも…….」
ひぐらしがいい声で鳴いていた
この1ヶ月、茨木のり子の『歳月』を繰り返し読んでいるが、どのページにもこの1ヶ月に感じたことの端々が織り込まれているように思われる。
2026/01/29(木)|20年越しの『ストレイト・ストーリー』
念願だった劇場での『ストレイト・ストーリー』鑑賞がようやく叶った。

『ストレイト・ストーリー』の名前を初めて聞いたのは高校生のときだった。2002年とか2003年くらいのこと。友人が映画好きの同級生からお勧めの1本を教えてもらったと言って、それが『ストレイト・ストーリー』だった。その友人も僕も寮住まいだったから、薦められても映画を観ることはできずに、何となくその名前だけが残っていた。
高校のうちはそのまま観る機会もなく大学へ進学し、しかし大学進学後もしばらく観ることはなかった。はっきりとは覚えていないが、おそらく大学4回生の頃だったと思う。いつものごとく夜の時間を持て余し、TSUTAYAに行ったらスタッフお勧めの映画として陳列されていた『ストレイト・ストーリー』のジャケットが目に入った。満天の星空に、素朴な「the Straight Story」の文字。そのときに、それが高校のときに名前だけ覚えていたあの『ストレイト・ストーリー』だと認識した。
家に帰って鑑賞。あまりにも感動して、僕は観終えてすぐにあの友人に電話した。
「おぉ、どないしたん?」
「高校のときにさ、Kから『ストレイト・ストーリー』ば薦められたって言っとったと覚えとる? 今日、たまたまTSUTAYAで見かけて初めて観てさ」
「あぁ、そやったなぁ。覚えてんで。まだ観てへんけど。そんで電話してくれたん?」
「そうそう。すげー映画だったわ。やけど高校生で『ストレイト・ストーリー』を薦めるKは凄かね」
「あいつほんま映画好きやったからなぁ。そぉか、そんなええ映画なんやぁ」
「観とらんとやったら観てみて!そういうことで、じゃあまた!」
突然に、興奮のまま電話したが、『ストレイト・ストーリー』のことを知った寮でのあの夜の続きのように話をした。6年一緒に過ごした友人であるから、いつだって久しぶりの感覚はない。互いに違った人生を歩んでいるが、それは高校の続きでしかない。
『ストレイト・ストーリー』が素晴らしい映画であることには違いないが、そこまで響いたのは、そのときの僕がまさに『ストレイト・ストーリー』と接続するようなものに囲まれていたからだと思う。
当時僕はゴルフコースで働いていた。最初の組がスタートする前に仕事を始め、仕事が終わるのは最後の組が終わって掃除を終えてから。最後の組が回るのはいつも陽が落ちる直前のタイミングだった。
ゴルフコースに出勤するとき僕は日が昇る時間に目覚ましをかけ、陽が落ちるのを見届けてから、もしくは帰りの車の中で陽が落ちていく様子を見届けながら帰宅していた。日が昇って落ちる周期と同じように生活をしていたのだ。
加えて、その2年前くらいからだったと思うが、4回生はもっともThe Bandを聴いていた時期だった。Levon Helmが『Dirt Farmer』をリリースして本格的に活動を再開していたタイミングでもあった。『Dirt Farmer』の世界観はまさに『ストレイト・ストーリー』と通ずるところがあったのだ。『Dirt Farmer』でも、まさに音の中にコーンフィールドが広がっている。そしてThe Bandの『King Harvest (Has Surely Come)』でも。
それらと呼応するようにスタインベックやヘミングウェイなどの小説を読んでいた時期でもあった。
ゴルフコース、『Dirt Farmer』、スタインベック……。そのとき接していたもの全てが『ストレイト・ストーリー』と通じていたから、なおのこと響いたのだろう。『ストレイト・ストーリー』に衝撃を受けたあの夜のことは今でもよく覚えているし、以来『ストレイト・ストーリー』は僕にとって特別な映画となった。
前置きが長くなってしまった。初めて観て以来、この『ストレイト・ストーリー』を劇場で観ることができたらどんなに素晴らしいだろうと思っていたが、今回4Kリマスター版となったことで遂に劇場で観る機会を得たわけだ。
大好きな映画ではあるが、『ストレイト・ストーリー』を最後に観たのはいつのことだろう。1年は観ていない、もしかしたら3年くらい経っているかもしれない。だから今回劇場で観たのも久しぶりの鑑賞ということになる。
この映画はとてもゆっくりだ。セリフは少なく、あまり流れることのないBGMもスローテンポ。ロードムービーではあるが、車での移動ではなくトラクターだからロードムービーにしては景色の移動が非常にゆっくり。歩いているのとほぼ変わらない。見渡す限りのコーンフィールドで、見える景色も変わりがないように見えるが、風により畑が海のように波打つ、その静寂の中の変化がとても美しい。
アルヴィンは多くを語らないが、その言葉には重みがある。一つ一つの言葉が示唆に富んでいる。映画を観ながら感じたのは、短い言葉のそれぞれが詩のように映画全体に行き渡るこの余韻は、絵本のようだということだった(村上龍は、この映画をもとに絵本のような本を書いている)。
