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短編小説 留守番できる婚約者

茨田がいつものように、婚約中の薔子を彼女の実家まで送って行った時のことだった。
薔子が車を降りる前に茨田に向き直って言った。

「今週末、両親が一泊二日の旅行に行くんだって」

「へぇ、そうなんだ」

「それでね、最近トクリュウとか物騒じゃん?
両親が私ひとりを残すのが心配だからって……」

少し言い辛そうに、薔子が続けた。

「……もし、賢ちゃんさえ良ければ、うちに来て一緒に留守番してくれない?」

思いもよらない提案だった。

「……ご両親の了承を得てるなら、僕は構わないけど……」

「うん。もちろん両親の方から出た話。
私、一人暮らししたことないし、家で一晩中ひとりきりで過ごしたこともないから。
ちょっと不安だったんだ。良かった。」

そう言って、ほっとしたように笑った。

「おやすみ、また明日ね。気をつけて帰ってね」
と言って薔子は家の門扉を開けて去って行った。

自宅へと車を走らせながら、茨田は考えた。

婚約者。両親公認。一泊二日。

どう考えても、男にとって都合のいいパワーワードが並んでいる。

近日公開予定。信頼。番犬。

という文字列が頭の中に渦巻いていたが、

「信頼」に値する「番犬」

という単語を選び取った。どう考えても、それが最適解であった。

「塾では生徒の面倒を見て、週末は婚約者の番犬か。責任重大だ」
茨田は独り言ちた。

帰宅すると、両親がまだ起きていたので、

「今週末は薔子ちゃんの家で留守番頼まれたから行ってくるわ」

と告げた。

両親からは「粗相のないように」との言葉を賜わった。

どうやら、自分の両親も自分を「番犬」扱いしているらしかった。


土曜日。
いつものように塾での講義を終え、生徒の答案用紙をまとめて鞄へ詰め込んだ二人は、茨田の車で薔子の家へ向かった。
後部座席には茨田の着替えが入ったバッグがあった。

誰もいない薔子の家は、ひっそりとしていて、暗く、妙によそよそしかった。

薔子は家に入るなり、玄関の自動センサーを切って常時点灯にし、廊下、洗面所、リビングと、行く先々の照明を点けたままにして行った。

その様子を見た茨田は

なるほど。
薔子は本当に寂しがり屋で怖がりなのだ、と思った。

お互いにスーツのジャケットを脱ぎ、ダイニングチェアーの背もたれに掛けた。

髪をまとめながら薔子が茨田に聞いて来た。
「賢ちゃん、何か苦手な食べ物とかあったっけ?」
「う〜ん、特には無いよ」

薔子がエプロンを付けながら、冷蔵庫の中を覗き、言った。
「……冷しゃぶうどん、豚肉と茄子のつけ汁蕎麦、鮭と野菜のホイル蒸し……ぐらい出来そうだけど、どれがいい?」

どれも食べたい、と思ったが、仕事帰りの薔子に負担の少なそうなものを選んだ。
「じゃあ、冷しゃぶうどんで」

「了解」

ネクタイを外し、ワイシャツの袖を捲り上げ、薔子の隣に立った。

「賢ちゃん、実家暮らしなのに料理出来たっけ?」

「バレた?全然出来ない」

「じゃあ、助手ね」

薔子がボウルに温水を溜め、そこにレタスを剥いで入れるよう指示した。

「冷水じゃないの?」

「温水の方が葉がシャキッとするの」

「へぇ」

「スライサーで胡瓜を薄切りに出来る?」

「それくらいなら」

小さなボウルとスライサー、胡瓜を渡された。
茨田は胡瓜を薄切りにする横で、薔子がしめじをほぐし、パプリカを切り、豚肉を茹で、うどんを冷水で締めていくのを眺めていた。

こうして並んでキッチンに立っていると、そわそわした。

結婚したら、こんなふうになるのだろうか?

自分は相変わらず何も出来ずに、助手のままなんだろうか?

やがて二人分の冷しゃぶうどんとしめじのバターポン酢和えが出来上がった。

その手際の良さに感心すると同時に、薔子が茨田にも出来ることをちゃんと割り振ってくれたことに気付いた。

こういうところなんだよなぁ。

薔子が麦茶の入ったグラスをトレーに載せてやって来た。

「座って。さぁ食べよっか」

薔子と二人で作った夕食は美味かった。

食事の後、薔子が冷蔵庫を覗いた。
「賢ちゃん、食後の果物、何食べる?オレンジとキウイと佐藤錦があるけど?」

「佐藤錦が食べたい」

チェリーなボーイでもないのに、チェリーな気分だった。

薔子が洗ったさくらんぼをガラスの器に盛ってやって来た。

「薔子ちゃん、さくらんぼの軸を口の中で結べる?」

「え、そんな人いるの?」

「世の中にはいるらしいよ」

「山形かどこかでは、種飛ばし競争があったような」

恐ろしく色気のない方向へ話が進んだ。

この感じ、薔子らしすぎる。

チェリーをたいらげ、二人で洗い物をし、風呂の準備をした。

生徒の答案採点は明日でもいいだろう、という話になった。



茨田が風呂から上がり、髪も乾かし、パジャマに着替えてテレビを見ていると、風呂上がりの薔子がやって来た。
髪をタオルドライしながら、にこにこして隣に座ってきた。

おっ、何だ?

