噛み合う|照明の反射 第5話
前回まで
人気配信者・サクヤの過去の発言をつなぎ合わせ、本人が言ったことのない本音を作り出す偽動画が拡散された。
動画の削除を求める事務所に対し、マネージャー・夏鈴は、切り取られる前の言葉を並べて公開することを選ぶ。
サクヤは、自分の声で作られた偽物へ、自分の言葉で向き合った。
「私より先に、私が間違えるって分かる?」
「高い確率で」
サクヤは笑った。
「じゃあ安心」
これは、偶然を運命に変える人と、確率を整える人の物語。
登場人物
サクヤ|人気配信者。台本を外れた言葉ほど、人の心を動かす。
夏鈴|サクヤのマネージャー。数字と確率をもとに、その言葉が届いたあとに起こることを整える。
━━━━━━━━━━━━━━━
《売り切れた色だけが、正解ではありません》
カンペに最後の一文字を書いたとき、サクヤが言った。
「売り切れた色だけが、今日の正解じゃないよ」
私は、書き終えた紙を上げる前に止めた。
配信開始から、十四分三十八秒。
本日の仕事は、化粧品ブランドのライブコマースだった。
新作リップを配信で紹介し、画面に表示されたリンクから、その場で購入してもらう。
視聴者の反応も、販売数も、残りの在庫も、すべてリアルタイムで動く。
秋の新作リップは、全四色。
広告のテーマは、
《やっと出会えた、私の運命のリップ》
中心商品として用意されていたのは、少しくすんだ深い赤の限定色だった。
それが、予定より二十分以上早く完売していた。
ブランド担当者が、私の隣で息を吐く。
安堵と困惑が半分ずつ混じった音だった。
完売は成功だ。
ただし、配信は残り三十分ある。
限定色以外の在庫は、まだ四千本近く残っていた。
「完売のお礼を伝えて、予定を短縮しますか」
ブランド担当者が声を落として尋ねた。
私は首を振った。
「続けます」
カメラの前で、サクヤは完売した限定色をテーブルへ戻した。
隣に並んでいた三本のうち、一番濃いブラウンを手に取る。
事前の販売予測では、最も動きが鈍いとされていた色だった。
「一番人気がなくなったから、今日はもう選べないと思った?」
サクヤがキャップを外す。
コメント欄が流れる。
《限定色ほしかった》
《買えなかった》
《再販ありますか》
《出遅れた》
配信画面の外で、ブランド担当者が在庫表を握り直した。
サクヤはブラウンを唇へ塗り、カメラを見た。
「一番人気が、あなたの一番とは限らないでしょ」
コメントの速度が変わった。
《その色かわいい》
《濃そうだと思って見てなかった》
《仕事でも使えそう》
《むしろこっちの方が好き》
私は販売画面の推移を確認する。
ブラウンの購入速度が、三十二秒前の二・四倍に上がった。
カンペを裏返し、次の指示を書く。
《照明を暖色へ》
照明担当が、私の手元を見る。
私が紙を上げるより先に、サクヤが顔を少し右へ向けた。
「こっち、もう少しあったかい光にできる?」
照明の色が変わる。
ブラウンの赤みが、画面の中で柔らかくなった。
サクヤは鏡を見ず、唇を軽く合わせる。
「ほら。強い色じゃない。ちゃんと体温がある色」
購入速度が、さらに上がった。
私はカンペを置いた。
必要がなくなったからではない。
次に必要になる言葉が、まだ分からなかったからだ。
サクヤは残りの二色を手に取り、片方ずつ頬の横へ並べた。
淡いベージュと、青みのあるローズ。
「どっちから見たい?」
コメント欄に、二つの色の名前が流れる。
ローズ、三百十二件。
ベージュ、二百八十九件。
ほぼ同数。
私は、残りの在庫数を確認した。
ローズ、千五百六十本。
ベージュ、千百六十本。
ブラウン、九百八十本。
販売速度から見れば、ローズを先に出す方が安全だった。
ただ、コメント欄には別の言葉が増え始めていた。
《ベージュは顔色悪く見えそう》
《似合う人を選びそう》
《地味じゃない?》
私は新しいカンペを書く。
《ベージュから》
今度は、上げることができた。
サクヤが一度だけ紙を見る。
「じゃあ、ベージュからにしようか」
即答だった。
「ローズが多かったのに?」
画面の向こうへ、サクヤが笑う。