コーンフィールドの美しさや、アルヴィンの目の力強さもそうだが、劇場で観ていることの効果をもっとも強く感じたのは、この映画でも印象的なシーンの一つ、トラクターが坂を猛スピードで下っていく場面だ。映画の大画面と下るときに地面を擦るトラクターの轟音によって一層ハラハラとし、恐怖を感じた。
この映画のテーマは、家族愛だったり、仲違いした人間関係の中での許しだとは思うが、仲違いした兄弟がもう一度元に戻るためには、アルヴィンにとってはトラクターで、一人の力で移動したというのは意味があったのだろう。映画には描かれなかったが、1ヶ月以上の時間をかけながらゆっくりと移動する間に、アルヴィンがライルのことを思う時間が膨大にあったことだろうし、その溢れる想いはアルヴィンが到着したときの万極まった「ライル!」と呼びかける言葉にも表れていた。だからライルは、その「ライル!」の言葉へ「アルヴィン!」と応答したのではなかったか。そしてその後トラクターを見てライルはアルヴィンの覚悟を察する。
先日まで観ていた『サムバディ・サムウェア』と通ずるところもあったように思う。何にしろ『サムバディ・サムウェア』 にも出ていたBarbara Robertsonがこの映画には出演しているのだ。『サムバディ・サムウェア』は歌の先生役だったBarbara Robertsonは、何度も鹿をひいてしまう女性役として出てくる。
アルヴィンは家族を枝に喩え、1本の枝はすぐに半分に折ることができるが、その折った枝を重ねて折ろうとすると途端に難しくなる。家族はそのようなものだと。『サムバディ・サムウェア』でのサムの家族のことを思い浮かべたが、家族だけでなくジョエルなどの友人だって束になることはあるだろう。
「年の近い兄弟というのはいいものだ。自分を一番よく分かっている。」という言葉も、同じくかつては仲違いしていたサムとトリシアの関係を思い出すところがあった。
もっとも『サムバディ・サムウェア』に限らず、アルヴィンの言葉は普遍的で、あらゆる家族に当てはまることではあるだろうが、そりゃそうだろうと素通りしてしまうような言葉でもあると思う。普段の生活の中で、アルヴィンの言葉が腑に落ちることはほとんどないのかもしれない。
劇場で観ることができてよかった。
とりあえず、またあの友人に電話しようと思う。高校のときのあの夜の続きとして、また『ストレイト・ストーリー』の話をするために。
2026/01/30(金)|場所もやはり記憶である
夕方から散髪。次の散髪でパーマをかけてもらう予定なので長さをある程度残してもらって量だけすいてもらった。かなりボリューミーでうざったくなっていたので、量を少なくしてもらっただけでもかなり快適。
いま通っているのは、もともと通っていた美容院から独り立ちされたところなのだが、そのもともと通っていた美容院の名前も内装が間もなくガラッと変わると聞いた。以前までの雰囲気は残らずに全く違う装いになるだろうとのことだった。元の美容院から引き継いだという椅子が置かれてあったが、それは待ち合いで使われていた椅子で、僕もかつて何度も座ったものだった。
福岡に住むことが決まって最初におこなったことが美容院探しだった。その頃は、というのか今もそうだけれど、こざっぱりとした場所が少し苦手で、そうではないところ、つまりは無機質な感じではなくて、でもある程度オシャレで、かつできればクラシックな感じで……と厳しめの条件で探していたのだが、そんな中でその条件にぴったり合うどころか、それをさらに超えるまさに理想的な夢のような空間を提供していたのが元々通っていた美容院だった。それはオーナーがそういう趣味を持っていたところがもちろん大きく、初日に美容院に入ってオーナーと話すと音楽の趣味も似通ったところがあってどんどん話が合い、おまけに最初に美容院に入ったときにかかっていたのがThe Bandの『Music From Big Pink』で、美容院の椅子に座りながら一人感動していた。そのとき担当してくれたのが今通っている美容院の人で、その美容院の雰囲気も元の美容院と似ているところがある。
オーナーは僕が福岡に引っ越してきたばかりであることから、その初日にいろんな店を勧めてくれた。それらの店を中心に僕の福岡での生活はまわっていくようになり、今でこそそれらの店に行く機会は少なくなったものの、元の美容院含めてどれもが今でも福岡で一番好きな場所だ。それらの場所を、オーナーは僕と話した音楽から探って勧めてくれたようで、そのオーナーにはいくら感謝してもしきれない。美容院でオーナーに会わなければ、僕の福岡での生活はまるで違ったものになっていただろう。
その美容院は一言でいえば昔のアメリカンな雰囲気ではあったが、家具、調度品どれもがこだわって厳選されたものであることが、店に入ってすぐに分かる。若干不揃いの、木の板の床は歩くたびに軋み、その軋む音がまた好きだった。2階には洋書や音楽関連の本が収納された本棚があり、それももちろんオーナーの所有物だった。美容院らしからぬ物の多さだったが、それがアンチミニマルな僕の価値観とも合っていて、美容院に行くことが毎月の癒やしになっていた。本当に好きな場所だった。
