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尊敬する人と、私を作るものの話

「尊敬する人や目標にしたい人はいるか」と聞かれたなら、その時私は迷わずに細美武士の名前を挙げる。

自分自身と向き合うために、彼なら嫌がるだろう憶測も交えながらこの文章を書いていく。


「尊く」「敬う」と書いて「尊敬」
「尊」という文字には「重んじる、身分や価値が高い」という意味があり、「敬」は「慎む、祈る」などの意味がある。合わさった「尊敬」は「相手の人格や能力、言動、功績を優れていると認めて敬うこと」。
単に好きである事とは異なり、「その人を見習いたい、仰ぎ見て賞賛すること」らしい。
これ以上ないくらい的確に表現してくれる言葉だと思う。

私の源になって自分を作り上げているものは、これまでの人生の中で出会ってきた物語や出来事を通じて得た価値観すべてだ。
楽しいムーミン一家、魔女の宅急便、3月のライオン、天使なんかじゃない、彼氏彼女の事情、ハリーポッター、有川浩、山田詠美、漱石、芥川、スピッツ、アジカン。いずれも幼少期から学生時代の思春期にかけて出会ってきた。

細美武士という人に出会ったのは2008年前後、当初私は高校生で、なんとなく曲が好きだな、すごいな、声が格好いいな、くらいだった。
彼の存在が人生に加わって、「好きなアーティストの一人」から「尊敬する人」になったことに気がついたのは、2014年あたりくらいだと思う。


繰り返し手にとって盤面が擦り切れて映像が飛ぶほど観てきた、彼がフロントマンを務めるthe HIATUSの「Keeper Of The Flame」のドキュメンタリーのDVDは、こう語る一場面から始まる。

「楽しいことって人それぞれ違うじゃん。
ライブを楽しくやって、
みんなで酒飲みに行くのが楽しい人もいて良いと思う。
でも俺は違うんだよ。
もっと燃えていたいから、
限界を更新していくって事の方が楽しいんだよ。
余裕のあるところでチャプチャプやってるより、
自分に負荷をかけて、乗り越えていく方がそっちの方が生きてる実感がすごくある。
痛みがあったり辛いことがある方が。
だから今、すごく楽しい」

「お前らにとっては楽しいでいい。
好き放題でいい、楽しい、暴れて好き放題やればいい。
でも俺にとっては 闘いなんだよ」

「Keeper Of The Flame Tour 2014 Documentary」

この少し前の時期、私はthe HIATUSはもちろん、ストレイテナーのライブでも、好きで観に行ってるくせにシンプルに自分がピンポイントで特に好きな曲がなかなかライブで聴けなかったり、周りから「すごく音楽が好きなんだね」と言われることに誇らしくありながらも、その気持ちを守ろうとするあまり縋り付くように依存して、惰性も含んだしんどい思いを抱えながら音楽に触れて、それでも執念のようにライブに通い続けて、その結果予想もしていなかったタイミングで、思いがけない瞬間に脳天を撃ち抜かれて視界が開けるような思いをする機会がそれぞれであった。


好きなアーティストのライブを観る時、ただ楽しい、と思うことはあまりない。
ほとんどの場合、ライブを、ステージを通じて自分の記憶や人生について、出会ったものについて考えてばかりだ。
同じ場にいた人が機材やMCについて詳細に覚えているのを後から見かけて、自分は集中できていないのか、何をしに行っているのか、アーティストに対して失礼ではないのかと落ち込んだこともあるし、今もたまに思う。


だけどこの言葉で、美しくも高潔でもない醜いだけの、誰の何の足しにもならない思考も、そんな自分の在り方すらも許されたような気がした。


「3月のライオン」で主人公の桐山零を引き取った幸田棋士が、実の息子の歩が零に勝てなくなり、遂に挫折して将棋を辞めた時に引き留めず、こう語る。

「進めば進む程、道は険しく、まわりに人はいなくなる。
自分で自分を調整・修理(メンテナンス)できる人間しか、どのみち先へは進めなくなるんだ」

「3月のライオン」

先に進む人というのは、魂を注ぐように身を削って傷つきながら楽曲を作って、全身全霊をかけてライブをして、ステージの上で思い切り笑って、時には隠さずに涙をこぼす。
オーディエンスに触れて歓喜を知り、そうしてまた立ち上がって歩いていく。
ずっと完璧じゃなくても、進むことをやめない。
彼のことのようだ、と思った。



