# ✍️ **8回転職、何度も新人に戻った。プライドを捨てた先に見えた世界**
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## 「どうすればいいですか?」
**36歳で、年下の先輩にそう頭を下げる日が来るとは、正直、思っていませんでした。**
手に持っているのは、介護用のスライディングシート。
使い方が、まったくわからないんです。
目の前にいるのは、25歳の女性職員。
彼女は、僕の「師匠」でした。
**つい数ヶ月前まで、僕は「監督」だったのに。**
でも実は、これが僕にとって何度目かの「新人体験」でした。
19歳で学生に戻り、
36歳で監督から介護職に転じ、
41歳で愛媛に移住し、
44歳で工場で働き、
そして46歳、2020年のコロナ真っ只中に、もう一度介護現場へ。
8回の転職。
一見、バラバラに見えるキャリア。
でも今なら言えます。
すべてが、今の僕に繋がっていると。
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## 第1章:19歳、健康ランドからの決断
18歳、健康ランドのホールで働いていました。
ビールを作り、料理を運び、カラオケをかける日々。
中華レストランの厨房は、特に厳しかった。
人間関係も、決して楽ではありませんでした。
そんな時、高校の先生から頼まれたんです。
「幼稚園の子たちに、サッカー教えてくれないか?」
休みの日に手伝っているうちに、気づきました。
**「教えることが、楽しい」**
そして、サッカー専門学校の存在を知りました。
受験、合格。
19歳の僕は、決断しました。
健康ランドを退職し、もう一度「学生」に戻ることを。
これが、僕の最初の「新人に戻る」体験でした。
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## 第2章:サッカーコーチとして過ごした20年
サッカーコーチとして約20年間を過ごしました。専門学校を卒業後、幼体連スポーツクラブで監督として15年。
派遣で幼稚園・保育園の体操教室を担当しながら、
卒園児を中心にサッカークラブの監督を務めました。
子どもたちに戦略を教え、
試合でのプレーを見守り、
チームをまとめる。
練習では、選手たちにこう伝えていました。
**「失敗を恐れないで。どんどんチャレンジしよう」**
試合では、選手に判断を任せました。
僕はピッチの外から、彼らの動きを見守るだけ。
「監督」という肩書きは、僕にとって誇りでした。
でも今思えば——
**僕自身は「失敗」から、最も遠い場所にいたんです。**
指示を出す側。判断する側。
僕は、失敗する「選手」ではありませんでした。
そして、健康的な理由で、退職せざるを得なくなりました。
しかし介護職に転職した後も休日はアルバイトコーチとして数年間サッカーに関わり続けました。
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## 第3章:36歳、介護という未知の世界へ
**36歳。僕は、訪問入浴の仕事を始めました。**
**監督の肩書きを、ロッカーに置いていく日。**
職場では、誰も僕の過去を知りません。
知る必要もありません。
僕はただの、新人の介護士でした。
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衝撃だったのは、
20代や30代の職員が、僕の「師匠」になったことでした。
「どうすればいいですか?」
この言葉を何度も口にするたび、
過去のプライドが、ガラガラと音を立てて崩れていきました。
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正直に言います。
最初は、「介護してる気になれなかった」んです。
お風呂を運ぶのがメインで、
利用者さんとじっくり関わる時間は少ない。
「これは、自分がやりたい介護じゃない」
そう感じて、2年後、施設の老健へ転職しました。
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でも、完全にサッカーを手放したわけではありませんでした。
休日は、時々アルバイトコーチとして、
審判や指導の現場に立つこともありました。
正直に言います。
それは、いい気分転換でした。
**「戻れるなら、戻りたい」**
そう思っていました。
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## 第4章:「新人」が教えてくれたこと
**38歳、老健での最初の週。僕は初めての失敗をしました。**
認知症のある利用者さんが、トイレに立とうとされました。
「◯◯さん、さっき行かれましたよ」
僕はそう伝えて、椅子に座ってもらいました。
——ここまでは、マニュアル通り。
でも、ほんの数秒。
別の利用者さんの対応に気を取られた隙に、
その方は、ヒョイと立ち上がっていたんです。
「あっ——!」
駆け寄る僕。間に合わない。
その時、隣にいた先輩職員が、すっと手を差し伸べてくれました。
**「大丈夫ですよ。最初はみんなそうです。目は、3つ必要なんですよね」**
彼女は28歳でした。
僕は38歳で、何も見えていませんでした。
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それから数週間後、僕は別の壁にぶつかりました。
ある利用者さんが、同じ話を何度もされるんです。
