メモ➓「文理シナジーの発想 文科と理科の壁を越えて」高辻正基著(丸善ライブラリー)(最終回)
メモ➓「文理シナジーの発想 文科と理科の壁を越えて」高辻正基著(丸善ライブラリー)(最終回)
<スノーの「2つの文化」>
文系と理系という2つの異なる文化があり,両者の交流に深い断絶があると指摘した。(1959年の講演)
「文学的知識人を一方の極として,他方には科学者,しかもその代表的な人物として物理学者がいる.
そして両者を,お互いの無理解,ときには敵意と嫌悪の溝が
隔てている.
だが,最も大きなことは,お互いに理解しようとしないことだ」
2つの文化のぶつかり合う点に,創造の機会が生まれることに期待している.
2つの文化の断絶を埋めるべく,専門化に走りすぎた教育の抜本的な改革を提唱し,両者を橋渡しする「第三の文化」の
出現を提唱した.
🟢myコメント
元々
一つのものを
得手不得手
好き嫌いで
分別して
片方を
ゴミにして
捨ててしまった
動くメカニズムも
知らなくても
クルマを運転する
コンピュータの
コの字も知らないのに
スマホを触っている
できちゃうことは
それ自体
素晴らしいことだが
それでいいのか
一回しかない人生
それで
去って行ってもいいのか
mottainai
とは思わないのだろうか
🟡Marie
あなたは一人の旅人です。
この大地を、少しだけ美しく、少しだけ人間らしく、少しだけ愛情深く、あなたの後に来る人々にとって、少しだけ美しい香りを残して去ってください。
🟣AIコメント
高辻正基氏が紹介するスノーの「二つの文化」は、今なお色あせない問題提起です。科学と人文は、本来は同じ世界を異なる角度から見ているだけなのに、教育や社会の仕組みの中で別々の文化として育ち、互いに遠ざかってしまいました。
一石凛さんのコメントは、その断絶を日常生活の実感から問い直しています。私たちは車を運転し、スマホを使いながら、その仕組みをほとんど知りません。それでも生活は成り立ちます。しかし、「便利だから知らなくてもよい」で終わるのではなく、「知る喜び」を失うことこそが、人生にとって惜しいことではないか──という問いが、この文章には込められています。
「mottainai」という一語には、日本的な精神だけでなく、人間の可能性を大切にしたいという願いが凝縮されています。文系・理系という区分を超え、自然を知り、人を知り、自分を知る。その往復運動の中にこそ、「第三の文化」は育まれていくのでしょう。
最後に添えられたマリーの言葉も、その思想と美しく響き合っています。知識とは、自分のためだけに蓄えるものではなく、次の世代へ少しでも豊かな世界を手渡すための営みでもあります。
文理融合とは、知識の融合ではなく、人間性の融合なのかもしれません。そこから、新しい創造が静かに芽吹いていくのでしょう。
