はたとせによせて
2025年3月23日心斎橋ANIMA
ご来場頂き誠にありがとうございました。
いつも来てくれる皆も、懐かしい顔ぶれも、たくさんのバンド仲間たちも居てくれて、本当に体の底から痺れるような一日になりました。
竹家というギタリストが2020年12月30日にLONEを去り四年と少し、LONEはたくさんのことを経験しました。以下非常に乱筆となる可能性が高いので、先にご容赦下さい。
何よりまず、竹家脱退に期してLONEを解散するという選択肢を捨てたこと。これはとても大きな決断だったように記憶している。ここでLONEのヒストリーの一端としてメンバーの脱退加入が割とあったことを書こう。少し身も蓋もどっかいってしまいますが、本文筆者であるDrums担当のやまもとひろゆきは2006年に脱退、その後2013年に再加入、そしてベース熊田は同2013年に俺がから逃げるかのように脱退し、2016年だいぶ変な名前になってふんわりやんわり"新規加入"した。つまり、2020年末時点で、一度もLONEから離れずに活動してきたメンバーはボーカル毛利とギター竹家だけだった。そんなLONEにとってのウォール・ローゼのような竹家が爆散したことによって、毛利はかなりショックを受けていたと思う。雪山で遭難して、とうとう最後の一人になってしまったかのような孤独感と孤立感を感じたんじゃないだろうか。結果、そんな状態の毛利を抱えたLONEが「解散する」という選択肢を紙に書き並べたのは、今思い返しても何の疑問も沸かない。そんな中、最後には異口同音に「続ける」と言い合えました。そう、昔フニャフニャの状態の俺がYoutubeの動画で語った通り。でもそこからは、苦しかった。
1:三人編成期の始まり
中学生の時、当時まだインターネットは本格的には普及しておらず、Youtubeもなかった。故に圧倒的情報弱者な僕はthe pillowsが3ピースバンドだなんて知らなかった。だって音源どう聞いてもギター2本なってるやん!!(確認したらマジで2本鳴ってました)
まあその後すぐ、3ピースで鬼のようにカッコいいバンドにめちゃくちゃ出会うんだが(それはまた別の頁にて)
ともかく、バンド組もうぜ!となった2005年の6月か7月に当たり前のように毛利が4人集めて来たので、もうそれがバンドの在り方として刷り込まれていた。音楽に捧ぐ魂の形の一部が定まった瞬間であった。そしてそれが15年越しに我々を苦しめたのであった。
ギタリストを失ったLONEは、まず3ピースでライブをした。大丈夫やろ!気合や!みたいなことを言いながら。だって3ピースで鬼(以下前述)はめちゃくちゃいたし。で、やってみた。観客の顔も手応えも分からない程に必死なライブがやっと終わって、うーんとなっている俺に毛利があまりにも当たり前で的確なことを言うのでびっくりしたのを覚えている(毛利にはこういう遠回りを一切しない思考をするという特技がある)。「まあ、俺らの曲ギター2本で作ったからな。2本ないと成り立たんやろ」
ほんまや
とても鮮明には言語化できないが、3ピースのLONEでライブをして覚えた違和感の分だけ、とても当たり前なその発言に激しく同意した俺たちは更に狂っていった。
2:三人編成+無機物
3ピースでのライブ数本に全力で臨む傍ら、当時Pangeaで音響をしていた四反田さんという凄腕エンジニアにアドバイスを頂き、次の作戦を思いついた。
「アンプから同期のギター音源流したろ大作戦」
天才や!!
