「戦争に勝者なし」──ベトナム戦争終結50年と私たちの現在地
戦争の代償と記憶──ベトナム戦争から半世紀、そして今
2025年4月30日、ベトナム戦争終結から50年。南部ホーチミン市では記念式典が開かれ、指導部はアメリカを撤退に追い込んだ“勝利”を称え、共産党政権のもとで達成した高度経済成長を誇った。
確かに、あの戦争でベトナムは「勝った」のかもしれない。しかし、その「勝利」は300万人以上の命と、いまなお続く枯葉剤の後遺症、焦土と化した国土、そして世代を越えて刻まれた心の傷によって支払われた代償だった。
私が生まれた1960年には、すでに戦争は始まっていたが、当時の日本は東京オリンピック、大阪万博といった復興と成長の象徴に目を奪われていた。
私にとってテレビの画面に映るベトナムは、どこか遠い“別世界”の光景だった。
だが、今年1月にNHK「映像の世紀バタフライエフェクト」でベトナム戦争を扱った2週連続の番組を観て、そして映画『地獄の黙示録』を久しぶりに観直して、私は改めてこの戦争に向き合いたいと思った。
そしていま、ロシアによるウクライナ侵攻が続く中で、過去の戦争から学ばなければならないと痛感している。
数字で戦争は終わらない──「マクナマラの誤謬」
アメリカのロバート・マクナマラ国防長官は、合理主義と数値管理の申し子だった。彼は「ボディカウント(敵の死者数)」と「キルレシオ(米兵1人に対して敵10人)」という指標をもって、ベトナム戦争の勝利を測ろうとした。
だが、戦場において「数」は人間の意志を測れなかった。愛国心、怒り、悲しみ、家族への想い──それらは計測不能である。北ベトナムの兵士たちは、農村にまで空爆を受け、家族を失いながらも「自由と独立のためなら百年でも戦う」と言った。
マクナマラの“誤謬”は、数値化できるものだけを信じ、できないものを無視したことだ。そして、その結果は300万人もの犠牲、国家の分断、アメリカ国内の反戦運動という形で跳ね返った。
『地獄の黙示録』が描いた戦争の「狂気」
映画『地獄の黙示録』(1979年)は、単なる戦争映画ではない。それは、戦争によって「人間性」がいかに崩壊するかを描いた精神の旅でもある。
架空の人物カーツ大佐が密林の奥地で独自の王国を築き、神のごとくふるまう姿は、戦争という極限状態が人間をいかに狂気へと変貌させるかの象徴だ。ベトナム戦争が「泥沼」と呼ばれたのは、単に軍事的に敗北したからではない。戦う意味すら失われていく過程、そして兵士たちが正気と狂気の境界線をさまよう姿にこそ、本当の“敗北”があったのだ。
映画の名シーン「ナパームの匂いが好きだ」──これは狂気の中で平常を装うしかない兵士の姿であり、そこに倫理は存在しない。
メディアが暴いた“虚構の勝利”
1968年のテト攻勢。北ベトナムと解放戦線は100以上の地点で同時攻撃を仕掛け、アメリカ大使館に突入する場面がテレビ中継された。これがアメリカ国内に与えた衝撃は計り知れない。
「勝っている」と言い続けてきたアメリカ政府の言葉は、戦場のリアルな映像によって瓦解した。以後、反戦運動は広がり、ジョンソン大統領は北爆停止を決断。戦況よりも“国民の心”が、戦争の転換点を生んだ。
ホーチミンと「勝者なき戦争」
ベトナム側の闘いは、ゲリラ戦術と国民の献身が支えた。20万を超える青年突撃隊が、空爆で寸断されたホーチミンルートを修復し続けた。そのうちの半数以上が女性だった。未処理の爆弾に旗を立て、自らの命を危険に晒してでも道を拓く姿は、“英雄”ではなく、“人間”の意志そのものだった。
ホーチミンは、1919年のパリ講和会で8項目の請願を提出しても黙殺され、以後「民族の独立」のために人生を捧げた。
彼が遺した言葉──「独立と自由ほど尊いものはない」──は、数では測れぬ重みを持つ。
ウクライナ戦争に重ねる視線
2022年から始まったロシアのウクライナ侵攻も、当初は「短期決戦」が想定されていた。しかし、ウクライナは屈しなかった。NATOや欧州の支援もあるが、何より“祖国を守る”という国民の意志が戦争を支えている。
私は、ここにベトナム戦争と同じ構図を感じる。大国の独善、数値で計った作戦、そしてその裏で生きる人間たちの「心」──数では勝てない戦争が、ここでも再び起きている。
過ちの記憶を、未来へ
50年の節目に開かれた記念式典で語られた「勝利」と「成長」。その裏にあるのは、忘れてはならない犠牲の記憶である。
私たちの使命は、戦争を「称える」ことではない。「なぜ起きたのか」「なぜ止められなかったのか」を問い続けることだ。
あの戦争を“遠い世界”と見ていた1960年代の子どもとして、いま私は、その過ちを二度と繰り返さないために声をあげたい。
