少しだけ自分のことを…|お墓のない家のお盆――人はどこで、亡くなった人とつながっているのだろう【AI時代の故人の偲び方】
今日は、いつもの温浴施設でのお話ではありません。
介護の関係で少々温浴施設には足が遠くなってしまっています。
お盆ということもあり、少しだけ昔のことを書いてみようと思います。
とはいっても、私には「お盆の思い出」というものが、ほとんどありません。
子どもの頃から両親は商売をしていましたので、お盆は休む時期というより、むしろ書き入れ時でした。
家族そろってお墓参りへ行った記憶もありません。
それどころか、父方には、私が子どもの頃にはお墓そのものがありませんでした。
仏壇もありませんでした。
ですから子どもの頃の私は、
「お盆って、なんぞや?」
という感じだったのです(笑)
大人になるにつれて、ようやく知りました。
亡くなった人を迎え、そして再び送る。
ご先祖さまを思い、手を合わせる。
世の中には、そういう時間があるのだと。
ところが、それを知ったところで、我が家には相変わらずお墓がありません。
しかも母方の家系も、父方に負けず劣らず少々複雑です。
結局、我が家では長い間、
「お盆って、なんぞや?」
のままでした(笑)
父にとって、父親とはどんな人だったのか
私の父は、5人兄弟の長男です。
現在91歳です。
父の母、つまり私の祖母は、身体があまり丈夫ではなかったのか、それとも出産後の体調が良くなかったのか。
詳しいことは分かりません。
父も、あまり思い出したくないのでしょう。
細かなことは、ほとんど話してくれません。
一方、父の父。
私から見れば祖父にあたる人は、昔ながらの職人さんだったようです。
気に入った仕事ならする。
気に入らない仕事なら、やらない。
そして仕事がなければ、朝から酒を飲んでいる。
父の話をそのまま受け取るなら、なかなか豪快な人物だったようです。
いや、少々言葉を選ばずに言えば、
かなりの「ロクデナシじいさん」だったのかもしれません(笑)
父が10歳くらいの頃、戦争の影響で家族そろって疎開することになりました。
5人兄弟の中には、まだ小さな弟もいました。
ただでさえ戦時中です。
生活そのものが大変な時代だったでしょう。
ところが疎開先でも、祖父はあまり働かなかったそうです。
そのため、まだ子どもだった父も家計を助けるために働いていたと聞いています。
今でいうアルバイトのようなものだったのでしょう。
父にとっては、自分で働いてお金をもらえる日が楽しみだったそうです。
ところが――。
父が働いているところへ祖父がやって来て、そのお金を持っていってしまう。
しかも、一度や二度ではなかったようです。
そのお金が何に変わったのか。
だいたい想像がつきます。
酒です。
10歳くらいの子どもが働いて得たお金を、父親が持っていって酒代にしてしまう。
今の感覚で考えても、かなりつらい話です。
ましてや、まだ戦争の最中です。
父にとって祖父という存在は、幼い頃から安心できる父親ではなかったのでしょう。

重い現実としてそこにあったのかもしれません。
学校を辞め、奉公へ
その後、父は高校へ進みました。
しかし高校1年から2年生くらいの頃、祖母が亡くなります。
学費を払い続けることも簡単ではありません。
父は私と違い、非常に勉強が出来るタイプです。
ちょうど丁稚奉公として働ける場所もあったことから、父は学校を辞め、奉公へ出ることを決めました。すごく悔しかったそうです。
まだ十代です。
今なら、親に守られていても何もおかしくない年齢です。
けれど父は、ずっと早い段階から「自分で生きる側」に回らなければならなかったのだと思います。
戦争。
疎開。
貧しさ。
母親との別れ。
そして、父親との確執。
少年の肩に乗せるには、少々荷物が多すぎます。
父は、その後祖父と距離を置くことになります。
そして、
「もう二度と関わらない」
と決めたそうです。
その決意は、生涯ほとんど変わりませんでした。
父は、最後まで祖父を許しませんでした
祖父がその後、どこで暮らしていたのか。
いつ亡くなったのか。
私は知りません。
