短編小説『マイナスの指向性』
——夫が何を考えてるかわからない。
今朝も私のことなど上の空で、ただ黙々とご飯を食べている。上手いともまずいとも言わずに、無言のまま……。
思えば昨日の夜からそんな様子だった。何か……会社の事か、それとも私の事か、心配事でもあるのだろうか。
元々、あまりそういうことを話す人ではないから、私はそんな変化がなおさら気になった。食器を片付けながらそれとなく声をかけてみたが、うんとかああとか、空返事ばかりで夫の反応はとても薄かった。
いつもの笑い声が響く食卓は何処へやら、あまりに静かすぎて、外から野良猫の鳴き声が聞こえるほどだった。
……泣きたいのはこっちだよ。私の不安は募るばかりだった。
——翌日、カフェで会った友人のサチに、たまらずそのことを話してしまった。
「あのねサチ、うちの夫がね、昨日の夜からなんだかずっと黙っててさ……ご飯も黙々と食べてるの。いつもみたいな「美味しいね」みたいな感想も、会社であったことも言わないし……何かあったのかなって思っちゃうと、私もう気が気でなくて……」
サチはカップを置くと、少し考えてから言った。
「……そういうのって意外とさ、仕事で疲れてるだけってことも多いよ。だから佳奈は最悪の想像しすぎない方がいいよ」
「そうなの?でもさ……」
「無理に聞き出そうとしないで、まずは『今日忙しそうだったね』とか『何かあった?』くらい、短く優しく聞いてみて、すぐに答えなくても、『話したくなったら聞くから』って伝えておくだけでも空気変わるんじゃない?」
「そっか……」
それからサチは少し間を置いて、こう続けた。
「それでも自分の不安が大きくなってくるなら『昨日からずっと黙ってるのが気になって心配してる』って、責めない言い方で正直に伝えてみるのもいいと思う」
「正直にね……うん、わかった」
「それが数日以上続いたり、他の態度も明らかに変わってるっていうなら、もう少し踏み込んで話した方がいいかもしれないけど……」
そうやって親身になって語ってくれる友人の言葉に、私は少しだけ肩の力が抜けた気がした。
「……サチ、ありがとう~」
「いやいや、そこはほら、お互い様だからさ」
まだ答えは出ていない。それでも、一人で悶々と悪い方に考え続けるより、少しだけ次の一歩が見えたような気がした——
——昨日から、妻の出してくれたご飯もそこそこにしてしまうほど、僕の頭はずっとフル回転していた。
あの鳴き声は、まさか——。
スマホで流れてきた『ゴジラ-0.0』の新しい予告編。
短い映像の端に混じっていた、あの独特の鳴き声。最初は聞き間違いかと思ったが、何度繰り返してもそれは同じだった。僕の胸の奥が、静かに震えていた。
——キングギドラ。
その多くは宇宙から来た存在とされ、重力を操る強力な「引力光線」で、街も怪獣もお構いなしに薙ぎ払うという圧倒的な存在感を放つ、三つ首で金色のドラゴン型怪獣。
1964年公開の『三大怪獣 地球最大の決戦』で初登場し、それ以降も「ゴジラ単独では倒せない相手」として繰り返し描かれる、ライバル的な存在。
……久々に、怪獣オタクの血が騒いだ。
金色になった経緯も確か撮影スタッフの女性が「その設定を聞いて私てっきり金色だと思ってました」と言ったのがきっかけだったはずだ。しかし今更キングギドラを出すのか。これまでのどのシリーズでもキングギドラはゴジラ単独では基本的に撃破できない存在だった。もしかしてここで初めて単独撃破できる相手にしてしまうのか。あの圧倒的な力を持つキングギドラを?それは古参からしたらただの改悪ではないだろうか。そもそもの設定はどうするつもりなのだろうか。あの独特の鳴き声を宇宙産ということに……
箸を動かしながら、僕の頭の中では怪獣たちの配置が次々と組み替えられていく。妻がそれとなくこちらを見ている気配はあった。不安そうな空気も、なんとなく分かっていた。それでも、それを想像する力のほうが大きく上回り、ねぎらう言葉が出てこないほどだった。
僕は久しぶりにそのワクワクする想像の海へと、どっぷり沈んでいった。


