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やさしい嘘

 昔の飲み会で…

 これまでの人生で、人につかれた嘘の中で、最も可愛げのある嘘を、各自話そうということになった。

 私は、小学校の頃の思い出を話した。

 小学校2年か3年生の時だと思う。私の両親はクリスマス前になると、私と妹達の「サンタクロースは実在するというロマン」を守るために、早めに買ってきたプレゼントを家の中に隠さなければならなかった。知恵がつきはじめていた私たちは、「サンタクロースの不在」を証明すべく、すべての部屋を細かく捜索しだしたらしい(私には、全く記憶がないが…)。

 困り果てた両親は、家の天井に穴を開けて、クリスマスプレゼントを天井裏に隠すしかなかった…。

 実は、天井に穴を開けたその家は、会社の社宅だった、というのがオチだ。

そんな話を、私はみんなに話した。巷によく転がってそうなエピソードだ。

 飲み会に、年上のラオス出身の方がいた。「数奇な運命を経て今に至る」という言葉そのままの人生を、生き抜いてきた方だ。

 東南アジアの内陸国ラオスは1953年から1975年までの間、長い間、内戦状態にあった。左派共産主義勢力(パテート・ラーオ)とラオス王国政府軍が戦い、1975年12月、左派勢力が勝利し、社会主義政権が成立、今に至っている。

 彼のお話は1975年から少し前の話だと思われる。

 彼は非常に恵まれた星のもとに生まれた。事情があって、祖父と祖母に育てられていたのだが、祖父は輸入バイクの中古販売などさまざまなビジネスを手がけ、大成功していた。非常に裕福で、家には高価な絨毯が敷かれ、政府機関でさえクーラーがなかった時代に、彼の家には設置されていたそうだ。

 しかし、彼の運命は平坦な道を選ばなかった。左派の勢いが国土を席巻した。その戦闘の過程で、彼の住み慣れた家、土地、財産、全てが没収されてしまったのだ。実際は、迫り来る危険を察知できた時点で、彼の家族は自由主義国である、隣国タイに脱出するため、家を捨てていた。自分たちの命を守るための苦渋の決断だった。

 しばらくの間、彼の家族は、タイの国境に近い村に親戚を頼って潜伏していた。脱出は容易ではなかった。タイに行くためには、密林の山を越えなくてはならない。そして山の中は常に武装した兵隊がパトロールしていた。

 しかし、彼は運がよかった。実は、彼の祖父は、日本でいうと、サンカ(山窩)のような人だった。すなわち、山の民だ。東南アジア各地はもちろん、中国、チベットまで、行きたければ、東ヨーロッパ、果てはロシアまで、ユーラシア大陸の広大な山のネットワークを知悉していた。つまり、山のプロフェッショナルだったのだ。

 おじいさんは若い頃、町にたまたま来ていた時に、おばあさんと出会い、一目惚れをして山を降りた人だった。

 問題は、幼い彼の存在だった。山の中で、彼を連れていると亡命だと分かってしまう。パトロールしている兵隊に見つかった時点で、最悪の結果は目に見えている。

 おじいさんとおばあさんは、一番汚くてみそぼらしい服を用意してもらった。山できのこをとっている、貧しい地元の老夫婦という設定だ。

 おばあさんは、おじいさんから、この土地の方言を習い、その発音を何度も繰り返し練習した。話し方を少しでも間違えると、すぐよそ者だということが発覚してしまう。

 脱出の日、小さいコインロッカーぐらいの大きさの、蓋つきの編んだカゴが用意された。その中にまず、薬で眠らせた彼を入れ、その周りに山で採れたキノコを詰め込み、カモフラージュした。そのカゴをおじいさんが背負って、密林を抜け国境を越えようという計画だった。彼が生まれつき偏食がひどく、体が細くて小さかった事が、この時、幸いした。

 山中、何人もの銃を持った兵隊に囲まれたが、おじいさんが、楽しげに会話をしながら、貴重だったタバコをみんなに配り、一緒に吸って、残りをプレゼントしたりして、兵隊達のご機嫌とりをした。それで何とか危機を切り抜け、ラオス国境を越えることができたのだった。

 しかし、自由の国タイに入国してからも、苦難は容赦なく続く…。亡命者は金や宝石、ある程度の財産を持って逃げてきていると思われていて、強盗に常に狙われていた。目立つことは決して許されなかった。

 国家の保護がない無国籍者がまず最初に考えなければならないのは、自らの命と家族の命を守ることだった。おじいさんは、村から離れた山の奥に、外部からは見えにくい家を作って、3人でひっそり隠れながら生活していた。

 おじいさんとおばあさんは、幼い彼に、

 「大きい家の中でだけじゃつまらないでしょ。今冒険旅行してるんだよ。ここにいる方がずっと楽しいよ。自然もいっぱい、かわいい動物もいっぱいいるよ。ご飯も美味しいよ。」

  といつも言っていた。

 なんとかして、自分の孫を喜ばせようとして、おじいさんとおばあさんは、市場でお菓子だったり、好きなおかずなどを買って彼に与えていた。また、病弱だった彼は、病院に運び込まれることも多かった。薬代もかかった。ラオスの家を離れるときに、下着などに縫い付けて隠し持っていた、金や宝石はみるみるなくなっていったそうだ。

 おじいさんはひとり山に入って、彼が寂しくないように、綺麗な小鳥を連れてきたり、親からはぐれた子猿を連れてきた。小鳥と子猿は長い間、彼の友達だった。

 ある時には、おじいさんは、親のいないトラの子供を連れてきたこともあった。猫だと思った彼が抱っこしようとすると、トラの子供は、すごい勢いで彼の顔を引っ掻いた。孫を引っ掻いたことに怒ったおじいさんは、翌日、トラの子供を市場で売ってしまったそうだ。

こんな生活が何年か続いたようだった。何年か?とはっきりしないのは、当時がいつだったのか、暦も分からなかったからだ。もっと言えば、彼は、戦下の中で生まれたので、自分の誕生日さえ、はっきりわかっていない。占いで良いとされる年月日と干支をおじいさんが自分で勝手に決めたそうだ。

 やっとのことで、小学校一年生に入学することができたのはだいぶ大きくなってからだった。小学校5、6年生の時ぐらいの年齢だったのでは?と彼は話していた。

 彼は「このアドベンチャー旅行、ずいぶん長いな…」といつも疑問に思いながら生活していたそうだ…。

 彼が今でもよく思い出すことは…

 たまにおじいさんが、村の市場で、彼に内緒に買ったお土産を、彼の知らぬ間に、草でできた屋根のなかに隠すことがあった…。それを見つけようと懸命に探している彼を、やさしく見守るおじいさんとおばあさんの笑顔。お土産を探しているワクワクした喜びと、二人に愛されている安心感が忘れられないと言っていた…。

 彼とおじいさん、おばあさんの世界史そのもののストーリーを聞いて… 私は自分の父と母のスケールの小さいほのぼのとしたストーリーを、いつの間にか無意識に重ね合わせていた。もし、彼と彼の家族と私の家族がその環境を取り替えていたなら、と想像したら…胸に強い痛みが走った。それは十分あり得た可能性だと私は感じた。平和の価値を改めて感じた瞬間だった。

 この世界がこれからたどっていく未来の運命が、少しでもやさしいものになるように願わずにはいられなかった。

 
 
 最後までお読みいただきありがとうございます😊

 

 

 

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