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『また、息ができる。ワンオペ育児の私への思いがけない贈り物』#一言で表せない感動応募作


その贈り物は突然だった。


一月の終わり。
義務的にのぞいたポストに、ちょっとふくらんだ茶色い包み。
『なんだろう?』と宛名をみると懐かしい筆跡。
大学の時の教授からの贈り物だった。


ちょっとだけ心当たりはある。
私が年賀状に少しだけれど、
気づく人には気づくHELPを書いたから。
年賀状の返事はあったけれど、
『やっぱりそうだよね。
 頑張りすぎないように、頑張らないと。』
と思った記憶がよみがえる。


そして突然の贈り物。
手紙だけじゃなくて、少し重い。
3歳の子どもが近くにいて、
『なに?なに?ぼくの?』と聞いてくる。
その質問に『これはママのだよ。ママの先生から。
なんだろう。なんでもママはとっても嬉しい。』と答えた。



包みにはメッセージカードと本が2冊とチョコレート。
なんて素敵な贈り物。


年賀状には働きながらのワンオペ育児が辛いこと、
社会人になって感じていたジェンダーギャップが
出産後にさらに強くなったこと、
また勉強がしたいこと、を書いていた。


先生は働きながらの子育てが大変なことに共感し、
社会的資源を使うことに罪悪感を覚えなくていいと
メッセージをくれた。


そしてきっと息抜きのためのチョコレートと
おすすめの本。
その贈り物すべてが私にとっての答えのように感じた。


子どもを産んだら、
今まで感じていたジェンダーギャップとは別次元のギャップ
を感じた。
今までは訴える余裕のあるジェンダーギャップだった。


私が子どもを産んで思ったことの一つは、


『男性は父親になる。
   女性は母親になるのではなく、母親という生き物になる。』


ということ。


今の日本の社会構造では、
仕方のないことなのかもしれない。
でも人格まで変えることを強いられた世界で
さまようことはつらい。
夫の生活はそれほど変わらず、
私だけが自分をなくしたように感じた。


子どもが生まれてとても幸せなのに、
息ができないと思う時があった。



そんな時の先生からの贈り物。
2冊の本は、
『ケアの倫理ーフェミニズムの政治思想』
『アダムスミスの夕食を作ったのは誰か?』


通勤時間に読んで気づいた。
息ができる、と。


胸の中に新鮮な空気が入っていく感じ。
また息ができている。
とても難しい本だったけれど、
少しずつ、また息をしながら読んだ。


日々の生活に具体的な変化があるわけではない。
でも、私はまた息をしている。


母親になって、
ただただ幸せな人もいると思うけれど、
母親という生き物になることを強いられることに
抵抗を感じる人もいると思う。
でも、私はまた息をできるようになった。
この感動を伝えたい。



#一言で表せない感動

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