考えるという行為について
どうも、どうでもいいことを考える人です。
今回は初投稿ということもあり、自分の名前にちなんだ考えを投稿してみます。
人類が進化の中で考えるという行為をし始めたのは、環境に適応し生き残るためと言われています。
では何故、どうでもいい事を考える人が現れたのでしょうか?
当時、生存に必要無いことを考える意味はあったのでしょうか?
こんなことはインターネットで5秒で分かることだと思います。
ただ、あえて自分で考えてみることにしました。
まず、個人的に思うことですが、どうでもいい事を考える意味は間違いなくあると思います。
何故そう思うかというと、選択に彩りが出る気がするからです。
選択に彩り?と思った方もたくさんいるでしょう。
私の考える彩りとは、「本来、生存には不適切な選択」をすることのできる自由だと思っています。
例えば、生存に適切な選択だけでいえば、食べ物や飲み物の種類はもっと少なくても良かったはずです。
つまり、コーラやポテチ、ピザなどは健康的に良くないと言われているので人類にとって不必要になるのです。
でもそうならずに、「健康的ではない」とされている人気商品は数え切れない程あります。
それこそが選択に彩りがあることと考えます。
健康や効率を度外視で「こんな物があったらいいな」とか「こんなものを食べたい」とかそんな考えを持つ人類がいつの日か現れたことで、今の我々に繋がっていると強く感じています。
おそらく、難しいことを無理に考える必要はないのです。
なんとなく感じたことを、ちょっとだけ頑張って頭の中で言語化してみる。
たったそれだけで、「未来を形作る何か」に繋がる。
そうなればロマンがあっていいなあと、何となく感じてます。
こんな感じでゆるく、拙い文章を投稿しますのでお時間に余裕がある時だけ覗きにきてくれれば嬉しいです。
