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vol.10_16川口、学校つくるってよ(必要な事物_人財編)

こんにちは!川口です。

みかんせい学園チームで運営をしていく上で
最も大事な事物。ヒト。

みかんせい学園でこどもと共に過ごす大人を、
先生と呼ぶか
教師と呼ぶか
教諭と呼ぶか
教員と呼ぶか
職員と呼ぶか
スタッフと呼ぶか
メンバーと呼ぶか…
そのあたりもかなり慎重に、繊細に取り扱いたいと思っているし(まだ決まっていない)、
先生の存在の仕方がこどもたちの人生に大きく影響すると言っても過言ではないので、その在り方を呼称に反映させたいと思っている。
でも、まだ決まってないので今回はとりあえず「先生」という呼び名で統一したい。

みかんせい学園が描く先生の在り方は
一般的に想像する先生像とはちょっと違う。
こども達の先頭に立って導いたり善悪を教えたり知識を授けたり、
そういう先生はみかんせいにはいない。
みかんせいにいるのは、こどもと一緒に活動する先生。

そこに関して、学園立ち上げメンバーとは何度も話し合ってきた。


みかんせい学園は
こどもの主体性を引き出し、伸ばすことを重視する場所。
そのために、周りの大人はどのような関わり方をするべきか?

立ち上げメンバー同士でも
こどもへの関わり方へのイメージは、「全く同じ」ではない。
すこーしずつ信頼関係の築き方が違う
すこーしずつこどもの主体性を引き出す方法が違う

これに関しては、全員が全くおんなじ方法をとる必要はないということも
結論づいている。

でも、絶対ブレてはいけないのは、何事もこども主体であること。

学習や活動によって満たされるのはこどもであって
授業者では、ない。
そこは、みんなで意識を揃えている。

川口も、幼少期から大学に入るまで
どちらかというと一方的な教え込みスタイルの授業を受けてきた身だ。
それが当たり前で常識だった。

要するに今の先生、保護者さんたちも、
きっと同じような授業を受けて育ってきているはず。
「知識を伝達し、先を示して導く」のが、大方の日本人の「授業」のイメージであり、「先生」の姿のイメージだと思う。

だからこそみかんせいのスタンスを
全員に理解してもらうことは難しいとも考えている。

でも、もし今現在、教育現場において
今いる環境で苦しんでいる人がいるのであれば
その人が輝く場は、もしかするとみかんせい学園なのかもしれない。
苦しんでもいないし、環境を変えるつもりもない人は
そのままの方がきっと幸せである。

今の日本の教育現場において、
こどもたちが自ら「やりたい」「知りたい」と感じ、
自分で考えて試行錯誤しながら取り組む場面がどれくらいあるのか?
大人の決めた目標を目指して、決まった時間に同じメンバー(クラスメイト)と同じように学ぶ。
この中に主体性はどれくらいあるのか?

決められたことを決められたように取り組む、
言われたことはできるけど、言われていないことは取り組まない、
教えてもらわないとどうやったらいいのか分からない、
こんな姿は中学生・高校生になるとさらに顕著になるように感じる。

だからこそ、自ら課題を見つけてそれに没頭するような
幼児期の「遊び」を小学生の学びにつなげて、
中学生、その先まで「探究」というスタイルで一貫性を持った学びの環境を創っていきたい。
みかんせい学園で働く「先生」は、その環境が創れる人であり、
自分自身も環境の一要素であると自覚できることが求められる。
そして何より、常にこどもへ眼差しを向け続けて、
トライアンドエラーしながら探究できる人であってほしい。


何事もこども主体であるという学園の文化を創るには、先生たちがどんな立ち振る舞いをするかが大きく影響する。
立ち上げメンバーがそれをできるのは至極当然だとして、
その文化を先何年も、何十年も育てていくところに
真の文化形成バトンが存在すると思っている。
属人的な先導ではなく、みんなで創る主体的な文化の輪。

先生も探究し、対話を重ね、
個人だけじゃなく学園全体が成長し続けるような状態を目指したい。
その中でみかんせいの文化は必ず形作られていくと思う。


そんな探究の心のある仲間を、求めています!

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