感動する短編小説 【ひまわりの記憶】
「ひまわりの記憶」
古びた町の外れに、一軒の小さな花屋があった。
看板には「ひまわりや」と手書きで書かれており、店先には色とりどりの花が所狭しと並んでいた。
花屋を切り盛りしているのは、七十を超えた老女、佐知子だった。腰は少し曲がり、歩みもゆっくりだが、手入れされた花々はみな生き生きと咲いている。その理由は、彼女の毎日の声掛けにあった。「今日もきれいに咲いたね」「水が冷たいだろうけど、がんばってね」──花に話しかけるのが、彼女の日課だった。
ある日、花屋に一人の少年がやってきた。制服姿の高校生で、目を伏せがちに店先を覗いている。
「いらっしゃい」
佐知子が声をかけると、少年は小さな声で尋ねた。
「……ひまわり、ありますか」
季節外れだった。冬を迎えたこの町で、ひまわりを見かけることはない。
「いまは咲かないのよ。でも、種ならあるわ」
そう言って佐知子は棚から袋を取り出し、少年に見せた。
少年は袋を手に取ると、しばらく黙り込んだ。そして、ぎこちなく微笑んだ。
「これ、ください」
支払いを済ませると、彼は深く頭を下げて去っていった。
それからも、彼は時折店を訪れた。今度は肥料を買いに、またあるときは土を。佐知子が尋ねても、少年は多くを語らない。ただ「ひまわりを育てたいんです」とだけ答えた。その眼差しは、どこか切実で、真剣だった。
春になり、夏が近づく頃、少年は初めて大きな笑顔を見せて店を訪れた。
「咲きました! ひまわりが!」
携帯の画面を見せると、そこには鮮やかな黄色の花が並んでいた。
「母が、病院の窓から見えるようにって……僕、どうしても育てたかったんです」
そのとき初めて、佐知子は彼の事情を知った。母親が長い入院生活を送っており、外に出られない。せめて窓から夏の景色を見せたい──その思いで、彼は懸命にひまわりを育てていたのだ。
夏の盛り、彼はもう一度店に現れた。だが、その顔は沈んでいた。
「……母が、亡くなりました」
小さな声で告げられたその言葉に、佐知子は胸が締めつけられた。
「ひまわり、見てもらえましたか」
問いかけると、少年は涙を浮かべて頷いた。
「最後の日に……『きれいね』って、言ってくれました」
それから数日後、店の前にひとりの女性が訪れた。少年の父親だった。手にはひまわりの花束。
「息子から聞きました。妻は本当に、あの花を見て喜んでいました。彼がここで種を買っていたことも……ありがとうございました」
夏が過ぎ、秋になり、やがて冬が来た。少年は以前ほど花屋に顔を出さなくなった。受験や新しい生活で忙しいのだろうと、佐知子は思っていた。
翌年の夏、花屋の前に見覚えのある影が立った。成長した少年──いや、もう青年と呼ぶべき姿だった。
「お久しぶりです」
「まあ……元気そうね」
彼は照れくさそうに笑い、花束を差し出した。黄色いひまわりの花束だった。
「大学に受かりました。母に報告したくて、墓前に持って行こうと思って」
佐知子は胸が熱くなった。震える手で花束を受け取り、涙をこらえながら言った。
「きっと喜んでくれるわ。あの子の育てたひまわりだもの」
青年はしばらく黙っていたが、やがて真剣な眼差しで口を開いた。
「僕……将来、花に関わる仕事をしたいと思ってるんです。母の笑顔を見てから、ずっとそう考えるようになって」
佐知子は目を細め、ゆっくりと頷いた。
「花は人の心を癒やすもの。あなたのひまわりが、お母さんを笑顔にしたようにね」
店先に並ぶ花々が、夕陽に照らされて輝いていた。
その中で、青年の持つひまわりの花束がひときわ眩しく光って見えた。
