スピリチュアルの勘違い。その理不尽、学ばなくていい!
✦割り切れない世界のかたすみで
スピリチュアル的生き方に関心が集まっていることは嬉しいが、ときどき「?」と思うことがある。
生き方に良い・悪いもないように、正しい・間違っているもなければ、
高尚・低俗もないと考えている。
なぜならそれをジャッジするのは一方向的な視点だからだ。
人殺しはいけないが、戦争では許されるとはどういうことなのか。
戦争を終わらせるために核兵器の使用が必要だったとか、
ロシアがウクライナに攻撃するのは反対だが、ウクライナがロシアに応戦するのは賛成とか、正義はいつだって矛盾をかかえ、別な方向からみれば納得などできるはずもない。
✦パワハラとは、いかに
『すべてのことに学びがある』とは真理の一つであろうが、それ、学ばなくていいんじゃない?と、話を聞いていて疑問に思うことがある。
たとえばパワハラ。
自分より劣っていると見下して、相手が弱っていく姿を見て喜ぶだなんて趣味が悪い。
どうしたら相手を追い詰めることができるか、どんな言葉が刺さるのか、そんな効果的な手法を獲得できたというのは、その人自身が『される側』の経験をしている確率が高い。
人は知らないことはできない。
できるということは、どこかでパワハラの仕方を学習したということだ。
職場に限らず、親の態度や恩師など、影響力の強い相手との関係性において、過去に心を凍らせてきたんじゃないかな。
もちろんパワハラを容認するわけではない。
身に付いた性質を「明日から気を付けます」と言ったところで変われるものではないから、周囲も簡単に謝罪を信じてはいけないし、その人のためにも赦してはいけない。
周囲にはそれを見届けてほしいのだ。
「私は見ていますよ」というプレッシャーが助けになる。
そのまなざしに「私はあなたを信じています」という愛のかけらを感じ取ることができれば回復に貢献するだろう。
パワハラした人は行動を反省するだけでは不十分だ。
自分の中の傷ついたパートを十分に癒し、より健全なコミュニケーションの手法を身につける必要がある。
一方で『された側』の人も、十分に癒される体験が不可欠だ。
いつか自分が『する側』になる負の連鎖に加担せぬよう、自分で鎖を断ち切るのだ。
世の中にはサイコパスと言って、生まれながらに反社会的な性質を備えている人はいる。けれどパワハラの多くは後天的な学習によるものだ。
人は変われる。
それには新たな学習を重ねるのだ。
✦無かったことにはならない、パンドラの箱
パワハラという特殊な事情だけに限らず、日常にひそむネガティブな出来事からは学ばなくてもいいと思う。
理不尽な経験をし、苦しい感情にあるときに、「これも何かの学びよね」「ここから学ばなくちゃいけないよね」。
そうした言葉を聞くたびに、「いいえ!」と声を大にして言いたくなる。
その理不尽な出来事から学ぶことなどない。
だって理不尽なのでしょう?
その理不尽な要求に従ったり、相手に支配されることがあなたの望みなのですか?
学びとは、自分が望むときに、望む内容でなければ自分を成長させてはくれない。理不尽な状況に心は喜ばない。
潜在意識の奥底、二度と開けないパンドラの箱に閉じ込めても、それは『無かったことにはならない』のだ。
もし、どうしてもその機会を学びにしたいのであれば、自分が望むもの、心が晴れやかになるものを選んでほしい。
たとえば、自分を強く見せるためのプライドという名の鎧を脱ぎ去ってSOSを出してみるとか、誰かを信頼してみるとか、押し込めていた涙を流してみるとか。
理不尽な相手の心に寄り添う前に、自分に寄り添うのだ。
✦どんなときにもポジティブで!?
再びパワハラを例にあげるとすれば、パワハラをする側は潜在的に自分が救済されることを求めて行動を選んでいる。
自分の心の傷を癒してくれそうな相手を見定め、弱っていく姿を過去の自分と重ねるのだ。そしてあのとき言えなかった言葉や、周囲に助けてもらえなかった苦しさの詰まったパンドラの箱の蓋をずらし、発散しようと試みているのだ。
だけどそれはあくまでも健全なやり方ではない。
その人の過去には同情するが、選択を誤ったままでは誰も幸せになれない。
自分の問題は自分と向き合ってのみ、本当の意味での解決になるのだ。
だからもしあなたが、いつもそうした苦しい場面で”苦し紛れのポジティブさ”を発揮しようと努力しているのなら、そろそろ卒業してもいいんじゃないかな?と思うのだ。
しかし中には、被害者意識でいることを好んでいる人たちもいる。
「私さえ我慢すれば」「私が悪いのよ」「私がもっと上手に立ち回れば・・」。
いやいや。
それもほどほどにしましょうよ。
そんなあなたの姿を見せて、あなたは誰を幸せにしようとしているの?
理不尽な要求に屈すれば、相手はその方法が役立つと自信を深めるばかり。そしていずれまた、別な被害者を探して歪んだ力を行使するでしょう。
✦私の前に道が開かれる
スピリチュアルな生き方を選択するということは、今にとどまらないことだと思っている。
小さくてもいいからチャレンジすることでしか、成長の階段は登れない。
成長とは変化を受け入れることだ。
「だけど私が変わってしまったら、あの人(子)はどうなってしまうの?」と恐れる声も聞く。
多くの場合はサヨナラだ。
たましいのステージが変わったあなたが、その人といることで苦痛を感じるように、相手もまたあなたといることで苦痛を感じる。
どのみち、関係はいずれ破綻するでしょう。
早いか遅いかの違い。
時を重ねるほど別れはつらくなるものだ。
相手の幸せを思うなら、あなたは自分の道を進もう。
道は開かれるものでなく、開くものだ。
あなたには新たなステージでの出会いがある。
相手にもまた、ふさわしい出会いが待っている。
それを邪魔してはいけない。
だから『謝罪』でなく『感謝』を、
『心配』でなく『祈り』を届けよう。
「世の中、うまく出来ているものだなぁ」と、わかるときがきっと来る!
大丈夫。
✦目を醒ますとは
「だけどスピリチュアルとは、すべてを赦し愛で包むものでしょう?」
そんな声が聞こえてきそう。
それに対する答えはこうだ。
悟りに次元があるように、愛にもレベルがある。
愛もどき、スピリチュアルもどきを見極める。
そんな目を持つことが、いま求められているのではないでしょうか。
