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生まれて、いままで

4月、三姉妹の末っ子である妹が大学を卒業して、家を出た。
3月の終わり、既に家を出ている姉とわたしが3連休に休みが取れた関係で、久々に家族5人勢揃いが叶った。もう揃うことは無いかもしれないという不安と、これからも在り続ける愛への確信をそれぞれに抱きながら、流れる時間を特段大切に過ごすわけでもなく、お互いの存在を漂うように感じながら身を任せて過ごした感覚がある。
姉と妹が出かけ、わたしと両親で3人になる時間があった。小さい頃の写真を見返しながら、思い出話をしていた。
「妹も家出るし、ほんまに子育て終わりって感じやな。」
お疲れ様、ありがとう、という言葉を用意していた。
「3人ともちゃんと自分で自分のこと生かす方向を見て今を迎えてるって、当たり前じゃないと思うな。」
仕事の手を止めない両親。照れ臭いとかじゃない、なんか、どうしても言えない。
「いや〜、優秀やと思うで。」
ちょっとふざけて誤魔化した。柔らかな沈黙がたぶん5秒くらい。父が手を止めて、後ろの壁にもたれかかってこちらを見つめる。思い出話をしている時から、泣いていることは知っていた。
「いやぁほんま、こんな毎日毎日幸せな時間を過ごさせてもらったことに、お父さんと子どもらには感謝しかない。」
泣き虫で笑い上戸で甘えん坊で、わたしが小学生の頃に渡したプロフィール帳の「性格」欄には「照れ屋」と書いた母が、唇にグッと力を込めて言った。仕事の手は止めない。母は、父が泣いてる時は絶対に泣かない。
父は板前なので、昼前に家を出て深夜に帰宅する。幼稚園や学校に通うわたしたちとはすれ違いの毎日だった。休日も週に1日しかなく、父と晩ごはんを食べられる日はわたしたちにとってはスペシャルで、今でも火の灯った蝋燭を並べているようなあたたかい食卓のイメージで思い出される。
ほとんどの時間を母と一緒に過ごしたわたしたちは、それでも父の存在を感じない日はなかった。父がわたしたちを思い、母が父を思っていることは、わたしたちも小さいながらに感じていたし、それは当たり前だった。
「お父さんさ、家におらんかったけどさ、いたよな。」
本当は父だってずっと家族と過ごしたかったはず。子どもたちが日々何を感じて何ができるようになって、誰と関わって何をしてるのか、そばで見て聞いて感じて、近くにいたかったはず。それをひとりで全部やってくれた母は、それをさせてもらえたと感じている母は、子どもたちの旅立ちを寂しがる父の隣で、強い母として、笑う。
お疲れ様も、ありがとうも言わなかった。こんな言葉しか用意できない自分を恥じた。ただ、生きなきゃいけないと思った。わたしは命を授かったんだこの人たちから。わたしは、幸せで、健やかでいなければいけないんだ。どんな理由があっても、どんな瞬間も傷つけられてはいけないんだ、絶対に。大切に、守られているべきなんだ。
細かく、ギチギチに織られた布みたいな父と、緩く、ふんわりと織られた布のような母に抱かれて、心地よい揺らぎの中で生きてきた。その余韻と、背中に感じる優しくて強い手の平の感覚に導かれて、わたしはわたしを織り重ねてゆく、日々。
生まれてきてくれてありがとうは言わない両親。でも、産んでくれてありがとうと言った時、ちょっと嬉しそうにしていたこと、忘れない。

これからも、よろしくね。

#創作大賞2026 #エッセイ部門

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