「選ばれなかった方、気になるじゃん」
ブランド担当者が私を見る。
私は販売画面から目を離さなかった。
ブランドが用意していた説明は、
《女の子の肌を引き立て、美人に見せる色》
それだけだった。
サクヤは唇に残ったブラウンを落とした。
それから、ベージュのリップではなく、先にコンシーラーを手に取った。
予定していた手順にはない。
ヘアメイクが動こうとしたが、私は手で止めた。
サクヤは細いブラシで、上唇の山と口角の下側に短く線を引く。
指先で境目をなじませてから、ベージュを唇の中央へ置いた。
「この色、普通に塗ると顔がぼやけるって思う人もいるかも」
配信中に、商品の弱点を口にした。
ブランド担当者の表情が、一瞬固くなる。
「でも、先に上唇の山と口角をコンシーラーで整えて、リップは真ん中からぼかしてみて」
サクヤは指先で、ベージュを外側へなじませた。
唇をカメラへ近づける。
「ほら。肌が綺麗に見える」
一度、鏡の中の自分を見る。
「何も頑張ってない顔になる」
コメント欄が、一度止まったように見えた。
直後、似た意味の言葉が続けて流れた。
《何も頑張ってない顔ほしい》
《今日それになりたい》
《ベージュ買った》
《仕事の日に使いたい》
《頑張って見せたくない日ある》
ベージュの購入数が上がる。
配信前の予測値を、三分で超えた。
「夏鈴さん」
ブランド担当者が小さく呼んだ。
「はい」
「これ、予定していましたか」
「いいえ」
「サクヤさんは、在庫数を知っていますか」
「伝えていません」
サクヤは、最後に残ったローズを手に取った。
「これは説明いらないよね。見たまま可愛い」
ブランド担当者が、わずかに眉を寄せる。
私はローズの販売画面を開いた。
「説明しないんですか」
「今は、それが説明になります」
ローズの購入数が動き始める。
限定色を買えなかった人が、ブラウンとベージュを見たあとで戻ってきていた。
選べなかった色ではなく、改めて選んだ色として。
配信開始から、三十九分。
全商品の販売数が、当初目標を超えた。
四十二分。
ブラウンが完売。
四十四分。
ベージュの在庫が残り百本を切る。
予定終了時刻まで、あと一分。
私は最後のカンペを書く。
《終了》
サクヤがこちらを見る。
今度は、紙を見てからではなかった。
私がペンを置くのと同時に、商品をテーブルへ戻す。
「今日は、選べなかった人もいると思います」
声の速度が少し落ちる。
「でも、最初に欲しかったものが手に入らなかったとき、残ったものから選び直すのも、悪くないよ」
コメント欄に、白いハートが流れ始める。
「選び直した方が、自分に似合うこともあるから」
サクヤは一度頭を下げ、顔を上げた。
「最後まで見てくれて、ありがとうございました」
配信が終了した。
同時に、ブランド担当者のタブレットから通知音が鳴った。
ベージュ、完売。
最終売上は、目標比百四十六パーセント。
スタッフの何人かが拍手をした。
サクヤは椅子に座ったまま、目の前のリップを一列に並べ直している。
限定色。
ブラウン。
ベージュ。
ローズ。
配信で紹介した順番だった。
「サクヤさん」
ブランド担当者が近づく。
「途中の言葉、どこまで打ち合わせされていたんですか」
「途中の言葉?」
「売り切れた色だけが正解ではない、というところです」
サクヤが私の手元を見る。
机の上には、上げなかったカンペが残っていた。
《売り切れた色だけが、正解ではありません》
ブランド担当者が紙とサクヤを見比べる。
「ほぼ同じですね」
「本当だ」
サクヤが言った。
驚いたようには見えなかった。
「打ち合わせはしていません」
私が答える。
「限定色が早期完売した場合の対応案は用意していましたが、発言内容までは決めていません」
「では、偶然?」
ブランド担当者が尋ねる。
「偶然じゃないよ」
サクヤは鏡を見ながら、唇に残ったベージュを指で拭った。
「夏鈴が考えることは分かるから」
部屋にいたスタッフの視線が、私へ集まった。
「正確には、過去の販売データと残りの在庫、コメント欄の反応から、選択肢は限られます」