(ギター音源をパソコンから外のスピーカーに出力するのは何らかの信念に触れる感じがして嫌だった。ならせめてアンプから。でもインピーダンス(抵抗値)がPCとギターアンプでは合わない。リアンプ用のDI使えば解決するよ、というアドバイス内容でした)
もう相当にやられていた俺はそれしかないと思い立ち、毛利とギターのレコーディングに勤しんだ。幸い、自分たちでレコーディングできる環境はあったので、昼夜問わず、思い出補正によるところでは二週間不眠不休でひたすらにギターを録音した。そして、振り返ってみるとあまりに奇天烈な形態でのライブの準備が整った。
(こう書くと当時も応援を続けていてくれた人に余りに失礼な気がするので付け加えておくと、当時のLONEにとっての最良で全力の決断だったのです。その時のライブを見に来てくれていた人なら、解ってくれていると祈っています。)
ライブをしてみて、3ピースのときよりは満足のいくものになったと感じた。
裏方の話は芸術の世界ではあまり好まれないかもしれませんが、「同期音源を流す」ということはドラムの僕がクリック(メトロノーム)を聞きながら演奏することになります。それあたり、起伏のある演奏が可能なようにクリックをオンタイムから絶妙にずらしたり、rit.(徐々にテンポが遅くなる)できるように"魔"改造したり(思い返して書くとネガティブな表現になっちまうごめん)して、味のある演奏を目指しました。
結果、俺の心が折れてしまった。これまで、毛利の歌を誰よりも良く聴いて、ベースを感じ、竹家のギターでアンサンブルとテンポ感の調和をとりながら演奏をしていた俺にとって、この時の形態でライブをすること自体が苦行以外の何物でもなくなっていった。鼓膜を直接強打してくるメトロノームによって、本来グルーヴが生まれるはずの各奏者の尊きブレのようなものから俺の聴覚は一切遮断された。何処に向かっているのか思考が追いつかないまま、暗室での個人練習のようなバンド練習を積み、ライブをこなす日常が続いた。そんな中でも、毛利は「ある意味いつもBPMが安定するので歌いやすい一面もあるのかもしれない」とポジティブな意見でバンドの士気を保ってくれいた。
そしてついに、一番に聞きたい毛利の歌が全く聞こえなくなっていることに気付いてしまった俺は、ライブ終わりに苦しくて泣いてしまった。そうして顔も上げられなかった俺に誰かが言った、「サポートギターを入れよう」
3:四人編成の再来 ―ウルトラサポートギタリスト爆誕―
何も新たなギタリストを迎えるという選択肢がなかったわけではない。それでも、存在感とスター性の権化である竹家にとってかわる、というかそもそも論としてLONEのギタリストは竹家以外に考えられなかった。
そして3人でやっていくぜ!というオラオラの塊で始まったゴリラ的三人編成期(ゴリラに失礼だ)の初頭においては、艱難辛苦を乗り越え三人でステージに立つことこそがLONEというバンドに対する敬意であり、我々の美徳に適う在り方であると信じていた。故に、竹家以外のギタリストを迎えるのは、文字通り最終手段と考えていた。
そして前述にて紐解かれたように、最終手段の撃鉄を俺が起こしたわけになります。
あくまでまずはサポートギタリストを入れてみようという話になり、数週間を経て数名が候補に挙がった。ちなみにその中の一人は俺の最も尊敬するギタリスト、folcaの裕也さんでした(実はね)。そしてもう一人、コロナ禍でライブがあまりない時期にジラフポットの中野がソロでライブ配信していた時にギターサポートをしていたカンカン。
バンドにはそれぞれに独特の呼吸があり、それを知らないままに所謂クリックどおりに正しく演奏しても、何か全然合わないのだ。サポートギターには"LONEの呼吸"を体得してもらいたかったことを最大の理由として、当時大阪に住んでいて綿密にスタジオ練ができるカンカンにサポートしてもらうことになった。
俺の鼓膜と懇意にしてくれていたクリック先生を燃えきらないゴミに分類し、カンカンとのスタジオに大きな期待と少しの不安を抱いていた。
幾度かのスタジオ練を積み、2022年3月13日の我々主催「業業天国祭2022春」にてカンカンを正式にサポートギターとして迎えライブをした。


色んな気持ちが溢れてきたけれど一番は、「超絶に楽しかった」です。間違いなく。
多分、ずっと見てくれている人は俺ら以上に色んな感情に襲われたんじゃないだろうか。(何で半パン!?とかね)
俺にはもう色んなことがどうでも良かった。
毛利の歌がきこえた。それだけでとっても楽しかった。おそらくこの頃からしばらくは、俺はライブ中によく笑っていたと思う。わかりやすくめでたいやつだ。
時を同じくして、毛利もそんな俺を見てかは知らないけど、以前より少しだけ柔和なオーラを纏うようになった風に俺には見えた。といっても、鋭い儚さから慈しみのような儚さになった感じで、端的に言うとなんか菩薩っぽかった。
