添乗員から看護師へ。3人を子育て中の私が2026年8月に総合病院を退職した理由
私は沖縄生まれ・沖縄育ち、現在は県外で3人の子どもを育てている元看護師のマリンと申します。
2026年8月、私は7年間勤めた総合病院の地域包括ケア病棟を退職しました。
30代の時、死に物狂いで勉強して掴み取った「看護師」という資格だったので退職について考えた時は,かなり悩みました。
退職することを周りに話すと
「もったいない」
「せっかく頑張ってきたのに」
「子どもが3人もいるのにそれで大丈夫?」などと言われました。
ちなみに私の退職理由は、実は単純でした。
私が一番やりたかったことが、
子どもたちと色々な場所に出かけて沢山の思い出をつくることだと気づいたのです。
「子どもたちと過ごす時間を大切にしよう!」
今回は初めての投稿なので、私の少しユニークな経歴と、
なぜこのタイミングで退職を選んだのかに
ついてお話しさせてください。
🌴 自己紹介:沖縄での添乗員時代から、30歳での挑戦
私のキャリアのスタートは地元の観光業専門学校を卒業後、旅行代理店への就職でした。
航空券やツアーの販売、そして添乗員として県内を中心に約6年間、
がむしゃらに働く20代を過ごしました。
お客様の笑顔を見られるとてもやりがいがある大好きな仕事でした。
しかし、そんな私が観光から看護師の世界に
興味を持ったのは、祖父が難病になったことがきっかけでした。
祖父が難病と診断された当時、修学旅行に同行する業務も行っていました。
その時初めて看護師と仕事で関わりました。
そしてツアーナースという職業を知ったことも
看護師への転職のきっかけでした。
社会人から看護学校入学のため、
予備校へ通う日々を3年続けました。
受験生活の3年間で、
のべ9校の看護学校を受験しました。
29歳で県外の看護大学の社会人枠を受験して
無事に合格。
30歳で学生と結婚生活を同時にスタートさせるという、激動の30代へと突入しました。
🤰 看護大時代:怒涛の妊娠・切迫早産、そして国試ダブル合格
大学生活は想像以上にハードでしたが、最大の試練は4年生(当時33歳)の時に訪れました。
33歳で第一子を妊娠し、さらに保健師の実習前日に「切迫早産」で緊急入院となってしまったのです。
10月から12月までベッドの上で過ごす日々。「留年」の二文字が頭を過りました。
しかし、ここで諦めることはできませんでした。
入院中のベッドの上で、教科書を握りしめて猛勉強しました。
※切迫早産による2か月の入院生活は、別の機会に詳しくお伝えします。
12月末に出産し、そのわずか2ヶ月後の2019年2月、看護師・保健師の国家試験を受験。
結果は、見事ダブル合格。
さらに3月には、出産直後の体に鞭を打ち、地方の役場へ1週間泊まり込みで保健師実習の再補講を受けに行きました。
当時、生後2ヶ月の我が子を家族に託して実習に向かった、北風の冷たさと張り詰めた緊張感は今でも忘れられません。
そのまま就職活動を滑り込ませ、4月から総合病院の地域包括ケア病棟へ配属されました。
🛑 3人の育児と病院勤務:「なんくるないさー」の本当の意味
厳しい新人時代を経て、子育てと看護師の両立を続けました。
夜勤のある激務の中でしたが、職場の人間関係には恵まていたことが救いでした。
2022年に第二子を出産し、復帰後しばらくして夜勤を開始しました。
第三子が欲しかったのですが、なかなか授からず、夜勤のないパート勤務へ働き方を変えました。
パート勤務へ変えてから半年で妊娠し、2025年第三子を出産しました。
3人の子どもを育てながら、総合病院で働く日々は「戦場」でした。
朝、嵐のような慌ただしい時間の中で上の子を小学校へ送り出し、真ん中の子を幼稚園へ車で送り届け、私も末っ子と一緒に出勤しました。
末っ子を病院の託児所へ預けて、9時から勤務開始でした。
病棟では多職種と連携しながら退院調整に奔走し、パート勤務で14時の退勤でしたが、ヘトヘトになりながらお迎えに行く。
子どもが熱を出せば、職場に頭を下げて早退する。
常に罪悪感と、体力的・精神的な限界が隣り合わせでした。
第三子の育児休業が明けて2ヶ月ほど経った頃、小さなミスが増えるようになりました。
小さなミスの原因は、末っ子の夜泣き対応で睡眠不足からくる認知能力の低下だったと思います。