オーナーが亡くなってもう10年近く経つ。亡くなってからもそのままの名前と装いのままこれまで続いていたのだけれど、とうとうリニューアルすることになったとのこと。新オーナーになってからもそのままの形でこれまで続けてくれていたのだからそれだけで感謝ですよ、と担当の美容師は言っていたけれど、本当にその通りだ。
美容院に通わなくなってからも、美容院の近くを通るたびに美容院のあのクラシカルな雰囲気が周りにまで及んでいるように思えて、その近くを歩くだけでも嬉しくなった。福岡に引っ越してきた頃、激務で休日も少なかったが、休みの日には美容院に行く用事がなくとも美容院近くのカフェに行って本を読むのが楽しみだった。何度あの通りを通ったことだろうか。
美容院に名前も装いも変わることは、福岡の生活が始まるきっかけとなった最も好きな場所がなくなってしまうことは至極残念ではあるが、なくなったとしても周りに染みついたその名残までがなくなることはない。場所もやはり記憶である。
今の美容院は、あのオーナーの遺志を引き継いでいるチルドレンの一人だし、元の美容院の椅子が新たに加わったことで、あの美容院の雰囲気をそこでもより感じやすくなった。
でも。やはり寂しいなぁとは思う。
2026/01/31(土)|娘のまとめ役としての成長
気づけば1月ももう終わり。小学1年生としての娘の1年もあと1ヶ月少ししかない。
娘は担任の若い男性の先生に懐いているようで、中休みの時間に何を話しかけにいこうかその前に必ず考えているのだという。どんな話をしているかはわかない。もしかしたら僕がマリオカートの勝負に熱くなって叫んでしまったこととか、僕から甲羅を当てられたことかを話しているのかもしれない。
先生も娘のことを信頼してくれているらしく、娘はクラスのまとめ役の一人なのだという。
娘は真面目で何にでも一所懸命になってしまう。それはおそらく妻に似たところで、ときに真面目すぎてしんどそうに感じられることもあるけれど、頑張って力を抜くというのもまた違うだろうし、一所懸命になってしまうときには好きなだけ一所懸命にして、イヤになったらぐったりして過ごせばいい。
娘にとって一番気を抜いて過ごせる時間が朝活の時間で、僕も妻も寝ている時間に娘はひまわりチャンネルなどの子ども用YouTubeチャンネルを流してそれを眺めるか、作品作りをしている。あとは食事前の時間も割とダラダラしていることが多い。それで食事にまでそのダラダラが及んで妻に怒られることもしばしばであるのだけれど。
今日は久しぶりにダンスのレッスンへ行っていた。先週はインフルエンザで行けていなかった。正月もあったから、今月はあまりダンスレッスンに行けていない。NewJeansも聴いてはいるが、娘が好きなのはもっぱらHANAで、HANAのようなダンスを踊りたくて頑張っているみたい。
しかしNewJeansがあのままの感じで活動してくれていたらと何度も思う。楽曲もダンスも懐かしさがありながらも新しく、NewJeansに出せないものがあって、毎回新曲が出るたびに驚かされていた。
K-POPで僕がハマったのはNewJeansとBTSだけで、あくまで僕個人の話で今のところではあるが、NewJeansがいないK-POPはあまり興味が湧かない。先日のダニエルのインスタライブも観たが、おそらくはまだ言えないことがたくさんあって、それでも懸命に自分の言葉で伝えようとするダニエルには胸が打たれた。なぜダニエルだけが標的にされなければならないのだろう。理不尽だ。NewJeansが元の形で活動することはもうないのだろうか。たとえ5人で活動することがなくても、1人1人がどのような形であれまた表に出てきてほしいと思う。インスタで観たハニのソロも、ダニエルのソロも素晴らしかったから。
さて、間もなく野球の季節が始まる。
シーズンは3月末からだが、2月からはキャンプが始まり、オープン戦もある。またホークスTVに入り直さないといけない。ホークス関連のニュースも増えてきて、読むのが楽しい。ストーブリーグはホークスは割とおとなしめで、助っ人の新加入は今のところシュールオシーとモレノだけ。これはまさかだったが、有原は日ハムに移籍してしまった。現役ドラフトでロッテから加入した中村稔弥は、ホークスでは久しぶりの長崎県出身の選手になる。長崎県出身の選手だと増田以来、佐世保出身だと川島以来か。地元出身の選手なので、要注目の選手がホークスに加入したのは嬉しい。
有原が抜けた穴は大きいので、そこを誰が埋めるか。それをこれからキャンプ、オープン戦と見ていくのか楽しみだ。候補はいくらでもいる。前田悠伍、前田純、大野、上茶谷、東浜。あとはアルメンタが支配下になったら面白そう。
2026/02/01(日)|『コーダ あいのうた』 歌が救ってくれるもの
今日から2月。ホークスのキャンプが始まり、休みだったので通しで観る。とうとう野球が始まった!
