大国主命㉔|多邇具久から久延毘古へ―「低い世界の知恵」が小さな神の名を知る
爾に、即ち多邇具久白して言はく、
「此は久延毘古、
必ず之れを知らむ。」
即ち久延毘古を召び問ひし時、
答へ白さく、
「此は、神産巣日の神の御子、
少名毘古那神なり。」
故爾に、
神産巣日御祖命に於いて白し上げし者ば、
答へ告らさく、
「此は実に我が子也。
子の中に於いて、
我が手俣より久岐斯子也。
故、汝、葦原色許男命と兄弟と為りて、
堅く其の国を作れ。」
故、是より、
大穴牟遅と少名毘古那、
二柱の神相並びて、
堅く此の国作りき。
⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆
すると多邇具久が言いました。
「これなら久延毘古が、きっと知っているでしょう。」
そこで久延毘古を呼んで尋ねると、こう答えました。
「この神は、神産巣日神の御子である
少名毘古那神です。」
そこでそのことを神産巣日御祖命に申し上げると、
神産巣日はこう答えました。
「まことにこれは私の子である。
多くの子の中でも、
私の手の股の間からこぼれ落ちた子である。
だから、お前は葦原色許男命と兄弟になって、
しっかりとこの国を作り固めよ。」
⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆
【多邇具久(たにぐく)】
古くから、これは蟾蜍(ひきがえる)系の存在、地を這う・湿地にいるもの、ぬめり・谷・低いところの霊のように見られることがあります。
たに:谷、低い場所
ぐく:這う、くぐもる、ぬめる感じ
という感じで、
低く湿ったところにいて、地の気配を知る存在という印象があります。
そんな、低く湿った側の存在である多邇具久は
「ああ、こういう時は久延毘古だ」と閃きます。
ここには、高い世界の知識では分からない神は、
低い世界の知恵のネットワークで分かるという構図があります。とても出雲的だなと感じます。
【久延毘古(くえびこ)】
案山子(かかし)のような存在と言われています。
自分では動けない。歩けない。
でも田に立ち、風を受け、人の往来を見て、ずっとそこにいる。
だから、移動しない代わりに、あらゆるものを見続けて知っている神なのでしょう。
固定されて動かない知恵・土地に立ち続ける知恵の象徴なのだと感じます。
そして久延毘古のお陰で、その小さな神は少名毘古那だと判明します。
【神産巣日の手俣より久岐斯子也】
「手俣」とは、手の指の股、指のあいだ、掌のまたのような場所。
「久岐斯子」という音の感じが大事で、
くきし、くきる、こぼれ落ちる、すきまから抜けるような印象があります。
ですので、少名毘古那は神産巣日の手のまたから、
するりとこぼれ出た子という感じです。
神産巣日は前にも出てきたように、命を結ぶ、種を拾う、再生させる神で、その神の「手」からこぼれた子、ということは、小さいけれど創造とむすびの力を分有した神だと言えます。
しかも「こぼれた」ということは、正規の大きな秩序の中心から少し外れた場所にいる神でもあるという事。
それにしても、大国主は神産巣日神と縁がありますね。しかも神産巣日が口を開きます。
ここで神産巣日が大国主を葦原色許男命と呼びます。
前にも見たように、葦原色許男は、葦原の、濃くて、生々しく、力強い男神という感じが強い名でした。
「大国主」が国を背負う名だとすると
「葦原色許男」はまだ地上の湿りや生命力を帯びた、生の名です。
つまり神産巣日は、大国主を完成した国の主としてではなく、まだ葦原の生気を持つ者として見ているという事なのでしょう。
ですので神産巣日は、その名で呼ぶことで
お前はまず、生の土地とつながる者として、少名毘古那と共に国を固めよと言っているように見えます。
大国主がこれまで神産巣日の静かな助けを受けてきましたが、ここで初めて神産巣日が言葉をもって前に出てきて、少名毘古那との兄弟関係と国作りを正式に承認する場面に感じます。
