東海道五十七次 徒歩の旅⑧府中宿~島田宿
こんにちは。26歳女です。
2024年11月から12月に、18日間かけて東海道五十七次を歩きました。
この記事では、東海道五十七次を歩いた記録を書いていこうと思いますので、これから歩く人にとって参考になればと思います。
これまでの記事一覧はこちら↓
今回の内容
今回は、出発して7日目に歩いた府中宿~島田宿について書きます。
この日はたくさんの出会いがあって面白い1日となりました。

府中宿出発
12月1日(日)、天気は晴れ。
ついに12月になりました。
この日は朝7時過ぎに出発しました。
ウェルカムドリンクとして、ホテルの自動販売機の飲み物を1本もらえたので、温かいミルクティーをいただいて、チェックアウトしました。
宿泊したホテルはこちら↓

↑商店街を通っていきます。
「銀座」という地名は東京の銀座を中心に、日本各地で見かけますよね。
調べたところ東京都内では、90か所も銀座という名前がつく場所があるらしく、繁華街の代名詞として、商店街や繁華街に「銀座」をつけるブームがあったそうです。
この駅南銀座の由来はなんでしょうね。

↑生まれて初めて静岡駅周辺を歩きました。
昔の府中宿は、駿府城もあったことから、大規模な宿場町として栄えていました。竹細工屋や蠟燭屋が並んでいたとのことです。
東海道と城下町の道は、敵の侵入を防ぐために曲がりくねっているところが多くあります。
また、街の外側にお寺が多いのも、敵の侵入を防ぐのが目的です。



↑せっかくなので駿府城にきました。
まだ7時台なので、ランニングや散歩をしている人しかいません。


↑東御門。
駿府城二の丸の東に位置していて、主に重臣たちが出入りしていました。
1632年に一度焼失し、1638年に再建されました。
現在のは1638年の再建時の姿に復元されたものになります。

↑狭間(さま)。
弓矢や鉄砲で敵を攻撃するために造られた小窓です。
長方形の窓は弓矢用、丸い窓は鉄砲用です。
外からの攻撃を防いで、内側から敵に狙いを定めやすくするため、窓は内側が広く、外側が小さくすぼまっています。

↑静岡駅周辺はきれいな街並みですね。
全くお店は開いていないのでわかりませんが、お洒落なお店が多い気がします。
マンションも立派なところがたくさん。

↑安倍川を渡りました。
昔は川越人足によって、この川を渡ることが出来ました。
名物である安倍川餅は、お店が閉まっていて食べられませんでした…。
きな粉をまぶしたお餅を、「金な粉餅」と名付けて徳川家康に献上した際、縁起がいいものだということで、安倍川餅という名前になったそうです。

↑渡り切った先に、江戸時代からここにある松の木がありました。

↑日本橋から数えて20個目に位置する丸子宿(まりこしゅく)に到着です。
比較的小さな宿場であったため、周囲の村の力も借りて人足や馬を供給していました。
この道で、東海道を旅しているんだろうなという外国人の方がいて、声をかけたかったのですが、歩くのが早すぎて追い付けませんでした。

↑脇本陣跡と、明治天皇が休憩をされたところ。
1868年11月4日、鳳輦(ほうれん)と呼ばれる神輿のようなものに乗って、明治天皇は東京を目指して京都を出発しました。
東海道のみならず、中山道などにも、明治天皇が休憩をしたとされる場所に、こういった記念碑が数多く建っています。
当時の江戸の人たちは、明治天皇が江戸に到着したときには、2日間家業を休んで歓迎したそうです。

↑問屋場跡。

↑本陣跡。

↑丸子宿は、とろろ汁が名物です。
丁子屋は、1596年に創業している老舗のお店。
1833年に描かれた東海道五十三次の丸子宿の絵には、とろろ汁が描かれています。
東海道中膝栗毛に登場する弥次さん喜多さんは、物語の中でこのとろろ汁を食べることができませんでしたが、歌川広重がこの浮世絵の中で、2人にとろろ汁を食べさせてあげたと言われています。

残念ながら、安倍川餅に続いてここもまだ閉まっていました。


↑丸子橋の近くに、高札場跡がありました。
ここに、幕府や諸藩が定めた法度や掟書が木の板に記されていました。
実際に書かれていた内容が再現されています。
「忠義や孝行を奨励し、夫婦兄弟緒親類は睦まじく召使の者(手代・使用人)にも情愛を加える事 もし不忠義や不幸する者には重い罪とする」
「伝馬並びに駄賃の荷物は、一駄について四十貫目、人足の荷物は一人にいて五貫目に限る事」
「毒薬並びににせ薬の売買は堅く禁制なり、若し商売する者には罪科とする。たとへ同類といえども訴え出る輩者にはきっと御褒美をくだされる事」
など。