と思っていると

「賢ちゃん、髪、乾かして」

と甘えられた。

まったく、この子犬は手がかかる。
そう思いながらも、茨田は将来優秀なトリマーになるべく、薔子の長い髪を丁寧に乾かした。



問題は寝る段になってからだった。

客間にはきちんと布団が用意されていた。

ところが薔子が、

「寂しいから、私の部屋に布団を敷いて寝てくれない?」

と言い出した。

俺の気持ちと、ご両親の信頼はどうなるんだ

そう思いつつも、仕方なく布団を薔子の部屋に運んだ。

「薔子ちゃんが先に寝たら、何が起こっても知らないよ?」

と少し意地悪く言った。

薔子は真面目な顔で応えた。

「賢ちゃんって、そんな人だっけ?」

ぐうの音も出なかった。

この小悪魔め。
後でお仕置きが必要だ。

そう思いながら大人しく布団に入った。

「私が寝るまで何か話して」

と言われたので、意趣返しに怪談を一話聞かせた。

すると、薔子がベッドから降りてきて

「酷い〜、怖い〜」

と言いながら、茨田の布団に潜り込み、しがみついてきた。

嬉しい。
嬉しいけれど、理性の鉄壁さを試すような真似はやめてくれ。
小悪魔どころか悪魔だろ。

結局、茨田は身じろぎもせず、与えられた番犬の役目を忠実に果たして眠った。



茨田は目覚める前に、夢を見た。

どこか懐かしい、浜辺を見晴らす家のテラスで、薔子が笑っていた。

二人で何かを話していた。

とても幸せな夢だった。

目を覚ますと、その薔子が隣で気持ちよさそうに眠っていた。

薔子の頬にかかった髪をそっと払い、寝顔をしばし見つめた。

時計を見ると、朝九時だった。

そろそろ起きる時間だ。

茨田はそっと布団から抜け出し、トイレに行った。

苦労して洋式トイレで用を足しながら、

ご馳走を前にしてお預けを食らった気分になって、少しだけ薔子を恨んだ。

今度はいつ絶賛公開中になるの?

もちろん本人には言わない。


顔を洗い、髭を剃り、鏡に向かって

「よし、今日もイイ男」

と言い、鏡像を撃つ真似をした。

部屋に戻って、薔子を起こす。
「薔子ちゃん、薔子ちゃーん、もう九時過ぎだよー。起きてー」

「……おはよう」

「ハイ、おはよう」

まだ眠そうな顔をした薔子を布団から追い出し、布団をたたんで客間に戻しに行った。

二階の自分の部屋から降りてきた薔子が茨田のところへ来た。

「賢ちゃん、朝ごはん、何食べたい?」

「え?和食かな」

「うん、じゃあパン食で」

と薔子が答えたので、茨田はズッコケた。

何で聞いたし?

朝食は結局、チーズトーストと根菜のスープ、それから「巣篭もり玉子のベーコンエッグ」になった。

茨田にも仕事が与えられた。
胡瓜をスライスするのとプチトマトを洗う係である。

進歩していない。

一方、薔子はフライパンの千切りキャベツの中に玉子を割り入れ、ベーコンを脇に添えて蓋をしていた。
十数分後には、テーブルに次々と出来上がった料理を運び、席に着いた。

さぁ頂こうとなった時に、カトラリーを出し忘れていることに気付いた。

薔子がへにゃっと笑いながら

「しっぱい、し〜っぱい♪」

と歌うように言いながら、カトラリーの入った籠を取って来た。


昨夜は怖いと言って自分の布団へ潜り込み、朝になればパジャマ姿でカトラリーを出し忘れた歌を歌っている。

茨田は思った。

何アレ。

最後の可愛い笑顔と変な歌。

可愛すぎるだろ。



夕方、帰って来た薔子の両親に、無事に留守番を終えたことを伝え、茨田は帰路に着いた。

帰宅するなり母が「粗相はなかった?」と冗談めかして聞いてきた。

「なっ、何。……完璧な番犬だったよ」

茨田賢は答えた。

「お預け」まで忠実に守ったことは、もちろん内緒だ。





原紫苑(ハルシオン)でした🐦💕



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