第3章『命の環(わ)をつなぐもの』第九話|風の約束

朝、神社の境内には淡い霧がかかっていた。
昨夜の出来事が夢だったのか、それとも現実だったのか。
優衣と花音は、ひかりを連れてゆっくりと鳥居をくぐった。
「ママ……昨日の、あれ……」
「うん。夢かもしれない。でも、ちゃんと感じたの」
風が吹く。
その中に、あの鈴の音が混じった。
――ちりん。
まるで「ここにいるよ」と囁くように。
社務所の前には、昨夜と同じ竹の水桶があった。
けれど、住職の姿はどこにもなかった。
優衣は静かに頭を下げ、花音もその隣で手を合わせる。
「光根さま、ありがとう」
「ありがとう」
二人の声が風に溶けていく。
ひかりが尻尾を立てて、どこかを見つめていた。
その視線の先――
石畳の端に、白と黒の毛がひとつだけ残っていた。
陽に照らされ、きらりと光った。
その日から、花音は日記をつけるようになった。
題名は「命の環(わ)ノート」。
ページの一番上に、こう書かれている。
> 風はいつも、誰かの声を運んでいる。
> その声が優しく届くように、今日も笑っていよう。
優衣はその文字を見て微笑んだ。
子どもの筆跡には、希望があった。
数日後。
花音が学校から帰ると、庭で小さな風車が回っていた。
優衣がそっとそれを指差す。
「見てごらん。風が、ミオの道を教えてくれてるみたい」
「うん……また会えるかな」
「きっとね。風の中で、いつも見てくれてるよ」
ひかりが花音の足元にすり寄り、鈴が小さく鳴った。
その音がまるで、返事のようだった。
夜。
花音は窓を開けて、風に手を伸ばした。
空には満月が浮かび、金色の光が降り注いでいる。
「ミオ、光根さま、ありがとう」
風が頬を撫でた。
ひかりがベッドの上で丸くなり、鈴の音がまたひとつ鳴る。
その音に合わせるように、花音は目を閉じた。
――また会う日の約束。
それは、言葉ではなく風の中にある。

