『ドールズ・ハイ』 第2章『境界の継承』第40話『壁際の空白』
―あらすじ―
教導院では地下で起きた異常について
小さな噂が広がり始めていたが、
生徒たちの日常は変わらず続いていた。
アルトたちはカイン班と合同訓練を行い、
互いの連携を確かめる。
その後、
レイスとバルクによる旧構造の調査で、
現在は壁となっている場所の内部に
人工的な空洞が存在することが判明する。
さらに調査中、
アルトとノアが
壁の向こうから微かな反応を感じ取り、
ミレイとカインの装飾具も異常を捉える。
現場へ来たガルドは
古い構造図に一瞬だけ反応するが、
過去を語ろうとはしない。
夜、
それぞれが昼間の異常を思い返す中、
誰もいない壁の内部から、
古い機械が一度だけ静かに作動する。

第40話『壁際の空白』
朝の教導院には、
いつもの音があった。
食堂から聞こえる食器の音。
廊下を急ぐ足音。
訓練区画へ向かう生徒たちの声。
腕や首元に《ゲシュタルト・リミッター》
を装着した生徒たちは、
昨日までと変わらない顔で授業へ向かっていた。
ただ、
会話の端に小さな違いがあった。
「昨日、
訓練場の床が揺れたって本当?」
「俺は聞いてない。
でも地下から反応が出たって話は聞いた」
「地下って……そんなの、
教導院にあるのか?」
噂はそこで途切れる。
誰も確かなことを知らない。
だからこそ、
広がる速度だけが少しずつ増していた。
◇
「気にしてる?」
廊下を歩きながら、
ミレイが言った。
アルトは一瞬だけ視線を落とした。
「……分かる?」
「分かるよ」
青銀色の《ルミナ・ティア》が、
歩くたびに小さく揺れる。
「地下のことだろ?」
横からリオが顔を出した。
「やっぱりアルトも気になってるんだ。
俺なんか昨日から、
床を見るたびに変な気分になるよ」
「俺も同じだよ」
アルトは苦笑した。
そのとき、
訓練開始を告げる鐘が鳴った。
◇
訓練区画では、
カイン班がすでに準備を終えていた。
カインの《シュヴァル・ボルト》が
淡い光を返す。
「始めるぞ」
ヴォルグが低く身を沈めた。
狼を思わせる半人型の巨体が一気に踏み込み、
無駄のない動きで標的を制圧する。
その後方では、
セシルのエイルが同期状態を整えていた。
「右側、
少し乱れてる」
「了解」
エルクが短く答える。
約180センチのシュバルツが前へ出る。
黒鉄の機体は敵役を真正面から受け止め、
そのまま動きを封じた。
「今」
セシルの声に合わせ、
ヴォルグが横へ回る。
三機の動きは、
それぞれが別々に動いているようでいて、
同期の流れは一本に繋がっていた。
「相変わらず綺麗だな」
アルトが言う。
「そっちも悪くない」
カインは短く返した。
訓練は最後まで通常通りだった。
だからこそ、
その直後に届いたレイスの連絡が、
妙に重く感じられた。
◇
資料室に集められたアルトたちの前で、
バルクが古い構造図を広げた。
「ここを見てください」
現在の図面では、
そこは厚い壁になっている。
だが、
古い図では違った。
「この位置に空間がある」
レイスが淡々と続ける。
「非破壊検査でも反応が出た。
壁の内部に、
自然空洞ではない空間が存在する可能性が高い」
「じゃあ、
壊せば……」
リオが言いかける。
「まだ触らない」
レイスが止めた。
「旧資料の欠落も気になる。
単なる劣化では説明しにくい部分がある」
バルクも頷く。
「構造図だけじゃない。
改修されたはずの箇所に、
改修記録そのものが残っていない」
アルトは壁を見つめた。
その瞬間だった。
胸の奥で、
何かが触れた。
遠い。
だが、
確かに近づいてくる。
ノアの方を見る。
黒い装甲に走る白い亀裂が、
一瞬だけ淡く光った。
「……ここじゃない」
「え?」
ミレイが振り向く。
「この壁そのものじゃない。
もっと……奥」
《ルミナ・ティア》が微かに震えた。
同時に、
カインの《シュヴァル・ボルト》にも
一瞬だけ光が走る。
「セシル」
「分かってる」
エイルが周囲の同期を安定させる。
「エルク、
警戒」
シュバルツが静かに構えた。
ヴォルグは低く身構えながら、
カインの指示に合わせて反応源の方向を探る。
だが、
すぐに反応は消えた。
◇
「その図を見せろ」
低い声とともにガルドが現れた。
古い構造図へ目を落とした瞬間、
ほんのわずかに表情が変わった。
アルトは見逃さなかった。
「教官。
この場所を知っているんですか?」
ガルドは答えず、
しばらく壁を見た。
「……昔の構造だ」
「改修された理由は?」
レイスが尋ねる。
ガルドは静かに首を横へ振った。
「記録がないなら、
記録がないこと自体を調べろ」
そしてアルトを見る。
「見つけたものが、
必ずしも見つけるべきものとは限らん」
それだけ言って、
ガルドは去った。
残されたアルトたちは、
誰もすぐには言葉を出せなかった。
◇
夜。
アルトはノアの前に立っていた。
黒い装甲は静かだった。
それでも、
昼間に感じた「奥へ向かう感覚」が消えない。
別の場所では、
ミレイが《ルミナ・ティア》に触れていた。
そしてカインも、
訓練記録を閉じたあと、
昼間の壁を思い返していた。
三人は別々の場所にいる。
けれど、
考えているものだけは同じだった。
壁の向こう。
そのさらに奥。
誰もいない廊下に、
夜の静寂が戻る。
しばらくして――。
壁の内部から。
カチ……。
一度だけ、
古い機械音が響いた。
そして、
再び何も聞こえなくなった。
