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『拳から溢れた、本当の優しさ』


「※この記事にはデリケートな内容が含まれます。自己責任でお読みください」

僕の記憶の始まりは、いつも「痛み」と「恐怖」と隣り合わせだった。自衛隊員だった父の稽古は、幼い僕の体にはあまりにも過酷すぎた。

毎晩のように、畳を拳で叩かされる。皮膚が水膨れのようになり、それが破れるたびに、突き刺さるような激痛が体を走った。絨毯を丸めて作られた即席のサンドバッグに向かって、必死にパンチやキックを繰り出し、お腹の上には容赦なく重石が落とされた。

どうして、何のために。理由のわからない激痛の中で、僕はただ毎日、声をあげて泣いていた。「強くなりたい」なんて、一度も思ったことはない。戦うための力なんていらない。僕はただ、人の痛みがわかる、優しい人間でありたかった。

学校に行っても、心が休まる場所はなかった。小学二年生のとき、東京から母の実家がある神奈川へと引っ越した。家庭の緊張感を背負ったままの僕は、新しいクラスにすぐ馴染むことができず、教室の中でただ一人、孤独の淵に立たされていた。家にも、学校にも、僕を無条件で包み込んでくれる居場所はどこにもなかった。

その張り詰めた糸が切れたのは、十五歳、中学校を卒業したときだった。実家を飛び出し、友達の家を転々としながら必死に働いた。けれど、幼少期から心と体に刻まれ続けた傷は、僕が思っている以上に深かった。

ある日突然、仕事中に原因不明の激しい吐き気とだるさに襲われた。崩れ落ちるように行った病院で告げられた診断名は、「複雑性PTSD」。

僕の体は、もう限界だと叫んでいた。何もかもが嫌になった。生きる意味が見えなくなり、頼れる大人もいない孤独の中で、逃げ込むように友達のいた暴走族へと身を投じた。荒れた生活の果てに、ある事件をきっかけに少年院へ入ることになった。暗闇がどこまでも続くような、そんな十代だった。

その荒れた生活の中で、僕は生涯忘れることのできない、孤独を分け合える、本当の仲間ができたのだと信じていた。

けれど16歳のとき、運命はあまりにも残酷な形で僕の心を打ち砕いた。

親友が、バイク事故で突然亡くなったのだ。言葉を失い、深い絶望の淵に立たされていた僕に、さらに追い打ちをかけるような衝撃の真実がもたらされた。親友の事故の引き金となったのは、僕たちが信じていた暴走族の頭と仲間たちによる、理不尽なリンチだった。そのままバイクに乗せられ、彼は命を落としたのだと聞いた瞬間、僕の脳裏は真っ白になり、心の中で何かが激しく弾け飛んだ。信じていた仲間への裏切りの怒り、そして何より、たった一人の親友の命を踏みにじられた無念さが、僕の体を突き動かした。

僕は、親友をリンチした奴らの元へと一人で殴りかかっていた。相手は10人以上いた。けれど、自分の体がどうなろうと構わなかった。親友の無念を晴らすため、踏みにじられた絆の尊厳を守るため、僕はただ、がむしゃらに拳を振るい続けた。警察に止められるまで、僕はその半数以上を叩きのめしていた。結果として、僕は少年院へ入ることになった。

大切な人を守りたかったという想いは、法律という壁の前では「暴力」という罪になり、僕の十代はどこまでも深い暗闇へと沈んでいった。

けれど、僕は諦めなかった。少年院を出た後、いまだ消えない吐き気やだるさを必死に堪えながら、泥を這うようにして仕事を探した。そして、ついに自分だけのアパートを見つけた。誰の助けも借りず、自分の足で立ち、自立の切符を掴み取ったのだ。あのとき僕を突き動かしたのは、幼い頃に泣きながら願った「優しい人間でありたい」という、心の奥底にある消えない炎だった。

がむしゃらに働き、大型免許を取り、長距離トラックの運転手として生きる道を切り拓いていった。日々、何百キロもの距離を一人で走る長距離の仕事は、孤独だったけれど、過去の傷を癒やすための静かな時間でもあった。

そんな暗闇を歩き続けた僕の人生に、二十三歳のとき、最高の光が差し込んだ。

その日は、青森まで荷物を運ぶ仕事だった。長距離運転の疲れを癒やすため、僕はトラックで体を横たえて寝ていた。「これ、良かったら食べてください」そっと差し出されたのは、その会社の事務員をしていた女性からのお弁当だった。見ず知らずの僕に差し伸べられた、手作りの温かみ。そして、食べ終わったあとのことだった。何故かその彼女が、僕の後ろからそっと抱きついてきたのだ。驚く僕に、彼女は震える声でこう言った。「あなたは、他の人とは何かが違う。私を、一緒に連れていって」
 
幼い頃から「痛み」と「恐怖」ばかりを植え付けられ、誰からも無条件に包み込んでもらえなかった僕の体を、彼女の温もりが一瞬で溶かしていくようだった。戦う力なんていらない、ただ優しい人間でありたいと願い続けた僕の心の奥を、彼女は直感で見抜いてくれたのかもしれない。

それからしばらくの間、僕たちは電話などで長距離恋愛を続けた。そして出会いからわずか1ヶ月後、彼女から「あなたのお嫁さんになりたい」と言われ、僕たちは籍を入れた。それが、今の妻だ。そして、我が子の誕生。

初めて家族をその腕に抱いたとき、世界がガラリと色を変えた。温かい家庭を知らずに育った僕を、妻は優しく支え続けてくれた。子どもが笑うたび、かつて僕が流した涙の数だけ、温かい何かが心を満たしていった。愛を注ぎ、愛される日々の中で、いつしか僕を苦しめていたあの吐き気やだるさは、綺麗さっぱり消え去っていた。そのとき、僕は心に誓った。「もう、過去は振り返らない」と。前だけを見て、この大切な家族と優しい未来を作っていくのだと。

そして今、僕は三十八歳になった。かつて僕に恐怖を植え付け、あれほど大きく見えた父が、脳梗塞で倒れ、腎臓を患って透析を受けている。病室のベッドに横たわる父には、かつてのように僕を殴る力どころか、僕を抱きしめる力すら残っていなかった。その小さくなった姿を見たとき、不思議と憎しみは湧いてこなかった。過去を振り返らないと決めてから、今、僕の心にあるのは、父も、母も、等しく「愛おしい存在」だという想いだ。あれほどの痛みを僕に与えた親を、今、愛おしいと思える。それは、僕が父の暴力に負けず、自分の力で幸せを掴み取り、心の中に「本当の優しさ」を育てることができたからに他ならない。

ふと自分の手元に目を落とす。そこには今でも、あの頃の傷跡が静かに残っている。畳を叩き、皮膚が破れ、激痛に耐え続けた、あの日の記憶が刻まれた僕の拳。けれど、今の僕は、この傷を恐れることも、憎むこともない。これは、僕が過酷な運命に決して屈しなかった証であり、暗闇の中から自分の力で這い上がってきた生き証人としての「勲章」なのだから。

かつて馴染めなかった神奈川の街を、今は大切な家族と笑いながら歩いている。この拳の傷があるからこそ、僕は他人の痛みがわかる。目の前の家族を、小さくなった親を、心の底から優しい手で包み込むことができる。

僕は今、あの頃なりたかった「優しい人間」に、ちゃんとなれているだろうか。きっと、大丈夫。僕の隣で笑う家族の笑顔が、その答えを教えてくれている。


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