他者は自分を映すためにある
結局何にこだわっているのかと言うと、コレだけは!という自分だけのもの。人とは違う特別なものを、私は見つけたいんだ。
そしてそれを他者という存在に映したい。
自分じゃない誰かの存在は、自分自身を映すためにあると私は思うから。
したされたとか、やったやってくれないとか、物質的なやり取りを見て相手をどうこう思ってしまうけれど、本当のところはただただ自分の内側にあるモノを見せてくれているだけのこと。
そうか、だから反応が欲しいんだ。
何も無い=自分が無い。
自分がないとは、自分の存在がここにない。
私は存在していない生き物。そう感じてしまうことが何よりも怖いんだ。
そしてそうならないためにも、自分だけの何か特別なものがあれば…と、執着しているのかもしれないな。あと、単純に見てみたい気持ち。
自分だけの光を、私は見てみたい。
コレだ!ここにあった!そんなウワッと熱が込み上げ、高揚感・光悦感・そういったときめきのようなものが内側から溢れ出して、自分すらも感動出来るようなモノがきっと私の中にはある。
そんな期待が自分の中にあるんだ。
だけどそれは幻想じゃないか?
ただ単に現実逃避をしているだけじゃないのか?
多分もう、その光は十分私の中にあって、それをただ自分が認めていないだけなのだと思う。
他人と比べて私のはコレ??そんなジャッジをしているのだと思う。
自分になんて失礼なのだろう。
有名になりたい。ビックになりたい。
まだまだガキンチョのような夢物語を私は追いかけてしまってる。そんなもの本当は欲しくも何ともないのに。
自分だけの光はとっくにある。
そしてそれはきっともう、すでにこの世界に流れ出してくれている。
あとは自分が認めるだけなんだ。
この地球でこのテーマを生きよう。
こんな遊び方をしてみよう。
この世に生まれてくる遥か昔、お宇宙で私が決めたこと。そのために必要な持ち物は全て持ってきている。
外側と比べれば映るのは、不足だ。
だけど外側を味方に付けて、自分の一部だと受け容れれば、映るのは自分の輝きだけ。
決めつけをやめて、こだわりを手放して、他者に映る反応を素直に受け取る。
そうすることで自分だけの光がちゃんとそこにある。というか、すでに私の中にあったのだ…と、実感として伝わってくるはず。
そう信じて進んでみよう。
*
ここまで書き終えたら、私の目にまた映りだしてきた。
周りからの反応が。
ちゃんと私はこの世に映ってる。
他者に映してもらえてる。
弱気になるとすぐに見えなくしてしまうのも私の心の癖なんだろうな。もっともっとと虚像を追いかけたくなってしまう。
この癖も手放したい。
だって映してくれている人はきっと、無償で私を信じてくれている。その愛に応えたい。
じんわりと温かいものが胸の中に広がっていく。
うんうん。大丈夫。
はるかなら出来るよ。
あぁ、こうやって愛と感謝を知るんだな。
映してくれる人たちを私は大事にしていこう。
そしてもちろん自分自身も何よりも大事にしていこう。
PS.昨日自分のために引いたタロットがコレだった。

そうそう。焦らずゆっくりね。
ちゃんと見えない部分で何かは動いてる。
そしてそれも全て私を幸せへと運ぶために、だ。
カード(潜在意識)もちゃんとメッセージをくれている。私は全てから守られているんだ。
だから私はひたすら信じ抜こう。
信じる心は何よりも強い。
今、改めて、自分自身への忠誠心が試されているのを感じる。
