現代民謡は、既に郷土色を失っている
僕の発信のテーマは【地域と音楽】。
これを語る上で、民謡は欠かせない存在です。そこで「日本民謡集」という、1960年発行の民謡をがっつりまとめた本を読みました。
この本では、北海道から沖縄・奄美に至る歌がどっさり紹介されている史料です。それに加えて巻末に、とても示唆に富んだ記述がありました。
なんか民謡って「伝統的な音楽」的なイメージがあるけど、どちらかというと「伝統的な音楽を壊した音楽」だと感じました。
①民謡は、明治に出来た言葉で多面的
本書でまず驚いたのは、古来の伝統だと思っていた「民謡」という言葉自体が、明治期の翻訳語として成立したという事実です。江戸から続く言葉とかじゃなかった!
用語の変遷:江戸時代までは「俚謡(りよう)」「俗謡」「地方唄」などと呼ばれていて、単なる「土着の卑俗な唄」という扱いでした。それを、明治24年に、森鴎外がドイツ語の「Volkslied」を「民謡」と訳して紹介したことを皮切りに、知識層の間で「国民の精神を表す高尚な文化」へと定義が書き換えられました。
5つの多角的解釈:本書では、民謡を単一の音楽ジャンルではなく、以下の5つの側面から定義しています。文化であり思想であり。
国文学:万葉集から続く「ことば」の歴史的変遷。
音楽学:旋律やリズム、楽器構成の分析。
詩学:北原白秋らによる、芸術的な「創作民謡」としての価値。
民俗学:文字を持たない庶民が、生活の術を口承で伝えた「記録」。
哲学:集団の協働作業から生まれる、精神的な連帯感の象徴。
②民謡は、生活と仕事のツール
民謡は、歌なので芸能というか娯楽的に思われますが、それは違います。実用的な生活の道具です。
例えば⋯
時間・工程の管理:「酒造唄」や「田植唄」のように、朝・昼・晩といった時刻や、米を洗う・蒸すといった具体的な作業工程ごとに唄が決まっていました。これによって、作業の終了時間を測る「タイマー」的な役割や、複雑な手順を記憶する「マニュアル」の役割を果たしていました。
労働効率の最適化:鉱業の「採炭節」や建築の「杭打唄」などは、多人数での重労働において呼吸を合わせ、負傷を防ぎつつ効率を最大化するための、極めて機能的な「ペースメーカー」でした。
産業別の細分化:農業、漁業、林業、鉱業、さらには「凍豆腐」「寒天」「藍」といった特定の加工産業に至るまで、当時の日本のあらゆる産業構造に密着した唄が、驚くほど緻密に分類・記録されています。
③民謡は、絶えずアップデートする
民謡は、土地に固定された不変の遺産ではなく、人々の移動や暮らしの変化とともに絶えずアップデートされ続けてきたものです。そう、民謡の本質は「変化」にあり、その時代の大衆に愛唱されることで何とかつないできた歴史があるんです。
ハイヤ節の伝播と定着:九州・長崎の「ハイヤ節」は、北前船の船乗りによって日本海を北上しました。それが各地に届くと、新潟では「佐渡おけさ」、山形では「庄内はえや節」、青森では「津軽あいや節」へと、その土地の言葉やリズムを吸収して別の曲へと生まれ変わりました。
産業構造に合わせた書き換え:信州「伊那節」は、かつては山岳信仰を歌う「御岳ぶし」でしたが、地域が米の輸送で潤うと「米の唄」へ変わり、さらに大正期に舟遊びが観光化されると「天竜下れば」と、地域経済の主力に合わせて歌詞がアップデートされてきた。
地域性とは「地域の中で使われること」
この本が出た昭和前半には、民謡は地域の中で歌われていた仕事歌としての役割を終え、消えゆく伝統であったと考えられます。それを掘り起こし、芸能としてカスタマイズすることで全国区になります。その結果、流行して知られ、文化として生きながらえることになりました。
そんな当時の民謡ブームに対して、著者は厳しい論を示します。
「民謡」の本質は、やはりその生れた土地の匂いという点にあるべきで、その土地の匂い——即ち郷土色を失った「民謡」は、もはや「民謡」ではなくて最下級の「流行唄」に堕したものといってよかろうと思う。
こわーっ!
最下級の「流行唄」に堕した⋯って⋯
当時、ラジオやテレビと言ったマスメディアにより、誰もがステージ芸能として再出発した「きれいな民謡」を聴けるようになりました。その過程で、先に書いた役割を失っています。
音楽としての文化的側面に収束し、地域の仕事歌としての役割を終え、変化が止まりました。地域の風土の匂いが削ぎ落とされた訳です。
「消えゆく文化を残さねば」と再定義された結果、民謡の本質から遠ざかってしまった皮肉。
なるほどなぁ。
地域性とは「地域の中で使われて移ろうこと」とする定義もあるという気づきがありました。地域で生まれた音楽であることは変わらないけどね。使われてなんぼというか。
ご当地ソングを考えるうえで、忘れちゃならない要素だなと肝に命じておきたいと思います。
