【小説】月下の咆哮 1
「持つ者と持たざる者のレッスン」から2年後の時間軸

01 小野田ホールディングス 社長秘書室
少し長めの有給休暇を消化して、秘書課に戻ってきた緋月は、後輩の青樹が片頬を赤くはらしているのを見つけた。
「どうした、頬が片方赤いぞ」
18歳、社長につく秘書たちのなかで一番若い彼は肩をすくめた。
「リエさんに首根っこつかまれて、なぜ私のことを好きにならないの?って聞かれたから、逆になぜと聞き返したら叩かれた。わけわからないです」
「ああ、それ、俺もあったよ。あいかわらずだな、リエさん」
日本で有数の大企業、小野田ホールディングスを率いる社長の、「顔採用」と裏でささやかれる秘書室の美人女性秘書達の気が強いことは有名だ。
彼女たちはきれいであることを自覚している。そして、会社のトップの秘書であることが傲慢さに拍車をかけてトラブルの元になっていることは緋月も知っていた。
「この前、社長室を訪れた、笹エージェンシーの三元さんが、すれ違いざまに私の胸と腰に触っていったのを見つけて不機嫌になってたし」
青樹は、わけあって、16歳で小野田ホールディングスに入社し、入社前と入社後、緋月が私生活と仕事と両方面倒を見ている少年である。
大卒と院卒しかいない、このエリート集団の中で成長途中の細い体にむりやりスーツを着せて通う姿は小野田ホールディングスの本社に集うさまざまな人間の注目を集めていた。
男性なのに細い体のシルエットと、端正な顔、顎のラインできりそろえられた髪のせいで、男装をした美少女のように見える。
実際、青樹は様々な、その手の趣味の訪問客達に体を触られ、セクハラを受けていた。彼は言葉で抵抗するだけだ。
「手や足で抵抗してはいけないんですか?」
「ボディガードの連中を怪我させる位の力を持つお前が、下手に抵抗すると、相手を半殺しにしてしまう、よほどひどい目にあわない限りは、手や足をあげてはいけない、がまん、な、つらいけど」
それは正しい答えではないと緋月も自覚していた。本当は抗わないと相手は絶対調子にのる。しかし、彼は力の加減をマスターしていないので、青樹にその判断をゆだねさせることはできない。
過去に何人か、青樹の力をあなどったボディガード達が反撃をくらって病院の門をくぐったことを知っていたからだ。
「秘書なんてたくさんいるんだから、私、ボディガードの専属になりたい
です、この部屋にいたくない」
青樹はそう苦し気に吐露していた。
緋月はそれを否定した。
「お前は兵で、ボディガードや秘書とはまた少し異なった存在なんだ、総帥
の直の命令で動く、だから、いつも社長の近くにいて、彼の身を守ったり、
お前の得意とする言語で通訳をしたりしなくてはいけないんだ」
だから社長室の隣にある秘書室には滞在しなくてはならない。
彼の存在は他の秘書からも浮いていた。緋月はそんな彼をできるだけ守っていたつもりだった。
「緋月さん…小野田…やめるんでしょ………」
青樹はまっすぐな瞳を緋月に向けた。
「…………そうだ…よ、すまないな」
もうすぐ緋月はこの会社に別れを告げる。
美大を卒業後、絵を書くこととは無縁のこの会社に就職して、無難に生活をしてきたが、絵を描いたり、仏像を彫ったり、芸術品を修復をしたいという野望が復活してきてしまったのだ。
先日、京都のはずれの古い一軒家をアトリエにする為に泊まって自分でリフォームしてきたところだった。
「私は一人になってしまう」
「お前のことは、青梅で一緒だったマックスに頼んだよ、彼なら君の話をわ
かってくれると思う」
「マックスは…最近、群馬の山寺行ったまんま、こっちへは来ない」
彼を知るドイツ人の話をしたところ悲し気な返答が戻ってきた。
自分に対して良い印象を持たない者たちの中で働く彼の苦し気な顔を緋月は見てしまった。
