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『誰にも褒められなくていい。ただ、自分に「よくやった」って言いたかった。』

🪞目次構成

1. 「誰かに褒められたい」と思っていたあの頃

── 承認欲求は悪いことじゃない。でも苦しくなっていた。

2. 人知れずがんばる毎日と、誰も見ていない寂しさ

── 背中で泣く夜、誰に話していいかわからなかった。

3. 自分を肯定することが、いちばん難しかった

── 「自分で自分を褒めよう」なんて、簡単にはできなかった。

4. それでも、歩みを止めなかった理由

── 本当は、誰よりも自分の声を聞いてほしかった。

5. きっと、今日もどこかで誰かががんばってる

── 誰の拍手もなくていい。僕が僕に言ってやる。「おつかれさま」って。

第1章:「誰かに褒められたい」と思っていたあの頃

こんなこと、ありませんか?

努力しても、誰にも気づかれない。
結果を出しても、誰にも褒められない。
でも、褒めてほしいと思ってしまう自分のことを、
なんとなく「みっともない」って思ってしまう。

僕は、ずっとそうだった。

認められたい。
褒められたい。
「すごいね」って言ってほしい。
たったそれだけのことが、ものすごく欲しかった。

でも、誰かに求めるほど、恥ずかしくなった。
「こんなに頑張ってるのに、誰も見てくれてない」って思うたび、
子どもみたいな自分が情けなくて、
「どうせ見返りなんか期待してる自分が悪いんだ」って責めてしまってた。

なんで僕らは、
「誰かに褒めてほしい」って思うだけで、
罪悪感みたいなものを抱えるんだろう。

人に認められたい。
人に必要とされたい。
その気持ちは、本来、まっとうで自然なはずなのに、
なぜか「欲しがるな」って教えられてきた気がする。

たとえば職場でも、
どれだけ残業しても、後輩に気を配っても、
「そういうのって当たり前だよね」って扱われたこと、ありませんか?

家でも、
「ありがとう」とか「助かったよ」って言葉がほしくてした行動が、
当たり前のように受け取られて、
「なんで何も言ってくれないんだろう…」と
虚しさだけが残ったこと、ありませんか?

本当は、ただ
「がんばってるね」って
たった一言で救われたかっただけなのに。


第2章:人知れずがんばる毎日と誰も見ていない寂しさ

いつの間にか、「評価されないこと」に慣れてしまった。
どれだけ仕事を頑張っても、
誰かに気を使っても、
うまくいって当たり前。
ミスすれば責められる。

そんな日々が積み重なると、
「がんばる意味って、なんだろう」って思ってしまう。

朝起きて、電車に揺られて、
心と裏腹に笑顔で「お疲れさまです」って言って。
なんとか今日をこなして、
帰り道はただ静かに、スマホの通知を眺める。

誰にも迷惑はかけてないけど、
誰にも必要とされてる気がしない。
自分がいてもいなくても、
世界は普通にまわるんじゃないかって
そんな感覚に、胸の奥が冷たくなることがある。

