「娘の幸せを願う」ということは、母の人生を肯定すること
母になって娘を育てると、
初めてわかることがあります。
自分が子どもの頃には、
当たり前すぎて気づかなかった母の心配。
鬱陶しいと思った言葉。
何度も繰り返された「大丈夫?」。
少し先回りするような愛情。
これを全部
自分が娘を育てる側になって初めて、別の角度から見る。
「あのとき、お母さんもこんな気持ちだったのだろうか」
そう思えた瞬間、
過去の母の姿が少しずつ変わっていく気がしています。
完璧な母だった、という話ではないんです。
間違えたこともあっただろうし、
言葉が足りなかったこともあった。
自分自身の人生に悩んだ日もあった。
それでも母は、
その時の自分にできる形で、私の幸せを願っていた。
そして今、自分もまた娘の幸せを願っている。
さらに・・不思議なことに、
「娘に幸せになってほしい」
という願いは、
娘だけに向けたものではなくなっていきました。
その願いの中には、
「私を育ててくれた母も、幸せであってほしかった」
「母の人生にも、母自身の幸せがあってほしかった」
「そして、母に育ててもらった私の人生も、これでよかったと思いたい」
という、いくつもの願いが重なっている。
だから娘の幸せを願うことは、
未来に向かって、
娘を送り出すことだけではないと思うんです。
自分の過去にいる母を、もう一度抱きしめ直すこと。
そして、その母の愛を受け取って生きてきた自分自身にも、
「よくここまで来たね」
「あなたの人生も、これでよかったんだよ」
と、ようやく言えるようになる。
母にも叶わなかった夢があったかもしれない。
我慢したこともあったかもしれない。
娘には見せなかった涙もあったかもしれない。
そんな一人の女性としての母を想像できるようになったとき、
母は「自分を育てた母親」から、
ひとりの人生を生きた女性へと変わっていく。
そして、その女性が自分を愛してくれた。
その事実に気づくことができた。
58歳の誕生日の夜。
少しだけ、いつもより
深い眠りにつくことができた気がしています。
