「なんでだろう」が「なるほど」に変わる時……。第39回小説すばる新人賞に応募した「本当の理由」。
「ね、母さん、知らない?」ーーセリフと現実のぶつけ合い
2026年8月22日にnoteで書いた記事に、僕は第39回小説すばる新人賞に応募した理由について語りました。正確には、「あること」をきっかけに執筆を始めたものの、その正体については何も明かしていませんでした。なぜなら、明かしてしまったら、僕が書いた物語のネタバレになってしまうと思ったからです。
物語の投稿を始めた今なら、話してもネタバレにはなりません。むしろ、僕の物語の「背景」についてより深く知ってもらう機会になると信じています。
8月22日に書いた記事に、こうも記しました。
「僕が物語を書き始めるきっかけは、主人公が自分の母に言う一言でした。今年の新年の頃、その一言で僕は頭がいっぱいになって、あの一言が僕が書き始めた理由となるくらい、僕はそのことしか考えられなくなりました。毎日、あの一言を反芻し、僕の時間を何に使うべきなのか自分に問うほど、僕はあの一言に振り回されている気がしました」と。
主人公の秋子が言うその「一言」は、下記の通りのセリフとなります。
「ね、母さん、知らない?」
登校するための支度をしようとする秋子は、普段穿いてるジャージが見つからない所から、物語は始まります。そして、僕自身が物語を書くことに夢中になったきっかけにもなりました。
「なんでだろう?」と問いかけてみましたが、やっぱり答えは見つかりませんでした。未だに、分からないのです。どうしてそのセリフが僕の頭に浮かんだのか?どうしてそのセリフの一行のせいで僕の「日常」が崩れ始めたのか?どうして? なんでだろう? と問い詰めれば詰めるほど、僕は分からなくなりました。ある一点を除けば。
「僕が書いた物語は完全に架空の物語ではありません。」そう8月22日の記事に書いた僕は、こうも付け加えました。「僕が書いた物語の主人公が発するその一言は僕を救ってくれました、とそんな綺麗ごとではありませんでした。書き始めた時、僕は辛い時期を過ごしていました。」
秋子が言うセリフに、僕は非常に苦しめられました。なぜなら、僕は秋子と同様「性同一性障害」の当事者だからです。訂正します。僕が性同一性障害を抱えて生きているから、秋子が生まれました。僕は「秋子」に託しました。僕の負の感情を。そして、親に反発したかのように、「秋子」は倍にそれを僕に返してしまった。「僕たち」がぶつかり合いながら、僕自身が、いいえ、僕だけが傷つけられました。
「なんで僕が生んだキャラクターに辛い思いをさせられなきゃならないのだろう?」と考えてみましたが、やはり、僕を完全に説得させるような答えを出すことができませんでした。ある一点を除けば。
「親子関係」ではなく、「僕たち」は二つで一つの「人間」だという統合失調症的な関係を築いてしまった。僕は秋子で、秋子は僕で、僕の苦しみは秋子の苦しみとなってしまい、そして、秋子の苦しみが僕に投げ返されました。書けば書くほど、カタルシスが狂い始め、発散先になる代わりに、僕が書いた物語は、醜い鏡と実体化してしまった。
創造者へのキャラクターの反発、ネガティブな感情の膨らみと発散――そのすべての過程は、心の浄化に繋がっておらず、心をさらに暗い底に沈ませました。だから、なんで書き続けたのだろう? 物語を終わらせることはできたのに、なぜ息苦しさに押しつぶされるまで書き続けてしまったのだろう?
答えはただ一つです――物語を書くことで、変えることを望んでました。「変える?何がですか?」と聞かれたら、僕が変えたかったのは「僕の人生の物語を」とこう答えるのでしょう。
分かり合いはぶつけ合いの裏返し?
8月22日の記事に、「僕が書いた物語のきっかけというその一言が何なのか、なぜ僕の作品が僕を救わなかったのか、この記事では明かせません」と宣伝していました。今回の記事で、すべてを洗いざらいにすることで僕は、物語と自分自身の物語からの自由を求めます。そして、「分かり合い」を求める旅に出たいと思います。
突然のカミングアウトで申し訳ないですが、僕が書いた文章に繋がる唯一無二の意図ですので、結びついた糸の先を辿らなければなりません。僕は生まれつきの男性ではありません。僕のキャラクターと同様、僕も「女」として生まれ、30年以上生きました。「生き延びました」と言った方がいいかもしれません。
性同一性障害を抱えていると知ったのは、比較的に「最近」でした。物心がついた頃から、僕はある違和感を抱きながら、子供時代を過ごしていました。「なんでだろう?」という一文が僕の頭に浮かんだのは、ありふれた日常の流れの中でした。例えば、人形と遊んでいるのに、なんでおもちゃの車で遊びたいと思っているんだろう? なんで兄たちが遊んでいるビデオゲームに惹かれているのだろう? なんでスカートやドレスを着るだけで、拗ねる羽目になってしまうのだろう? なんで、クラスメイトの女子たちみたいにかっこいい男の子に惹かれていないのだろう? なんで? なんで? と繰り返せば繰り返すほど、僕はその違和感を膨らませてしまった。
人形よりおもちゃの車やビデオゲーム、スカートよりパンツ、かっこいい男子より可愛い男の子、女子たちと遊ぶより男子とサッカー、恋愛ドラマよりサスペンスドラマ、守られたいと思うより、守りたいと思う――僕の好みは明らかに周りの女子たちとずれていると感じました。成長するにつれて、僕が他の女子たちと違うということから目を逸らしました。なぜなら、僕が育った環境はこういう話題に触れるのにそれほど前向きではなかったからです。