昨夜、『コーダ あいのうた』を観た。『サムバディ・サムウェア』を観終えて、次に観るものがなかなか見つからない中でClaudeに相談したらこの映画を薦めてくれた。『コーダ あいのうた』のことは知っていて、長いことウォッチリストにも入っていたのだけれど、後回しになっていた。『サムバディ・サムウェア』ロスが続いているから、この機会に『コーダ あいのうた』を観ようと思った。
主人公であるルビー以外は聾唖者で、ルビーは仕事でもそれ以外の場所でも通訳としての役割を担う。家族はルビーに依存せざるを得ない状況が多々ある。ルビーは学校にも上手く馴染めず、からかわれ、そんな中でも自分を必要としている家族がいるから現実的に振る舞わなけらばならない。「大人」にならざるを得ないのだ。
ルビーの家族は団結しているように見える。父と兄は漁師であり、船にはルビーも一緒に乗っている。他の漁師や漁業組合と接するときにもルビーは不可欠の存在だ。協力し合いながら、生活をしている。
家族の絆、それは「きずな」でもありながら「ほだし」でもある、この映画ではその二重性を描いているのだと思う。
タイトルにもあるように、この映画は歌の物語だ。『サムバディ・サムウェア』と同じように歌による救済が一つのテーマでもある。
映画は船の上でルビーが歌っているシーンから始まる。その歌は誰にも聞こえないが、ルビーは何かを発散するようでもあり、何かに向けて歌っているかのように見える。そんな中、学校で合唱クラブに入ることになる。そこから物語が展開していく。
合唱で歌う曲だからだろう、ルビーが歌うのはどれもクラシックなポップスが多いが、どれも素晴らしい。The Isley Brothersの『It's Your Thing』、David Bowieの『Starman』、Marvin Gayeの『Let's Get It On』、そしてJoni Mitchellの『Both Sides Now』。そして劇中で流れるのもThe Clashだったりと最高だ。
そしてこの映画で印象的な人物が、合唱クラブの顧問であるベルナルドだ。個人的に、僕はこのベルナルドは顔含めて坂本龍一によく似ているように感じていた。特に口なんかは、若いときの坂本龍一とそっくりだと思う。

ともかく、このベルナルドはとても情熱的な教師で、ルビーの歌の才能を見いだして技術的な指導を行っていく。ルビーの歌をもっと外に開かれたものにしていくために、ともにその殻を破っていこうとする姿は感動的だ。
ベルナルドは、かつて発音が変だと指摘されたことで人前で歌うことをためらうルビーに対して、David BowieがBob Dylanの歌声のことを『砂と糊を混ぜたような声』と表現したことを伝える。そんな歌声のBob Dylanは偉大なミュージシャンで、どんな声をしているかは重要ではないのだと。
Dylanファンの僕からすると、その歌声はとても魅力的で、歌声こそがDylanを偉大たらしめている重要な要素だとも思うのだけれど。だから『砂と糊を混ぜたような声』というのは最高の表現だ。Dylanは時期によって歌い方が違うから単純には言えないのだけれど、ざらざらした砂のような声と、粘り気のある糊のような声があわさったような歌声というのはまさにその通りだと思う。
ベルナルドの指導によりいくらルビーの歌の才能が開花していったとしても、聾唖者の家族には理解されることがない。ルビーが大学に行きたいと行った時にも、ルビーにその才能があるかに懐疑的だった。
合唱クラブのとき、父親のフランクはルビーが歌っているときの周りの観客の反応を見ながら、ルビーに才能があるかを判断しようとする。複数の人の様子から、ルビーの歌が人の心を動かすものであることを理解していく。そして家に戻ったあと、一人家の外に残ったフランクは、そばに座ったルビーに対してもう一度歌ってほしいと言い、ルビーの喉に手を置く。歌っているときの喉の振動を手で感じ取ろうとするのだ。
この映画には印象的なシーンとセリフがいくつもある。上にあげた以外にも、観る人によって印象に残るものは異なるだろう。あらゆる人に薦められる映画だと思う。そして、いつか娘が大きくなったら、一緒に観たい映画でもある。