誰かの期待には応えてきた。
誰かの役に立ちたくて動いてきた。
でも、ふと立ち止まると、
「じゃあ自分の心はどうだった?」って、
急にわからなくなる瞬間がある。

誰も見ていないところで頑張って、
誰にも見られないまま疲れて、
なのにまだ「もっと頑張らなきゃ」って自分を責める。

本当は、
誰かのためじゃなくていい。
せめて「自分のためにがんばった」って、
そう思える日があれば、それでよかったのに。

でも、そう思うことさえ難しくて、
ただただ、誰かに見てほしかった。

「よくやってるよ」って、
たった一言があれば、それだけで救われる気がした。


第3章:自分を肯定することがいちばん難しかった

「自分を認めよう」なんて言葉、
簡単に言われるけど、正直それがいちばん難しかった。

どんなに頑張っても、
「まだ足りないんじゃないか」
「もっとできる人はいる」
って、頭の中の誰かが言ってくる。

それはたぶん、
過去に言われた言葉だったり、
比べられた記憶だったり、
見えない“基準”が、ずっと心の中に残ってるからなんだろう。

「こんなことで満足してるなんて、まだまだだ」
「自分に甘えてるだけなんじゃないか」
「頑張ってるって、自分で言うのはカッコ悪い」

そんな声が、いつもどこかで響いていた。

でもふと思った。

もし、友達が同じように悩んでたら、
僕はこんなこと言うだろうか?
「そんなの、たいしたことないよ」って。
「もっと頑張れよ」って。

…そんなわけない。

「それだけやってるなら、じゅうぶんだよ」
「むしろ、よくやってるよ」
って、きっと声をかけると思う。

じゃあ、なぜ自分にだけそれができないのか。

“自分に優しくする”って、
他人に優しくするよりずっと難しい。
ましてや、“自分を褒める”なんて、
慣れていなければ、ものすごく照れくさくて、心がざわつく。

でも、だからこそ思う。

他人の拍手が聞こえない夜こそ、
自分が自分の味方でいられたら、どんなに救われるだろう。

何か特別な結果を出した日じゃなくても、
「今日もちゃんとやれたな」って
静かに思えるだけで、心は少しだけ軽くなる。


第4章:それでも歩みを止めなかった理由

何度も、投げ出したくなった。
何度も、「もういいや」って、
ぜんぶ放り投げてしまいたくなった。

でも、なぜか踏みとどまってしまう。
なぜかまた、朝を迎えて、
気づけば今日もちゃんとやっている。

それはきっと、
「自分だけは見ていたい」って、
心のどこかで思っていたからかもしれない。

他人に褒められなくても、
誰にも気づかれなくても、
自分だけは、自分の頑張りを知ってる。

悔しかったこと。
涙をこらえた夜。
やさしいフリをして、耐えてきたこと。
本当は逃げたかったけど、ちゃんと向き合ったこと。

全部、誰にも話してないけど、
自分だけはちゃんと知ってる。
それだけは、消さないでいたかった。

「どうせ誰も見てないし」
「意味なんてないし」
って思うことで、
心を守ろうとしてた時期もあった。

でも、ほんとは違った。

誰かに見てもらいたかったんじゃなくて、
自分に見てほしかった。
「君はよくやってるよ」って、
自分自身にそう言ってもらえることが、
何よりのご褒美だった。

だから僕は、
今日もちゃんと起きて、
歯を磨いて、靴を履いて、外に出る。

“ただそれだけ”のように思えて、
“それだけでもすごい”って、
心のどこかでわかっているから。


第5章:きっと、今日もどこかで誰かががんばってる

どこかの街で。
どこかの職場で。
どこかのリビングで。
今この瞬間も、
誰にも見られず、誰にも褒められず、
それでも黙って頑張ってる人がいる。

その人たちはきっと、
「今日もなんとかやれた」って、
そっと心の中でつぶやいてる。

うまくいかなかった日も、
ミスした日も、
人と比べて落ち込んだ日も、
それでもちゃんと最後まで、今日を歩いた人たち。

その姿は、
誰かに評価されるような“すごさ”ではないかもしれない。
でも、それこそが、
本当の意味で「よくやった」と言えることじゃないかと思う。

拍手なんていらない。
賞賛なんて求めてない。
でも、できることなら、
自分の胸の奥で、そっと言ってあげてほしい。

「おつかれさま」
「今日も、ちゃんと頑張ったね」
「誰に見られてなくても、君の努力は無駄じゃなかったよ」

僕は今日も、あの高層ビルの窓から街を見下ろしながら思う。
どんなに小さな努力も、誰かの未来につながっている。
たとえ誰にも褒められなくても、
僕が僕に言ってやろう。

「よくやった。」って。



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