100万ドルの笑顔
私は、子どもの頃の記憶があまりない。
転校が多かったからなのか、昔のことはところどころ抜け落ちている。
はっきり覚えているのは、小学校5年生くらいからだ。
でも、ひとつだけはっきりと分かる。
私は、ちょっと変な子だった。
いや、たぶん「ちょっと」ではない。
そもそも、私の母はなかなか変わった人だった。
セカンドバッグを置き忘れるなんて日常茶飯事。
一度は、車の屋根にセカンドバッグを置いたまま走り出し、そのままなくした。
デパートでは、マネキンの手を私の手だと思って握り、そのまま連れて行こうとしたこともある。
たぶん私は、かなり母の血を引いている。
そんな母には、独自の教育方針があった。
そのひとつが、
「近所の人に会ったら、100万ドルの笑顔で挨拶しなさい!」
だった。
その頃の母につっこみたい。
100万ドルの笑顔って、なんでやねん!
でも当時の私は純粋、素直。
近所のおばちゃんに会えば、満面の笑み。
母の知り合いに会えば、さらに満面の笑み。
私は毎日、惜しげもなく100万ドルを振りまいていた。
たぶん小学生のうちに、何億ドル分かは使ったと思う。
そのおかげか、大人ウケはとてもよかった。
「愛想がいいね」
「面白い子ね」
「しっかりしてるね」
そんなふうに言われることが多かった。
そして私は、小さい頃からなんとなく分かっていた。
「こう言えば、大人が笑う」
ということを。
ある年の初詣。
父に、
「何をお願いしたの?」
と聞かれた。
私は一呼吸おいて答えた。
「丈夫な赤ちゃんが産まれますように!」
もちろん、私は子どもである。
妊娠もしていない。
丈夫な赤ちゃんを産む予定もない。
ただ、大人が笑うと思ったのだ。
そして、ちゃんと笑った。
その瞬間、私は心の中で思った。
しめしめ。
今考えると、ずいぶん計算高い子どもである。
でも、たぶん私は、
その場で求められている自分を見つけるのが、妙に上手だった。
愛想のいい子。
面白い子。
大人に好かれる子。
そういう自分を、その場その場で作っていた。
だから、大人にはよくウケた。
問題は、
同い年には、そこまでウケなかったことである。
いわゆる、不思議ちゃん。なのかな。
アラフィフになった今でも、
その理由はなんとなく分かるような、分からないような。
ただ、ひとつだけ言える。
100万ドルの笑顔を振りまいていたあの子は、
その後もずっと、いろんな場所で「その場に合う自分」を作りながら生きていくことになる。
転校する時に、普通は悲しくなると思う。
でも、私は「次はどんな私になろうかな」
と少しワクワクしたものである。
本当の私はどこにいるのかわからないまま。