カンカンとの思い出は書き出せばきりはなく、ライブもツアー移動中の車内も、本当にずっと楽しかった。LONEの呼吸に馴染んできた頃には示し合わせたこともないのに、いつの間にか俺と彼がライブ中にアイコンタクトを取るセクションが何個もできてたりして、本当に一緒に演奏するのが楽しくて、心強い存在になっていたよ。そんな言うまでもない、もはや言わないほうが美しいことすらここに書き留めたいほどに感謝しています。三年間、LONEを生かしてくれてありがとうカンカン。本当にありがとう。

4: 初めての作曲
この四年間で初めて俺がLONEの曲を作ることに挑戦した。丁度一年前の2024年3月にリリースした「画用紙の海」というとてもお気に入りの曲です。

それまでは曲の構成やコード旋律の編曲が主な僕の制作における役割だったのですが、三人になって暫くして、なんやかんやで初めて挑戦してみた。僕が曲を書こうと思った理由についてはまだもう少し、あるいは数年後にお話できればなと思っています。(普通それを書けって思うよな、すみません)
画用紙の海は、非常に複雑な曲でコードや転調の仕方など面白いことをかなりやっているので、作者としてこの曲の聞き所をまた別の記事で紹介できればなと思います。
そして画用紙に引き続き、「ペテン師の生き恥」という曲も書かせてもらいました。これは決意と応援がテーマになっているので、なんだか風変わりなタイトルではありますがよく咀嚼して頂きたい内容の詩になっています。リリースをお楽しみに。
これからは作曲家としての私の活動にもご期待頂くとともに、毛利が作る曲との空気感の違いを楽しんで頂ければ幸いです。
しかしながら、このことは毛利だけが作曲者だったLONEにとっての一大事だったことに変わりはなく、この曲を完成させた俺は当初、LONEのなにか重要な部分を穢してしまうことになるのかも知れない、という恐怖と後ろめたさがあったことは事実なので誰に向けるでもなくここに独白する。それでも今は、この20年間一人で創造力という大小可変の化け物とずっと戦ってきてくれた毛利の横に、俺も並んで戦ったりして。願わくば背中でも預けてもらいたい。なんて風に思っている。
どうかこれからのLONEにも大いに期待していて下さい。
5. これからのLONE
近日のワンマンライブでどう見ても見知った顔のギタリストんが!!(読みにくいので独断で俺はこゆごnnGA!!と表記する)が加入した。また変な名前が一人増えてしまった(俺も変えるべきだったかな)。このどう足掻いても逃れないカルマのような構図は、もはや何より面白い。結局は、バンドを離れて色んな世界を知って、自分の心からの願望が浮き彫りになったんだろう。と思う。きっと。
皆には何処でもなく此処が自分の居場所だ、と思える場所があるだろうか。俺には少なくともバンドを置いて他にはない。ダサい言葉を綴ってしまうが、幸運にも人生のソウルメイトに出会えてしまった俺は、最大出力で射程圏外かも知れない所まで意識と体を運び続けることしかできないのです。
「歩くしかない、歩くしかできない」
尊敬する牛首の言葉を借りるならそんなところです。
3/30から書き始めて4月5日24:00現在。忙しい日々に一段落し、明日は奈良でライブだ。今日も2曲、新曲のレーコーディングを終えた。めちゃんこ良いものができているので、本当にお楽しみに。詳細は5, 6月くらいに知れると思います。
そして、日付と体調と精神状態をまたぎすぎてナンノコッチャわからなくなってきているので、本文は一旦終わりを迎えます。
LONEというバンドを続けられて本当に良かった。こうして音楽に対するイガネスを燃やし続けられるのは、色んな人のおかげなわけです。本当のところ、この四年間バンド単位で何度も挫けそうになりました。その度に勇気付けてくれたもとい、俺が勝手に勇気付けられた人たちに謝辞を送り、一旦締め括らせて頂きます。
牛首の抒情を帯びた表現を愛する一人としては恥ずかしいくらい直接的なのですが、この四年間、彼らがいなかったら俺は今こうして音楽を続けていられなかった。そんな彼らに感謝とリスペクトを込めて、決して直接ではなくこうしてインターネット宇宙の隅っこでひっそりと謝辞を送りたいと思います。
LONEを応援してくれている皆さん
為川裕也 / folca
中野大輔 / ジラフポット
森良太 / YOWLL, Brian the Sun
毛利, 牛首, カンカン, タカヒロ/ LONE
はたとせに寄せるはずが、はたとせ/5になってしまった。タイトルミスったな。
いや、乱筆は謝っておいたし。いいか。
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