私が思う「瞑想」とは
瞑想という行為をし始めたのは5年以上前。
マインドフルネスという名前で出会い、なんとなくやってみました。
あぐらを組んで、目をつむって、呼吸に意識を持っていく…。
10秒もしない内に頭に浮かぶ思考、
それは振り払っても現れる。
次第にそれに捕らわれる。
そうこうする内に、あぐらが苦手な私は筋肉がプルプルしてくる。
横になってみる。
…寝る。
これが、3日続いてやめました。
半年ごとに「今ならいけるのでは?」という自信が湧き出てやってみるけど、結果はやっぱり同じでした。
でもなんとなく気になる「瞑想」
そして一年前に、音のヨガというものに出会い、
これだ!
と思って学び始めました。
自分の声を出して瞑想する
私が学んだ音のヨガは、
マントラという短い祈りの言葉を繰り返し唱えながら瞑想をする、というもの。
最初はサンスクリット語の祈りの言葉を唱えるのに懸命で、
唱え終わった後は安堵感で、頭の中が静かになりました。
でも慣れてくると、唱えながらもいろいろ考え始めます。
でも、それで良かった。
瞑想は「思考を止める」ことではなかったんですよね。
止めるんじゃない、眺めるんだ
思考が浮かぶという事は、脳みそが正常に機能しているということ。
なので、その浮かんできた思考を
ただ眺める… ということから始めました。
考え癖のある自分にとって、思考を眺めるということは
なかなか難易度が高かったですが、
すこーしずつ出来るようになり、日常の中でも自分の感情を眺めるということが身についてきました。
でもね。
だから?ってなるんですよ。
で?って。
音のヨガの授業が終わっても、瞑想は続けていましたが
なにやらまた瞑想に対して「君は何者なのか?」という感情が沸き始めました。
瞑想はその場を深くするもの
ある日出会った、デヴィッド・R・ホーキンズさん。
「瞑想は今いる場所を変える行為ではなく、
今いる場所を深く静かにする行為だ」
これだー!!っとなりました。
怒りの位置(場所)にいる人は、瞑想すると静かな怒りになり
恐れの位置(場所)にいる人は、静かな恐れになる。
そうなんです。ほんとそこなんです。
瞑想をしたら心が整うとか
違う自分になれるとか、
私が感じていた違和感の答えがこれだったんです。
瞑想しても、今いる自分の位置は変わらない。
だから、今の自分の位置を知り、日常からその位置を変える必要がある。
地下室の掃除を一生懸命しても、外から差し込む光の量は変わらない。みたいな。
でも、じゃあ瞑想はしても意味ないのでは?じゃなくて、
その位置を知り、位置を変えるために
瞑想は必要だと思うんです。
まとめ
現段階での、私にとっての瞑想とは。
今の自分の感情や感覚を知る。
↓
とにかくその感情や感覚を味わいまくる。
※汚い言葉や黒い影などを出しまくってOK!
↓
出し切ってくると、ちょっと冷静になってくる。
↓
その時の自分を客観的に眺めると、自分の思考パターンが分かり始める。
↓
日常で「あ、またこのパターン繰り返してる~」と気づけるようになったら儲けもの。
↓
そのパターンを眺めてる内に、自分の位置が少しずつ変わり始める。
と、いうところでしょうか。
デヴィッドさんが言っておられることとは違うかもしれませんが、
今のところの私にとっての瞑想への考え方をまとめてみました。
これからまた、瞑想って何!?となることもあると思いますが、
そしたらまた、ここにアウトプットしていきたいと思います。
ありがとうございました。
JUN