「それを分かるって言うんじゃない?」
「分析です」
「はいはい」
サクヤが立ち上がる。
ブランド担当者は、もう一度カンペを見た。
「最強のコンビですね」
否定する理由はなかった。
今回の配信を含め、直近三件の企業案件は、すべて目標値を超えていた。
打ち合わせ時間は、平均で二十二パーセント短縮。
撮影時の修正回数は、以前の半分以下。
サクヤが台本を外れた際の購入率は、通常進行時より高い。
数字だけを見れば、私たちの方法は正しかった。
翌週、同じブランドの会議室に、二冊の企画書が置かれていた。
サクヤは、先週の配信で使ったベージュを、今日も唇にのせていた。
表紙には、それぞれ違う言葉が印刷されている。
《一目惚れされる女》
《忘れられない女》
先週発売したリップを、継続して訴求するためのキャンペーン案だった。
「これまでは、企画を固めてから事務所へご提案していたのですが」
ブランド担当者が私を見る。
「今後のサクヤさんの案件については、企画の初期段階から夏鈴さんへ相談させていただけませんか」
「契約と金額に関する事項は、事務所を通してください」
「もちろんです。企画内容や見せ方について、正式な提案の前に夏鈴さんのご意見を伺いたいんです」
「その方がいいよ」
サクヤが言った。
「私に聞くより、夏鈴に聞いた方が早いから」
ブランド担当者が笑う。
「サクヤさんがそうおっしゃるなら」
私は二冊の企画書を開いた。
一つ目は、リップを塗ったサクヤの表情を中心に見せる、十五秒の短尺動画。
二つ目は、四色それぞれに合う服や言葉を、サクヤ自身が選びながら紹介するライブ配信。
過去半年の視聴データでは、短尺動画の方が初日の再生回数は伸びやすい。
一方、ライブ配信は保存率が高く、商品ページへの遷移率も一・八倍だった。
「サクヤさんは、どちらがいいですか」
ブランド担当者が尋ねた。
サクヤは二冊の企画書へ手を伸ばした。
指先が表紙に触れる前に、こちらを見る。
私は、《忘れられない女》の企画書へ手を置いた。
「こちらです」
「理由を伺っても?」
「短尺動画は、見た瞬間の印象には強い。ただ、サクヤの言葉が残るのはライブ配信です」
「私もそっち」
サクヤが言った。
「まだ読んでいません」
「夏鈴が読んだでしょ」
「あなたの企画です」
「だから、夏鈴が選んだ方がいい」
ブランド担当者が、私たちを交互に見る。
「では、《忘れられない女》の企画で進めます」
会議は、予定より二十七分早く終わった。
移動の車内で、事務所の代表から電話が入った。
『先方が、今後は企画の初期段階から君に入ってほしいと言っている』
「契約事項は事務所を通すよう伝えています」
『契約以外の企画判断は任せるよ。サクヤも、その方がやりやすいんだろう』
隣の席で、サクヤが窓の外を見ていた。
「本人へ確認します」
私はスマートフォンを少し離した。
「今後の企画内容について、私が先方との窓口になっても?」
「もうなってるじゃん」
「正式な確認です」
「いいよ」
「業務量が増えるため、返答に時間がかかる場合があります」
「夏鈴が電話に出ない時間、増える?」
「必要に応じて」
「じゃあ、いいんじゃない」
「理由になっていません」
サクヤがこちらを見る。
「夏鈴が決める時間も、必要でしょ」
電話の向こうで、代表が笑った。
『本人もそう言っているなら、決まりだね』
「承知しました」
通話を切る。
サクヤは、窓に映った自分の唇を見ていた。
今日も選んだベージュが、まだ薄く残っている。
「結局、それが一番似合っていましたね」
私が言うと、サクヤが振り返った。
「どれ?」
「ベージュです」
「自分で選んだもん」
先週、最初に手に取ったのは限定色だった。
それを指摘する必要はなかった。
私は、次回企画の資料をバッグへ入れた。
二冊のうち、持ち帰ったのは《忘れられない女》の企画書だけだった。
《一目惚れされる女》の企画書は、会議室のテーブルに残した。
サクヤは最後まで、一度もそれを開かなかった。
企画決定までにかかった時間は、前回の半分以下。
私たちは以前より、ずっと噛み合っていた。