↑道の駅宇津ノ谷(うつのや)峠がありました。

↑峠越えを控えていたのと、まさかのここでとろろ汁が食べられたので、小休憩。
窓際で外を食べながら休憩していると、窓を挟んだ外に、菅傘を被った方がやってきました。
東海道の旅人だと思って、窓越しにアピールをしたら、わざわざ隣の席まで来てくださりました。


↑山口県から歩かれているという強者の方でした。
ご自身は峠越えをしたとのことで、紙の地図をいただきました。
(今でも大事に持っています)
この東海道の道中、70~80歳くらいの旅人に多く出会いましたが、みなさん紙の地図を引っ張り出して、「紙じゃないと落ち着かないんだよね(笑)」とおっしゃっていて、なんだかほっこりしました。
写真を撮らせていただき、握手をして、お互い逆の方向へと進みました。

↑いよいよ、箱根峠、薩埵峠に続く、宇津ノ谷峠です。

↑石畳ののどかな道が続きます。
宇津ノ谷峠は、戦国時代に豊臣秀吉が小田原攻めをするために整備をされたと言われています。
十団子と呼ばれるお団子を、軒先に飾る風習があります。
これは昔、寺の住職に腫物ができて、小僧に膿を吸わせたところ、小僧が人間の味を占めてしまい、旅人を襲う人食い鬼になってしまったことが由来となっています。
地蔵菩薩が旅人に姿を変え、人食い鬼となった小僧を一つの玉に封じ込め、杖で十に砕いて飲み込んだことから、十団子が道中守護の魔除けとなっています。

↑階段を上ります。



↑明治のトンネルに到着しました。
近くに通っている「蔦の細道」という道が、東海道の古い道になりますが、このトンネルを見たくて、今回の峠越えはこちらの道を選びました。
ここで、オーストラリアから来ている観光客に会いました。
初めての日本旅行で、なんと新宿から大阪まで自転車で向かっているそうです(笑)
「私も大阪まで歩いているよ!」とお互いの旅について頑張って英語で話し、英語がたどたどしいのを謝ると、「なんでよ、あなたの英語はとっても素晴らしいよ!」と英語で褒めてくれて、すごく嬉しかったです。

↑彼はこの先にある、世界一長い木造の歩道橋の「蓬莱橋」に到着したらしいです。

↑峠を下ります。

↑髭題目碑。
1835年から、ここで人馬の安全と五穀豊穣を願ってくれています。(ありがとう)

↑岡部宿に到着。
本陣跡は立派な公園になっていました。

↑小野小町の姿見橋。
小野小町は、歌人として有名な絶世の美人でした。
晩年、この橋の上で夕日に映える景色を見ていたところ、ふと水面に映る長旅で疲れ果てた自分の姿を見て、老いを嘆き悲しんだとのことから名づけられました。

↑松並木が残っています。

↑藤枝宿に到着。商店街はほとんど閉まっていて寂しい…。

↑ふと目に入った「お喜せ 金つば本舗」という和菓子屋さんに立ち寄りました。
味噌まんじゅうが名物とのことで購入。
ここの饅頭も一口サイズの小ぶりなものでした。

↑勝草橋。勝ち戦から転じてそう呼ばれています。
昔は徒歩渡しでした。

↑一里塚跡。

↑ここも松の木が残っています。

↑とてもきれいな夕日。
東海道は西に向かって進むため、西日が常にすごいです。

↑日が暮れると松の木が怖い…。

↑いっぱい歩いてきたな~

↑島田宿に到着です。これは本陣跡。
こんな歴史ある貴重な場所に、ペットボトルのごみを乗せるとは許せない。
本日の宿
とろろ汁をゆっくり食べたので、この日も陽が沈んでからホテルに到着しました。
ホテルセレクトイン島田駅前に宿泊。
4515円でした。



静岡名物を全然食べられていなかったので、近くの「ほっとつな」というところに行きました。
常連さんが多そうな日で、一人ではちょっと入りにくかった…。
お店の外でもじもじして、意を決して入りました。

↑静岡おでんと、甘えびのかき揚げをいただきました。
本日の記録


↑ここまで来た。
次回に続く
次回は、島田宿~袋井宿です。
