喜びに痛みはなくていい
今朝起きると、
「悩んでないと私じゃないって思ってたんだ…」という感覚が内側から湧いてきた。
可笑しいよね。でも本当の話。
悩みは自分を変える原動力となる。
同時に変わらないままでいられる言い訳ともなる。どちらを選んでいたのか、どちらも選んでいたかったのか分からない。
「けどもうそれも必要ないな」
そんなふうに思った。
風邪を引いたおかげで、ここ数日私は自分の色んな感情に出会った。
寝込んでいた最初の2日間は、旦那さんの優しさと愛に触れ何もせずただ眠ることの心地よさにひたすら私は酔いしれた。
体が回復した3日目は、体が動かせる喜びと遮断していた外側との繋がり(TVやSNS)が復活したことによる疲れであっという間に一日が終わった。
一番キツかったのは4日目。
仕事がない(インフルの隔離期間のため休みとなった)。やらなければならないこともない。
何もない。
それで一日が終わっていくことへの恐怖。
そして自分自身に対する虚無感。
「生きる意味や自分の価値を私は何かをすることで成り立たせていたんだ」と、自分の闇と向き合わされた。そして同時に、この闇を見たくなくて、私はずっとこれまで外へ外へと意識を向け、不必要なものまで抱え込んだり取り付けたり…そうやって生きてたんだなって心底受け止めた。
闇の中にただただ居ることをした4日目だった。
そして昨日の5日目。
何もしない空白という闇を自分なりに乗り越えた私は強くなった。
と言うか、アレやろう!コレやろう!と、やりたいことが次々湧いてきたんだ。ほんと不思議。
そして誰にも発表するでもなく、誰の評価を受けるでもなく、無意味と思えることをただ自分のために楽しんだ。そして4日目には救いだったSNSのやり取りも、この頃の私にとっては重いだけとなっていた。
「たったひとりでも自分の世界は豊かに出来るんだ。」
そう実感する5日目となった。
そして6日目の今朝、湧いてきたのが先に書いた通り「悩んでいないと…」な感覚で、、
これまでは変わらなきゃと自分を奮い立たせて前に進むのが常だった。そのためには悩みが必要不可欠。前へと進む原動力としていた。
だけどこれからは、自分のやりたい(want)!と言った好きな気持ち・楽しい気持ちで前に進んでいいってのかも。と、今そう感じている。
そう。
外側に承認されるための生き方じゃなくて、自分の本質を輝かせる生き方だ。
好きな気持ち。楽しい気持ち。
それは他人軸だったときの私は、周りにそう思い込まされているものがほとんどだった。
「これが好き(と思えば仲間外れにならない)」
「これが楽しい(と思えばすごいと言われる)」
みたいに。
先に他人有りきで自分の本当の気持ちは後(むしろフタをする)。喜びよりも評価が大事。共感やマウントを取ることで必死に輪の中にい続けようという下心で好きや楽しいを決めていた。
だけど。
何もすることのない虚無感と、空白をあえて埋めない恐怖を乗り越えた今、、私はそれら全部自分にとって重荷でしか無かったのだなと思うようになった。
「自分は足りていないから」と言った不足も闇の前では無力。
今までも自分に対して無価値感や無力感が出てきて、身を引きちぎられるような手放しが起こったこともあったけれど、本当に『何も無い』の前ではただ静かにひれ伏すしかない。と言うのがリアルな実感。
「なんか悩んでるのアホらし、、」
そう。そうだ。
どうせ無価値だしどうせ無意味。
好きや楽しいに価値や意味はなくていい。
何も無い空白も埋めなくていい。
悩むことで埋めていた自分の価値・意味あることをしようとする行いを、私は手放す!!
*
日常での過ごし方、仕事に対するスタンスも見直しが必要だな。
もっと「自分にとってどうなのか」を基準に、繊細に選んでみたい。
わざわざ悩みにするために複雑にしていたかも。
意味や価値を取り付けるために力みを入れていたかも。
振り返ればわんさかと重荷としていた部分が浮かび上がってくる。
もっとのんびりカンタンに。
喜びを受け取るためには痛みが必要不可欠だと思い込んでいた。何かやった感がなければいけないと思い込んでいた。
でもそれももう要らない。
「たったこれだけでいいの?」
と疑わなくていいくらい当たり前に
無痛で喜びを受け取る私になっていこう!
それを自分に許します。
ps. お酒や過食も、、もしかしたら『痛み』として持ち続けていたのかも。
悩み事として、立ち向かうべく敵として掲げることで、、『頑張る意味』となり、これまでの私を奮い立たせる原動力としていたのかも。
というか、そうなのだと思う。
なのでこれさえも私は手放すことを自分に赦します。