「息子が迎えに来るんや」
「ご飯作らなあかん」
5回目、10回目——
僕の中で、何かがプツンと切れそうになりました。
「さっきも聞きましたよ」
そう言いかけて、飲み込みました。
その時、隣にいた先輩職員が、穏やかにこう言いました。
「そうなんですね。息子さん、楽しみですね」
**——何度目でも、「初めて」のように応じていました。**
僕は、気づきました。
**監督時代の僕なら、「さっき言ったでしょ」と言っていただろうな、って。**
でもここでは、
「繰り返し」こそが、相手の安心なんだと。
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でも、介護の仕事を続けるうちに、
少しずつ、気持ちが変わっていきました。
平日の介護現場で学んでいることが、
休日のサッカー指導に活きている。
利用者さんを観察する力が、
子どもたちの小さな変化を見逃さない力になっている。
そして、思い始めました。
**「もう、どっちが本業とか、関係ないな」って。**
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## 第5章:3年かけて、プロになる
老健で働きながら、僕は介護福祉士の資格取得を目指しました。
3年間、働きながら勉強する日々。
**41歳、介護福祉士の資格を取得しました。**
これは、ただの転職じゃない。
**この道で、プロになる。**
そう決めた証でした。
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## 第6章:41歳、愛媛移住という大きな転換
41歳、再婚を機に、愛媛へ移住しました。
新しい土地。
新しい家族。
新しい職場——特養。
3つの「新しい」が、同時に始まりました。
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そして、愛媛への移住が決まった時、
僕はアルバイトコーチも、完全に手放しました。
サッカーに、未練はもうありませんでした。
介護が、僕の道だと。
ようやく、心から思えるようになっていました。
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また、「新人」です。
でもこの時、僕は変わっていました。
「どうすればいいですか?」
この言葉を、自然に言えるようになっていました。
特養で3年、働きました。
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## 第7章:工場への転職、そしてADHD発覚
44歳、義理の父の紹介で、工場に転職しました。
介護とはまったく違う世界。
製造業のライン作業。
そこで、僕はADHDと診断されました。
それは、ショックでした。
でも同時に、「自分を理解する」きっかけにもなりました。
2年間、工場で働きながら、考えました。
**「自分に合う仕事は、何だろう?」**
答えは、すぐに出ました。
**介護だ。**
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## 第8章:2020年、コロナ真っ只中の決断
**2020年。僕は46歳でした。**
世界中が、コロナウイルスという未知の脅威に怯えていました。
多くの人が、「今は動かない方がいい」と言いました。
「現状維持が安全だ」と。
でも、僕は決断しました。
**もう一度、特養へ。**
コロナ真っ只中の転職。
そして、また「新人」に戻りました。
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介護現場は、過酷でした。
感染リスク。
面会制限での利用者さんの孤独。
職員の疲弊。
そんな中で、僕はまた「どうすればいいですか?」と頭を下げました。
でも、もう怖くなかった。
**健康ランドでの接客経験は、利用者さんとの会話に。**
**体操教室での身体の知識は、介助技術に。**
**サッカーコーチでの観察力は、利用者さんの小さな変化に気づく力に。**
**訪問入浴での経験は、在宅ケアの理解に。**
**老健での3年間は、介護福祉士という資格に。**
**工場での効率化思考は、業務の動線設計に。**
**ADHDの自己理解は、自分に合った働き方の発見に。**
一見バラバラに見えた8回の転職が、
すべて今の僕に繋がっていました。
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## おわりに
僕は8回、転職しました。
そのたびに、「新人」に戻りました。
19歳で学生に戻り、
36歳で介護職に転じ、
41歳で介護福祉士を取得し愛媛に移住し、
44歳で工場で働き、
そして46歳、2020年のコロナ真っ只中に、もう一度介護現場へ。
プライドを捨てるたびに、世界が広がりました。
新人に戻るたびに、自分が成長しました。
もしあなたが今、新しい挑戦を躊躇しているなら。
「バラバラなキャリア」に不安を感じているなら。
自分にこう問いかけてみてください。
**「自分は、もう一度新人に戻れるだろうか?」**
その答えが「YES」なら、
あなたはもう、次のステージに進む準備ができています。
僕は19歳で学生に戻り、36歳で介護の新人になり、46歳でコロナ禍の中、もう一度新人に戻りました。
**あなたは、いつ新人に戻りますか?**
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