美しい光景と、赤ちゃんと、あこがれ
ある朝、私は職場にほど近い公園に面したカフェに来ていた。
大きなガラス窓から見える木々と遊具が、日の光を浴びてきらきらと輝いていた。
その窓に面した席に、若いご夫婦と赤ちゃんが座っていた。赤ちゃんはよだれ掛けをつけて、おそらくは、やっとたっちをし始めたくらいの月齢だ。
支えられながらパパの膝の上に立ち、ガラス窓に両手で触れながら、外を見て喜んでいる。
あの子は世界を求めているのだ。
窓から見える外の光景。その世界を、小さな手のひらで掴み取りたいに違いない。
さんざめくような白い光を浴びた世界が、あの子には宝石のように輝いて見えるのだろう。だから、美しい外の世界へと出てゆきたいと願う。
外の世界へのあこがれが、生まれ出づることへのあこがれが、赤ちゃんの体全体から湯気のように立ちのぼっていた。
そう言えば、「あこがれ」には二通りの漢字表記がある。「憧れ」と「憬れ」だ。
「憧れ」という字から察するに、「あこがれ」とは童(わらべ)の心であるらしい。
もう片方の「憬れ」という字には、光景の「景」の字が入っている。
景の心とはなんであろうか?
美しい光景にふれたいと願う心のことか。もしくは、ある光景を見て「美しい」と思う心のことか。
あの赤ちゃんには、おそらく公園がものすごく新鮮に見えている。
木々も、遊具も、それをきらめかせる日の光も、全部が初めて見るものに近い。
一方、私たち大人は同じ景色を見ても、
「公園だな」
くらいで済ませてしまうことがほとんどだ。
だとすれば、世界そのものが誰にとっても美しいというより、「あこがれ」の目で見るからこそ、世界は美しく見えるのではないか。
言い換えると、「あこがれ」とは、世界に美しさを見出すある種の眼差しなのではないか。
いずれにせよ、今この瞬間において、あの赤ちゃんは実に良く「あこがれ」を体現している、と言えるだろう。「憧れ」と書くにせよ、「憬れ」と書くにせよ。
ふいに、赤ちゃんがこちらを振り向き、目が合った。
ややあって、笑顔が弾けた。
ああ、なんて美しい光景。
そう感じた私の中にも、世界に美しさを感じるまなざし、つまり「あこがれ」が、湧き出ていたのに違いない。
「#エッセイしりとりコンテスト」に参加させていただきました。
私にしりとりのバトンを渡してくださったのは、雲谷ナツさん。
普段はあまり「エッセイ」として意識して記事を書いていないので、改めて「エッセイとはなんぞや?」ということをちょっと考えてみたりして、とても良い機会になりました!
雲谷ナツさん、そして主催者のマイキーさん、面白い企画に参加させてくださりありがとうございました!!
さて、しりとりのバトンですが、緒方えりさん、恐縮ですが受け取ってくださいませんでしょうか。
・「霧を晴らす魔法」→「美しい光景と、赤ちゃんと、あこがれ」→「れ」で始まるタイトル
・「#エッセイしりとり」のタグをつける
・企画は8月31日まで
・書かなくてもいいし、バトンを止めてもいいみたいです!
緒方えりさんは、5歳の息子さんと3歳の娘さんを子育て中のリケジョママさんです。
2人の成長を見守る子育て日記をたくさん書かれているだけでなく、ご自身の本を出版したり、編集・デザイン担当として他の著者さんの本に関わったりと、マルチに活躍されています!
子育て日記の記事からは、お子さん達が個性をのびのびと発揮するのを喜ぶ、緒方えりさんの「まなざし」が感じ取れるはず。
ぜひ読んでみていただきたいです!
ではまた!