長い間、僕は勉強に僕のすべてを注ぎました。勉強すれば、「女」は「男」とそれほど変わらないのだと、僕は信じていました。大学でアメリカ文学を学んだ僕は、ある作家の作品の女性登場人物の「女性へと成長していく過程」についての論文を書きました。評論文を読み、自分の解釈を出しても、僕は「女性」という言葉と仲直りすることができませんでした。むしろ、その言葉からさらに遠ざかり、僕は、やはり「女性」ではないという「疑問」にしがみつきました。
「なるほど」は「なんでだろう」の償い
その疑問を晴らしたのは、勉学のおかげではありませんでした。一つのドラマの鑑賞が、僕の心の中にあった「僕の今までの人生」に意味の光を照らしました。上野樹里さんが出演された『ラスト・フレンズ』というドラマでした。上野さんが演じる「瑠可」というキャラクターは性同一性障害を抱え、自分の体への嫌悪感に耐え、周囲から悩みを隠しながら、自分の苦しみを言語化できず、れっきとした病名があったことも知らずに日々を送っていました。ある日「美知留」というかつての女子同級生と再会してから、瑠可の人生は一変しました。そして、瑠可は自分の心の底に潜んでいた疑惑を、自ら解決すると決めました。カウンセリングを受け、タケルというシェアハウスの一人に打ち明け、瑠可は受け入れる道に足を踏み出しました。
その女子同級生との再会は、瑠可にとって自分が性同一性障害の当事者であることを認識するきっかけとなりました。僕は『ラスト・フレンズ』を鑑賞することで、僕もそうではないかという深い疑問を言語化できました。そして、長い間自分を問い詰め続けていた「なんでだろう」は「なるほど」に変わりました。
『ラスト・フレンズ』が放送されたのは2008年でした。僕が鑑賞したのは2018年でした。その時僕は、瑠可と違って、カウンセリングを受ける余裕も機会も与えられませんでした。それでも僕は、子供のころから感じ続けていた感情を理解するチャンスを与えられました。
ですが、理解は「救い」だとは限りません。むしろ、理解したところで何もできないのがあまりにも残酷でしたから、「救い」が来るのを望みながら、僕は「救い」を自分の手で掴むのを諦めました。あまりにも辛い時期の連続を重たく感じているうちに、僕は2026年を迎えました。
僕の物語の主人公(秋子)と同じく、僕は「女性」ではないという自覚を持ちました。そして、秋子と同じように、「女性」として生きることに日々悩みました。つい最近まで、息苦しさの牙に締め付けられすぎて、僕は生きる意志も失いかけました。単刀直入に言いますが、自殺のことも考えました。僕の物語を書けば書くほど、その結末が妥当だと、僕には思えてきてしまったのです。秋子の結末も。僕の結末も。
そして、僕は応募した物語の続編を想像してしまった。秋子の人生のこれからは、僕をさらに苦しめました。ネタバレを防ぐために詳細は言えませんが、秋子の人生が僕の人生と逆方向に流れていくことは、僕にとって許されないことでした。
僕の人生から希望が消えてしまった。それが物語を書いたきっかけであり、物語から苦痛を覚えるきっかけでもありました。絶望から絶望へ。物語から物語へ。僕が生み出したキャラクターにぶつけた感情が倍となり、僕に投げ返され、救いも償いも不可能の渦に巻き込まれて、僕の目の前から消え去っていった。そう思っていました。
でも、やはり、諦めたくはありませんでした。続編を想像した時点で、諦めたくないという叫びをあげていたのかもしれません。僕の心と頭で作り上げた物語が、僕の手に負えない物になってはいけないと、僕は強く感じました。だから、『ラスト・フレンズ』の瑠可のように、僕は「変える」ことを選びました。言い換えれば、僕は「死」より「生」を選びました。僕の「性」への違和感を和らげるための「意思」と「時間」を培ったのです。「知恵」を得たところで、その知恵を「力」に変える「時間」と「意思」がないなら、水の泡のように、空気に消え去る運命しかないと、僕は思います。
秋子に僕のすべてを託したことで、僕は秋子というもう一人の自分と分かり合うことができました。涙を流しましたけど、涙の雨の後の安堵は本物でした。今、この記事を書いている僕は、動揺していません。「記事」は「物語」と違って、過剰な感情に干渉されない場所だと、僕は感じています。今の記事を書くことで、僕は「物語」と違う形で僕の「事実」と向き合い、改めて肯定することができたのです。
「なんでだろう‥‥‥?」
僕が自分自身に疑問を持ち続けたせいで、僕はたくさん苦しんで、辛い思いをしました。それは僕の「なんでだろう」が、孤児のように知恵を引き継ぐ親がいなかったからです。学びを得るすべがないのに、問い続けても意味がないのです。その問いは自問のまま自分の頭の隙間に積み重なっていくだけです。
それでも、問い続けるのを止められませんでした。
僕が自分自身に疑問を持つことを止めなかったおかげで、僕は自分自身のことをいっぱい知ることができました。僕について色んなことを学んだからこそ、僕は自由になれる道を拓くことが出来ました。僕の人生を刻み込んだ「なんでだろう」はやっと報われました。
――「なるほど!」と。