わたしは彼の人のように人の心を揺さぶるような優れた曲を作れるわけでもない。誰かのための何者にもなれない。
音楽雑誌に掲載されるような鋭い視点のレビューも書けない。

周りの目を気にするくせに、自分に自信をつけて変えることができるのは自分の努力だけだとわかっているくせに、すぐに明日やればいいと逃げ出してしまう。

それでも、ライブハウスのステージとフロア以外の場所を望むことはないけれど、この人の前に立つ時、私は敬い憧れるこの人に恥じない自分でありたいと、折に触れて思うのだ。

挫折だらけだ。絵に描いた人生なんて一度も歩めていない。
それでも確かに、努力してきたこともある。

魔女の宅急便で絵描きの少女のウルスラが語っていたように、自分の呟いてきた言葉や行動はすべて誰かの言葉の受け売りなのかもしれない。

誰かからの借り物でも、それが無限に増えて組み合わせを変えていけば、いつか自分のものになるのだろうか。
そうやって、頑張って、苦しんで、もがき続けたら、いつか私は私になれるだろうか。

友人と飲みながらこの話をした時、その生き方は苦しいよ、と言われた。
諦めたくなかった。辞めたくなかった。
意地だった。
頑張りきれなくてずっと自分を責めていた。


こんな思いを抱えながら、彼のバンドの中でも、特にthe HIATUSを観る時は、私にとっても一番自分自身に向き合う闘いだった。



けれど、冒頭のドキュメンタリーでの言葉から10年以上が経った今、細美武士その人自身も変わったと思う。
長年the HIATUS以外の、MONOEYESやELLEGARDENのライブにも足を運ぶ中で実際、「頑張り続けたらいつか楽になれるのかもしれないと思ってたけど、わかってきた、楽になることなんかない」という話をしていたこともあったし、
つい先日のthe HIATUSの7年ぶりのエレキセットでのライブを見て、歳を重ねたんだなということを改めて感じた。老けたというわけではなく。

わかっていたつもりだったし、地獄の業火に焼かれるようだった「あの頃」に戻って不幸になって欲しいわけでは決して無いと強く言いたい。
でも、同じ楽曲を歌っていても、ステージからの当時と伝えたいことも、オーディエンスがそうであって欲しいと受け取りたいことも、まるで形を変えているけれど、お互いが確かにそこにいることを強く確かめ合うようなひとときだった。

優しくなったな、と思う。
今回のBack Into The Noise Tourの東京公演のMCで「the HIATUSを始めた時は周りが皆敵に見えていた」語っていたらしいし、実際当時の宣材写真での眼差しは周りの人を攻撃しているような視線の強さだったけれど、それこそKeeper of the flameのあたりから心境に変化ができて、そして今、音楽として人生に共にあり続けてくれている。

ずっと、憧れてきた。

ステージに立っていない間、何を見て、何を感じて、そんな風に変わっていくことができたんだろう。

聞いてみたい気持ちがないわけではないけれど、聞いたところで私自身がいろんな物事に関わり合いながら、自分だけの答えを見つけていくしかないんだろう。

どこまで頑張れば楽になれるか。
答えなんかない。
自分で自分を許しながら、今を認めながら、生きていくしかない。


ああ、もう、良いんだ。


細美武士という人を知ったあたりからの10年以上、私の人生の中心は音楽だった。
この長い時間の中でずいぶん音楽に依存している実感もあったし、仕事や恋愛などの出来事を経て、音楽への執着がいい意味で薄れていると感じることもあった。

私の中には冒頭の言葉がずっとあって、きっとこの灯火は完全にはなくなることはきっとないけれど、
執着しなくても、業を背負わなくても、負荷をかけて乗り越えるばかりではなくても大事に思う気持ちだけで、もう良いんだ、と、北海道までライブを観に行って、永い時を経て、ようやく思えた。


「あんまり誰かを崇拝するのは、自分の自由を失うことだよ」という、楽しいムーミン一家のスナフキンのセリフがある。
その通りだと思うし、私はいくら尊敬している人でも全肯定で盲信したくはない。
生きづらいこの世の中、一つも後ろめたい事情を持たない人間なんてそういない。

それでも私は、その生き様を、きっと生涯尊敬していくのだと思う。


"I know you're somewhere so close to me"

the HIATUS「Unhurt」


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