危惧していたことはすぐに現実になった。
青樹は用事で訪れていた財務部の経理課で、そこの所属の社員の男に多目
的トイレに引きずり込まれ、暴行を受けそうになったのだ。
自分より背の高い男に壁際に追い詰められた。
その時、青樹は男の右手指を自分の手の握力で握りつぶしたのだ。
男は親指を除く四本の指の骨を骨折していた。
悲鳴をあげて、トイレの床に転がる彼を、冷ややかな目で青樹は見つめて
いた。
すぐに会社内で、二人に関する会議がもたれた。
青樹は上着のポケットからICレコーダーを提出し、セクハラに対する正当防衛を主張した。
その外見ゆえに性的な被害にあいやすいことを女性秘書たちも知っていたので、彼の味方になったのも大きかったし、緋月が上部を必死に説得してまわったのも大きかった。青樹の正当防衛は認められた。
「自覚しているのか、自覚していないのかわからないけど、君は『秘書室
クラッシャー』だよ、過去にも何人か、そんな女性秘書がいたけど、男性秘
書でこれは初めてだ」
秘書室の長、男性秘書の友田は言った。
「成長期だから、たぶんこの2.3年くらいで容姿は変わると思う、だが今
の状態では、そのように変態収集機では秘書室の者としても、風紀が乱れて
困る、もともと、彼の秘書としての仕事は少なく、よその被害にあいにくい
課に異動してはどうか」
と総帥にも提案したようである。
青樹は住み込みで総帥の家の家付きの警備の方へまわされることとなった。
「かんぱい」
その夜は青梅ヤードのメンバー三人で飲み会となっていた。少し早い緋月
の送別会も兼ねていた。ドイツ式のビヤホールだ。
「夢をあきらめないのはすごいな、まあ、がんばってくれよな」
群馬の山寺から戻ってきたマックスは緋月を激励した。
「まあ、しばらく退職金食いつぶしだろうけど…」
「また東京出てきて個展開くようだったら、言ってな」
緋月は嬉しそうに笑いながらいった。
「いや、まだまだ先の話、作品もまだないし、あ、そうだ」
緋月は仕事道具を入れるディバックから小さなスケッチブックを出した。
「休みの合間に書きためてた、青にあげるよ」
「わあ、ありがとうございます」
すべてのページにわたって、緋月の描いた竜が踊っていた。
「本当にお前、竜…好きだな…。ところで、マックス、最近群馬の山寺に行くことが多いみたいだが」
緋月は尋ねた。
「申し訳ないが、青の方も気にかけてもらえないかな」
「ああ、それはわかる、だが向こうも大切なんだ…北斗が…」
「北斗?」
スケッチブックをしまいながら。青樹はたずねる。
「ああ、北斗ね、こいつも兵だ、まだ先だが、いつかはお前とバディーを組
むことになる子だ。今年8歳」
「見るか?」
マックスが見せたiPhoneの画像の中で、空手の組み手を習う小さな子供。
生き生きとしている。
「いつ来る?」
「最低10年は来ない。あれは大切に育てられてるからと和尚から連絡入って
きたからな、青を早く小野田に入れて混乱起こして、後悔してるから、早く
て高校卒業前後、18歳くらいだろう」
マックスは溜息をついた。
「俺は北斗と同じ歳の子供を亡くしている。今こうして、色んなことを北斗
に教えているが、まるで水をたらした乾いたスポンジのようにぐいぐいと知
識を飲み込んでいく様を見るのが楽しい。もしかして、自分はまた息子を育
てるチャンスに恵まれたのではないかと」
恐れることなく、新しい世界に飛び込んでいく二人の姿に、同じように、新
しい環境に移動することになった身なのに、なんとなく置いてけぼりをくら
った感じになり、青樹は不安を覚えた。
「月下の咆哮 2」につづきます。

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