第3章『命の環(わ)をつなぐもの』第十話|ひかり、風になる日

春の終わり、窓の外では風が新しい緑を揺らしていた。
花音の腕の中で、ひかりが小さく鳴いた。
その声は、いつもよりも細く、やわらかい。
「ママ……ひかり、ちょっと元気ないね」
「そうね。きっと季節の変わり目で疲れちゃったのかも」
優衣は笑いながらも、胸の奥がざわめいた。
ひかりの瞳の奥に、どこか遠い場所を見つめるような光があった。
数日後。
動物病院の帰り道、花音は黙ってひかりを抱いていた。
小さな体が、かすかに震えている。
「ママ、また風が吹いてるね」
「うん。春の風は優しいから、大丈夫」
けれどその言葉を、優衣自身も信じきれなかった。
風の中に、ひかりの鈴の音が溶けていくようで、
どこか“お別れ”の予感を含んでいた。
夜。
花音は布団の中で、ひかりの体を包みながら囁いた。
「ミオに会ったら、伝えてね。ありがとうって」
ひかりは小さく目を閉じた。
その横顔に、月の光が静かに落ちている。
外では風鈴が鳴った。
その音が、まるで誰かの“呼吸”のように優しかった。
翌朝。
花音の枕元には、ひかりが丸くなって眠っていた。
まるで、穏やかな夢の中にいるように。
優衣が静かに手を当てた。
もう、動かない小さな体。
でも、その顔は本当に穏やかだった。
「ありがとう、ひかり……」
花音の涙がひかりの毛に落ちた。
その瞬間、風が窓を開けた。
カーテンが大きく揺れ、光が部屋に差し込む。
鈴が鳴った。
――ちりん。
金色の光の粒がふわりと浮かび上がる。
それは部屋を一周してから、静かに空へと昇っていった。
花音は手を伸ばした。
風の中に、あの声が聞こえた気がした。
――ありがとう。
――つないでくれて。
ひかりの鈴が、最後にもう一度鳴った。
その音が消えるとき、部屋には穏やかな静けさが残った。
数日後。
神社の境内で、優衣と花音はひかりの鈴を小さな箱に入れ、
竹の水桶のそばに置いた。
「ミオと光根さまのところへ、届きますように」
花音が祈ると、風が吹いた。
木漏れ日の中で、鈴がひとりでに鳴った。
――ちりん。
命は消えない。
形を変えて、風になる。