そしてある日点滴を詰めようとした時、手が震えていることに気付きました。
致命的なことはまだ起こっていませんでしたが、小さなミスを繰り返すうちに、次第に自信がなくなっていました。
患者さんの命を預かる仕事の責任の重さに耐えられなくなっていきました。
そんな辛い日々で、私の大好きな言葉が心の支えでした。
沖縄には「なんくるないさー」という有名な言葉があります。
多くの人は「なんとかなるさ」という楽観的な意味で使いますが、
本来はその前に続く言葉があります。
「まくとぅそーけー、なんくるないさー」
(正しいこと、誠実なことを積み重ねていれば、自然とあるべきようになる)
私はこれまで自分の人生にも目の前の患者さんにも育児にも常に誠実に、全力で向き合ってきた自負があります。
毎日が嵐のように過ぎていく中で,自分が無理をしてしまうことは避けたかったです。
大好きな家族に笑顔で接せなくなることや
人の命を預かる責任の重い仕事だったので致命的なミスは許されないからです。
私が仕事と子育ての両立に悩んでいたある日、職場の先輩へ子育ての大変さを聞いてもらっていた時のことです。
先輩から
「子育ては今だけだよ。楽しまなきゃ損だよ」という言葉をもらいました。
その言葉をもらった瞬間に疲弊しきっていた私の脳がクリアになっていく不思議な感覚がしました。
私の直観で
「そうだよ!楽しまなきゃ損!」と
何度も頭の中で繰り返してました。
私は毎日をこなすことばかりで、
子どもたちが小さいうちに親と一緒に過ごす時間の大切さに気付きませんでした。
そしていっぱい悩んで考えました。
私が一番やりたかったことは、
子どもと色々な場所に出かけて沢山の思い出をつくることだと気づくことができました。
そしてわたしは
「そうだ!子どもたちといっぱい旅をしよう!時間を大切にしよう!」
「まくとぅそーけー、なんくるないさー」を合言葉に
2026年8月、退職の辞表を出しました。
✉️ これからこのnoteで発信していくこと
退職した現在は、とても楽しいです。
不思議なくらい、後悔がありません。
不安はありましたが、看護師を辞めたことを良い決断だったと思っています。
いまの私は、夫とともに子連れ旅行の情報発信をする「子連れ旅行研究所」というブログを書いています。
先日は夏休みに入った子どもたちと初東北旅行へ行きました。
青森ねぶた祭りや秋田竿灯まつり、山形花笠まつり、盛岡さんさ踊り、仙台七夕まつりと5つの祭りを7日間を掛けてマイカーで巡ってきました。
迫力がある伝統的な祭りを五感で感じることができて、心が躍りました。
その他歌舞伎・ミュージカルの鑑賞なども子どもたちと初体験しました。
行ったことのない場所は計画する際に移動距離や子連れ旅行ならではの確認事項が多くあります。だからとても神経を使いました。
それでも計画することは、私にとって楽しくて仕方ありません。
旅行やイベントを計画して実際に行ってみると思い通りにいくこともあれば、いかないこともあります。しかし、それも忘れられない思い出となるのです。
子どもたちも旅行中は互いに手をつないだり、声を掛け合って協力する場面が多く、普段よりしっかりしています。
そして何より、旅行やお出かけから帰ってくると家族の会話も増えます。
子どもたちの顔つきも少しお姉さんに成長しているように見えます。
旅行やお出かけは、私たち家族にとって無くてはならないものになっています。
私は病院を退職しましたが、看護師の資格を捨てるわけではありません。
病院という組織を離れ、新しい働き方を模索するための第一歩を進んだのです。
現在、在宅ワークでできることをコツコツ始めています。
このnoteでは、
3人子育て×看護師のリアルな両立の葛藤
社会人から看護大を目指す人へのアドバイス
妊娠・入院を乗り越えて国試に一発合格した勉強法
退職後の日々のことや旅行の話
など、私のこれまでの「濃すぎる経験」から退職後の生活についてを余すことなく発信し、同じように働き方や育児、何かに新しく挑戦する方の背中を押せるような誰かの力になりたいと思っています。
もし少しでも共感していただけたら、いいね(スキ)やフォローで応援していただけると、これからの励みになります!
ゆたしく、うにげーさびら✨(よろしくおねがいします✨)m(_ _)m