父自身も、知ろうとはしなかったのかもしれません。
今、父が91歳です。
普通に考えれば、祖父はもうずっと以前に亡くなっているでしょう。
それでも父は最後まで、祖父を許せなかったようです。
私は、それを責める気にはなれません。
「親なんだから許したらいい」
「もう昔のことなんだから」
そんな言葉は、外側にいる人間だから簡単に言えるものなのだと思います。
父にしか分からない時間があります。
父にしか分からない痛みがあります。
10歳の少年が感じた悔しさを、91歳になったからといって消せるものなのか。
それは私には分かりません。
私にとって祖父は、少し不思議な存在でした
ところが、私にとって祖父の印象は少し違います。
私は祖父とほとんど関わった記憶がありません。
手元に残っているのは、たった一枚の写真くらいです。
父にとっては、不倶戴天とでも言いたくなるような存在。
けれど私にとっては、どこか架空の人物に近い存在でした。
子どもの頃、両親は商売で忙しくしていました。
私は一人で過ごすことも多く、結構寂しかったような気がします。
そんなとき、私は勝手に心の中に「おじいちゃん」を作っていました。
実際の祖父とは、おそらくまったく違う人物だったでしょう。
優しく話を聞いてくれるおじいちゃん。
自分を見守ってくれるおじいちゃん。
そんな人を、頭の中で勝手に作っていたのです。
今考えると、少し面白いものです。
父にとっては、できれば思い出したくない人。
私にとっては、会ったこともないのに、どこか心の中にいた人。
同じ一人の人間なのに、見る人によって、こんなにも存在の形が変わります。
なぜか、お盆になると祖父を思い出します
お墓もありません。
子どもの頃には仏壇もありませんでした。
現在はご先祖さまをお祀りする仏壇がありますが、少なくとも私にとって、お盆とお墓参りは昔から強く結びついてはいません。
それなのに、なぜでしょう。
お盆になると、私は祖父のことを思い出します。
たった一枚しかない写真。
父から聞いた断片的な話。
そして、自分の中で勝手に作り上げた祖父の姿。
形らしい形など、ほとんど残っていません。
それでも、
「ああ、そういえばおじいちゃんがいたんだよな」
と思います。
もしかすると、人が亡くなった人とつながる場所は、お墓だけではないのかもしれません。
写真だったり。
匂いだったり。
料理だったり。
口癖だったり。
身体の特徴だったり。
自分でも理由の分からない、ふとした瞬間だったり。
人の記憶というものは、案外いろいろな場所に残っているものなのでしょう。
ちなみに私は、比較的お酒が強いほうです。
これは祖父譲りなのでしょうか。
ロクデナシを貫いたじいさんではありますが、丈夫な肝臓だけはいただいたのかもしれません(笑)
一枚の写真を見ながら、あることを考えました
最近、私はAIを使う機会が増えました。
文章を書く。
調べ物をする。
画像を作る。
プロジェクトを作り上げる。
いろいろな形でAIと付き合っています。

記憶の輪郭が少しだけ近くに感じられる時代になりました。
そんな中で、ふと思ったことがあります。
あの祖父の写真。
たった一枚しかない古い写真を、AIで少し綺麗にできないだろうか。
白黒写真なら、色を付けることもできます。
傷んだ部分を修復することもできます。
そして今では、写真の人物にわずかな表情や動きを付ける技術もあります。
まばたきをする。
少し顔を動かす。
こちらを見る。
さらに技術を使えば、言葉を話しているような映像を作ることさえできます。
もちろん、それは本当の祖父ではありません。
声も分かりません。
どんな話し方だったのかも知りません。
AIが作ったものは、あくまで「想像された祖父」です。
それでも私は、一度作ってみたいと思っています。
いつか父に渡してみたいもの
そして、できることなら。
その写真から作った映像を、いつか父に見せてみたいと思っています。
これは、私の密かな計画です。
ただし、父に祖父を許してほしいわけではありません。
「もう昔のことだから水に流せ」
などと言うつもりもありません。
