魔が差した時、私たちは本当の自分を忘れる」

自己嫌悪感にとらわれていたり、嫌なこと、不安なことが頭の中をぐるぐる巡っている時。
私たちは、どこまでも深く沼に落ちていくことができる。
人は本来、ネガティブな情報に強く反応するようにできているから。
それは、自分を守るための本能でもあるけれど
不快感でもある。
意識的であっても無意識であっても、
私たちは気づかないうちに「悪いもの」「足りないもの」「失敗したこと」へ意識を向けやすい。
そして、いつの間にか意識が過剰に内側へ向き、視野が極端に狭くなる。
そうそう、あれです。
「あのいつもの状態」
その渦中にいる本人は、そのことに気づけないことが多い。
私はこの現象を、脳の働きや神経の状態が大きく揺らいでいる状態として捉えています。
私が師事する現代催眠療法の先生はこの現象を
血糖値の乱高下として例えていてね、なるほどなと思ったの。
嫌なこと、不安を煽ることが起こってパニックになりそうな時、甘い物を食べて誤魔化そうとしたり、買い物に走ったり、ストレス物質を解消しようと、何かを代替えにすることがあるよね。
そして一気にスッキリして、その反動また現実に戻って気持ちが落ちてしまい、心身が疲弊していく。
これが、血糖値の乱高下と仕組みが似ていて、
私は思考中毒、乱高下と呼んでるよ。
私たちはつい、
「今、目の前にある最悪な状況こそが世界のすべて」
「そこにいる最悪な自分こそ、本当の自分」
だと思い込んでしまう。
でも、それは性格の問題でも、心が弱いからでも、能力が足りないからでもない。
ただ、脳の認知機能が一時的に狭い範囲しか見えなくなり、
「魔が差している状態」になっているだけだと
捉えてみてほしい。
ところが、その状態にいる時は、
それが一時的な錯覚だとはなかなか気づけない。
すべてが真実のように感じられる。
だから出口のない迷路を歩いているような感覚になる。
そして心身が疲れ切ってフリーズしてしまう。
疲れ切って起き上がれなくなる人もいると思う。
似てるでしょ?
イライラした時に甘いものを無性に食べたくなる感覚と。そして胃腸が疲れて動けなくなって、寝る。。。
みたいなね。
苦しみながらも、脳は刺激を求めている。
「思考中毒」とはまさにこれ。
頭の中に何もない《空白》の時間は、
本来安心できるリラックスタイムなのだけど
思考中毒になってしまっていると不安でしかない。何かを考え続けることで安心しようとするんだね。
でも、その思考は問題解決ではなく、自分をさらに責める方向へ向かってしまうことがある。
これは癖。
からだの癖。
癖だから習慣になる。
習慣になるから、自分では気づきにくい。
気づかないうちに疲れ、気力を奪われ、原因も分からないまま、また自己嫌悪に陥る。
そんな自分に疲れて動けなくなるか、寝てしまう。
そんな循環が生まれてやすくなるんだ。
本来からだは自分を守るためにこのような状態を作っているのだけど、とてもハードな負担のかかるやり方になっているよね。《疲れて寝かせれば
今この瞬間は脳を休めることができる。よし、疲れさせよう!》 そんなふうに体は持ち主の為に良かれと思ってハードなやり方を選んでいるかもしれない。
でも、構造が分かれば抜け道はある。
大切なのは、気力がない時に気力や意志の力で無理やり変えようとしないこと。
苦しい時に「前向きになろう」とするほど、できない自分を責めてしまうから。
必要なのは、ただひとつ。
「今、自分の視野が狭くなっているかもしれない」
と気づくこと。
そして、認知を本来の位置へ戻していくこと。
それだけで、人は少しずつ「我に返る」ことができる。
魔が差している時、私たちは不思議なほど「生きてきた実績」を忘れてしまう。
これまで乗り越えてきたこと。
誰かに愛された経験。
苦しい時にも立ち上がってきた自分。
それでも積み重ねてきた時間。
それらすべてが、まるで存在しなかったかのように感じてしまう。
そして「今の絶望」だけが、世界のすべてのような顔をして居座る。
だからこそ、意識的に思い出す必要があるんだ。
「私は今まで、どう生きてきたのか」
「私は何度、この場所から抜け出してきたのか」
これは自己肯定のための無理なポジティブ思考ではない。
《それでも今、ここに生きているよね》
という事実確認です。
過去の自分という、動かすことのできないデータを見ること。
そこには、今の苦しみだけでは見えなくなっている、もう一つの現実がある。
そして、過去の自分という事実を丁寧に見ていくと、さらに奥にある大きな事実に気づいていく。
私たちは、自分の力だけでここまで生きてきたわけではないということ。
心臓は、自分が命令しなくても動いている。
呼吸は、自分が意識しなくても続いている。
身体は今日も、私たちが気づかないところで、命を守り続けている。
命は、私たちが完璧になった時に完成するものではない。
すでに今この瞬間も、完璧な働きを続けている。
私たちはいつも「足りないもの」を探すことで苦しむ。
けれど、本当は命そのものが、最初から完全な働きを持っている。
その命への信頼を思い出した時、悩みは「自分の欠点」ではなく、ただ人生の中に一時的に現れている現象として見えてくる。
不安になっている自分。
迷っている自分。
失敗した自分。
それらは、私という存在の価値を決めるものではない。
波が起きても、海そのものが壊れるわけではないように。
私たちの本質は、その瞬間に浮かんだ思考や感情だけでは決まらない。
命に委ねるということは、何もしないことではない。
自分の奥にある、生きる力を信頼すること。
魔が差した視野から抜け出すということは、新しい自分になることではない。
もともとそこにある、命としての自分へ還っていくことなのだと私は思うよ。
それがmana therapyなのだ。
素にもどろう
我に還ろう
命は完璧、安心して委ねよう。
命を信頼して生き方を捉え直して
みよう。
