武士道・原爆・戦争・少子化どれも根っこは同じじゃないの?
「葉隠」や新渡戸稲造の「武士道」を読んでみたり、森鴎外の「阿部一族」なんかを読んだりすると、武士という者は簡単に死ぬ、というより切腹をします。
とてもとてもそんな気にならないのですが、武士にとって自分の命より大切なものがあったようです。
それは「誇り」であったり、「主君」への忠誠であったりするようです。(あまりよく知らないのですが)
それが武士の生き方だったのでしょう。
今の時代そんなこと言う人いません。
考えてみれば、そういう考え方が当たり前のこととして武士の間で認識されていれば、命より大切なもののために誇り高く死ぬことが価値あることだと思い、武士は死んでいったのだと思います。
みんながそう思うことによって、みんなの行動は決められるということではないでしょうか。
死より重いものがあるから、そのために死ぬことは当たり前のことだと思っていたのでしょう。
そう考えると、先の大戦で日本のほとんどの人が戦争を当たり前のこととして捉え、大切な自分の子どもが戦死することもやむなしと思ったのもそうでしょう。もちろん、戦地に赴いた若者たちも命をかけて戦うのも当たり前という気持ちだったのでしょう。
昭和20年になって本土空襲が毎日のようにされるようになっても多くの人は文句を言うこともなく、我慢して、プロパガンダされた「一億層玉砕」なんて言葉を信じていたのでしょう。(信じていなかったとしても、とても言えなかったですね。憲兵隊もいましたし)
みんながするから私もする。
主体性より、みんなと一緒
聖徳太子の時代からそうなのかもしれません。
和を以て貴しとなす、ですから。
変なことを言うと何言われるかわからない。
これが日本じゃないですか?
ですから日本はアメリカから見れば、占領しやすかったのでしょう。
日本はどうした国でしょう。
毎年夏になると思います。
6日・9日・15日と続く中で、なんて馬鹿な国民なんだと思っています。けれどその中にもちろん僕も入っています。
広島・長崎、もちろん東京の人も大阪の人も空襲を受けた人すべてが、爆弾投下を受けて初めて知ることになったと思います。
自分たちの愚かさを。
そういうのが日本なのだということなのでしょう。
翻って、最近のことを考えます。
やっぱり日本はどこまで行っても日本だと思わせられます。
〇〇ハラスメントって言葉です。
世界的に見てそういう傾向はあります。
me,too あたりから始まったのかなと思いますけど(個人的には)
でも、日本ってそれが行き過ぎてしまいませんか。
今じゃ〇〇ハラスメントが多すぎで
行き過ぎて
それはハラスメントと考えることがみんなの中で当たり前になっているということでしょう。なんでもハラスメントになってしまいますから。
都合が悪いとハラスメントになってしまって、自分の非を認めない風潮が出てきていると思います。
「不適切にもほどがある」というTVもうまいところを突いていてだからこそ、ヒットしたのでしょう。
みんなが思っているからでしょう。
当たり前という価値観が崩れてきていて、それはいいことだとは思うのですが、
それで、悪いのは全部相手のせい、ということになると、どうなるのでしょうか。
学校では先生が叱らなくなることが多くなっているようです。それが当たり前になってきているのかな?
だとしたらどうなのでしょう。
モンスターペアレントがその先駆けなのでしょうが。
今、小学校で荒廃している学校は多いと思います。
怖い者がいなければ、学校なんて何したっていいってなりますから。
というより、
主体的に学び、対話を重視すると言ってますが
そんなこと、よほど優れた先生しかできないと思います。
それに主体的というのは育てるものですが、
本来、10歳ぐらいの子に主体性ってありますか?
何をしたいというような思いはありますが(それを主体性と呼ぶのならそうですが)
もちろん、自分から学習に取り組む子はいますが
それって、圧倒的に少数です。
担任の技量でそうしたものは成長していくものです。
若者主体の学校でそんな簡単にできるとは思いません。
しかも、同時に教師のブラック化が問題になっていて
先生は昔のように自由に仕事がしづらくなっています。
先生だって自分の時間がほしいです。
ということは、先生の自分自身の学ぶ時間は
必然的に少なくなってきます。
それで、主体性にあふれた子ども?
う~ん、無理があるねえ。
しかも、先生になる若者がいない!
教育は大変だから、なり手がない!
それもそうだなあ。
みんなが言うからそうなのでしょう。
先生の中でも主体性のある人だけが
すぐれた先生になっていくのだろうなって思ってます。
みんな、そんなふうな流れになって
好きなこと言って
好きなふうに行動して
それが主体性なら主体性なんていらないかな。
みんな今の風潮に流されすぎだと思います。
わたしたち日本人は
好きならもっとやればいいじゃん。
うんと勉強しなよ。
明日の授業楽しみになるぜ!
とつい思ってしまってます。
コスパが悪い
タイパで判断する
なんてことも同じで
若者の中?ではやった言葉が独り歩きして
まあ、その方が実際
毎日を過ごす上ではいいのかもしれません。
だけど、その言葉のせいで生活のあらゆる場面でその言葉に支配されているように思います。
じわじわと浸透していき、easy livingに向かってしまっていませんか?
それって何か違うと思うのですが。
その正反対が「推し活」でしょう。
どれだけでも時間をかけます。
自分のできるだけのお金をかけます。
すごいです。
なんで、「推し活」だけが、全力を出しても許されるのでしょう。
それは、「推し活」という言葉がみんなに認知されているからでしょう。
だから、推しのものに対してはみんながそういうものだと寛容になれると思います。
好きにやっていいよ。きみの自由だから。
そういうことなのでしょう。
僕はこの「推し活」という言葉に希望をもっています。
それにふさわしい言葉がみんなの心に入っていければ、
案外簡単に今の困ったことを解消できるのではないかと静かに思っています。
例えば少子化です。
例えば結婚です。
例えば読書です。
どれも最近ひどく減少しています。
確かにコスパ・タイパが悪いと言われればその通りです。
僕は少子化・結婚はまあいいかな、とも思っています。でも、増えてもいいかなとも思ってます。
読書はなんだろう、人の厚みのようなものが読書している人から感じられることが多くて、それから自分の生き方を真剣に考えて、その結果実際に行動を起こすことができるような気がします。(もちろん、若いときに何も考えずに行動が
最初にあった人もいますが、そうした人も歳を経ると考え深い人になって、実に魅力的な人物になっています。経験とある程度の読書がその人の後ろにあると思います。)
そうそう、そんな少子化・結婚・読書もそれが
肯定されるような言葉が出てきてみんなに認知されれば案外人の心も変わっていくようになるかもしれません。
「推し活」のような言葉をだれか見つけてくれないでしょうか。
そういう言葉って、若者から出てくることが多いというか、ほとんどだと思ってます。
なんだ、案外いいじゃないかと思っただれかのつぶやきが出て来ないかなあ、なんてジジイはひそかに期待しています。
武士の話からなんと遠いところまで話を進めたのでしょう。
自分ながら、すごい飛躍がありますねえ。
正しいかどうかは知りませんが、思ったまま書いてみるとこんなふうになってしまいました。
これを書いている時間、
The Band "Music from big pink"を2回聞きました。
高校生のとき、僕はThe Bandとかのアメリカのちょっとなんていうかちょっと素朴?シンプルなロックバンドが大好きでした。ひたすら聴きまくって、雑誌を読んで。これって立派な「推し活」ですね。
