介護危機をめぐる世代間不平等 ――「社会全体の問題」という物語の再検討(前編)
少子高齢化に伴う介護危機は、しばしば「社会全体を覆う構造的問題」として語られる。高齢者人口の増加、現役世代の減少、介護人材の不足、医療・介護費の膨張。これらは確かに日本社会全体に関わる重大な課題であり、その意味で「誰もが当事者である」という言説は一定の説得力を持つ。しかし、この語り方は問題の分布を過度に平準化し、実際に誰が、いつ、どの程度の負担を集中的に引き受けるのかという点を曖昧にしてはいないだろうか。
人口構造を冷静に見れば、介護危機は無差別に社会を襲う現象ではない。団塊世代と団塊ジュニアという、歴史的に例外的な人口規模を持つ二つのコーホートが、時間差で高齢期と介護期に突入する。この反復性のない人口構造こそが、将来の介護需要を極端に歪めている。特に2030年代半ばに予測される最初のピークでは、団塊世代が後期高齢期に達し、要介護人口と介護医療費、さらには介護労働需要が同時に最大化することがほぼ確実視されている。
重要なのは、この時期に主たる介護負担を引き受けるのが、団塊ジュニア世代であるという点である。彼らは人口規模が大きい一方で、就労環境は必ずしも安定せず、年金・貯蓄面でも十分な余裕を持たない層が少なくない。親の介護と自身の生活維持、さらには子世代への支援が重なる、いわゆる「三重負担」が構造的に発生する。ここにおいて、介護危機は「世代間の一般的対立」ではなく、特定の時代条件のもとで特定の世代に集中する不均等な負担構造として現れる。
それにもかかわらず、現在の議論では介護危機はしばしば「高齢者対若者」という単純な対立軸で語られるか、あるいは抽象的な社会全体の問題として処理される。その結果、負担が集中する世代の存在や、その集中が歴史的に一回限りであるという事実は十分に可視化されてこなかった。これは単なる分析上の不足ではなく、政策的・倫理的な問題を孕んでいる。なぜなら、誰が犠牲になるのかが明示されないままでは、負担の分配について公共的な合意形成が不可能だからである。
介護危機をめぐる議論において、まず必要なのは危機の「遍在性」を強調することではなく、その「偏在性」を正確に描き出すことである。どの世代が、どの時期に、どのような形で負担を引き受けるのか。この冷酷に見える事実認識こそが、責任の所在と分担を議論するための前提となる。本稿の後編では、この問題提起を踏まえ、どのような制度的・社会的対応が考えうるのかを検討することにしたい。