父の記憶を、AIで都合よく上書きしたいわけでもありません。
父が91年生きてきた中には、私には触れられない場所があります。
そこへ土足で入るようなことはしたくありません。
ただ――。
もし父の中で、長い間止まったままになっている時間に、違う角度から光が当たる瞬間があるのなら。
そのきっかけを、そっと渡してみたいのです。
だから、いきなり祖父を喋らせるようなことはしないでしょう。
まずは古い写真を綺麗にする。
そして、ほんの少しだけ動く祖父を作る。
そのくらいでいいと思っています。
父に、
「親父さんの写真、AIでこんなふうになったけど、見る?」
と聞いてみる。
父が、
「見たくない」
と言えば、それで終わりです。
それも父の答えです。
でも、もし、
「見せてみろ」
と言ったなら。
そこから何か一つでも、父の記憶が出てくればいいと思っています。
「あいつは、こんな顔じゃなかった」
でもいい。
「もっと怖い顔をしていた」
でもいい。
「そういえば、こんなことがあったな」
でもいい。
許さなくてもいいのです。
ただ、一人の少年だった頃の父が、少しだけ自分の人生を振り返るきっかけになれば。
そんなことを考えています。
AIは、人を生き返らせるものではありません
AIで写真を動かしたからといって、故人が戻ってくるわけではありません。
そこは、きちんと分けて考えたいところです。
けれど、AIによって昔の写真を修復したり、色を付けたりすることで、それまで遠い過去だった人が少しだけ身近に感じられることはあるのかもしれません。
私たちは昔、お墓や仏壇、写真、手紙などを通して故人を偲んできました。
これからは、その中にAIという新しい道具が加わるのでしょう。
良いことばかりではないと思います。
使い方によっては、本人が言っていないことを言わせることもできてしまいます。
だからこそ、大切なのは、
「これは本物ではない」
と分かったうえで使うことなのでしょう。
故人を作り替えるためではなく。
残された記憶に、ほんの少し触れるために。
そんな使い方なら、AIもまた新しい「偲び方」の一つになっていくのかもしれません。
人は、どこで亡くなった人とつながっているのでしょう
お墓がなくても。
仏壇がなくても。
人は、亡くなった人を思い出します。
逆に、お墓があったとしても、心の中で思い出すことがなければ、それは単なる石になってしまうのかもしれません。
私は祖父をよく知りません。
良い人だったとも言えません。
むしろ、父の話だけを聞けば、とても良い父親だったとは言い難いでしょう。
それでも私は、この人がいたから父がいて、父がいたから私がいます。
そして今、私には孫がいます。
祖父。
父。
私。
娘。
そして孫。
こうして並べてみると、不思議なものです。
お墓がなくても、人は人の中を流れていくのかもしれません。
顔だったり。
性格だったり。
身体だったり。
考え方だったり。
そして、ときには酒の強さだったり(笑)
そういえば、私も「おじいちゃん」でした
祖父のことをあれこれ考えながら、
「おじいちゃんって、どんな人だったんだろう」
「今の父を見たら、なんて言うんだろう」
「今の私を見たら、なんて言うんだろう」

だからこそ、貯金と貯筋は大事です(笑)
などと想像していました。
リハビリを頑張っている母を見たら、何と言うのでしょう。
91歳になった息子を見たら、何と言うのでしょう。
そんなことを考えながら、今晩は酒のつまみに祖父にも少し付き合ってもらおうか。
そんな気分になりました。
そこで、ふと気づきました。
私も、もう「おじいちゃん」でした(笑)
祖父のことを考えている場合ではありません。
今度は、自分が孫からどう記憶されるかという番です。
少なくとも、
孫から小遣いをせびって、それを酒代に変えてしまうようなじいさんにはならないようにしたいと思います(笑)
どんなじいさんになれるのか。
それは、これからのお楽しみです。
ただ一つ。
将来、孫に迷惑をかけないためにも、
貯金と貯筋だけはしておこうと思います(笑)
そんなことを考えた、今年のお盆でした。
