東海道五十七次 徒歩の旅⑤箱根宿〜三島宿
こんにちは。26歳女です。
2024年11月から12月に、18日間かけて東海道五十七次を歩きました。
この記事では、東海道五十七次を歩いた記録を書いていこうと思いますので、これから歩く人にとって参考になればと思います。
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今回の内容
今日は出発して4日目に歩いた箱根宿~三島宿について書きます。
東海道一の難所と言われていた箱根峠が心配だったため、峠の手前にある箱根湯本で一泊をして、そこからスタートする工程にしています。
一人で峠越えということが不安すぎて、この日は夜中に目が覚めています。
また、歩いているときも常にぴりぴりして神経をとがらせていました。

箱根湯本出発
11月28日(木)、天気は晴れ。
この日は箱根峠越えが不安だったため、とにかく早く出発をしようと思い、6時半にゲストハウスを出発をしました。
ゲストハウスについてはこちら↓
箱根の峠越えで私が心配だったのは、3つです。
一部歩道のない道を歩くことになる
熊が出ないか
子供も歩けるようなハイキングコースではあるとのことだが、長距離を歩く体に対してどのくらいしんどいのか未知数
シンプルに一人で不安
1に関しては、安全優先のために、東海道で唯一15分ほどバスに乗り、須雲川バス停というところで降りて、須雲川自然探勝歩道というハイキングコースをあえて歩きました。
平日の朝6時半だと車通りがなかったため、バスでショートカットした道は歩いてもよかったなと思いましたが、休日の日に歩く方は車との距離が近いため、気を付けた方がいいと思います。

2の熊に関しては、箱根町のHPで熊情報を確認し、念のためバスの運転手さんにも確認をしました。熊は大丈夫だと言われましたが、不安だったため念のため熊鈴は鳴らして歩いています。
3に関しては、箱根に限らず、現代は東海道にあるすべての峠が、ハイキングコースとして整備されています。
私にとっては、長距離を歩いている体でも問題ないレベル感でした。
そして、4のソロで峠越えする不安は、とにかく早歩きで通り抜けて乗り切りました。
街中歩きと違って、平日の道は人通りが少ないため、歩いているときはちょっとした物音も怖いし、何か異常はないか常にぴりぴりしていました。

↑江戸時代に作られた石畳が箱根には残っています。
晴れていたため滑らなかったですが、濡れているとかなり滑るらしいです。
私は底がすり減って、履き古しているランニングシューズで歩きました。

↑箱根旧街道の目印。
箱根の道は、富士山噴火の影響も含めて、時代の移り変わりと共にそのルートも変わっていきました。現在は国道一号線が主流になっています。
石畳は、関東大震災や伊豆地震などの災害の影響で大半が埋没してしまいました。

↑箱根の道は、雨や雪のあとは膝まで泥水に浸かりながら歩かないといけないほどだったため、竹を毎年敷き詰めて対処していました。ただ、その労力が大きかったことから、1680年に石畳が出来ました。
この石畳はとてもよく作られていて、小さな石と大きな石を組み合わせて、流れてくる雨水が追い出されるようになっています。

↑ひょっこり住宅の隣から出てきました。箱根の街道の途中にある畑宿というところは、たくさんの茶屋でにぎわっていた村です。蕎麦や鮎の塩焼き、箱根細工が名物でした。

↑こういった目印が箱根にはたくさんあります。

↑箱根八里と呼ばれる箱根の難所は、大人の足で1日かかったそうです。
その過酷さは、女性が落馬をして亡くなった「女ころばし坂」や、猿でさえも滑ってしまう「猿滑りの坂」など坂の名前にも表されています。
他にも、『こわめし(蒸しごはん)を食べないと登れない』『背負った米が汗と熱でこわめしになった』というエピソードから「こわめし坂」と呼ばれる坂や、『牛が転がった(臼を転がした)』ことから「臼転坂」と呼ばれる坂などもあります。

↑雲助(くもすけ)と呼ばれた人たちに関する説明書き。
雲助とは、街道において荷物運搬や川渡し、駕籠担ぎなどに関わった人を指します。力が強く、荷造りが優れていて、歌をうたうのが上手な人じゃないとなれなかったそうです。

↑甘酒茶屋までもう少し。
甘酒茶屋は、甘酒と力餅が名物です。
力餅を食べたかったですが、朝早すぎて閉まっていました。
途中、ドイツから旅行に来ている方に会いました。外国人がこの旧街道を歩くとはすごい、、、

↑芦ノ湖に近づくにつれて、風が強くなりました。

↑芦ノ湖に到着。富士山が見えたときは嬉しかったな~!!!
この日は爆風で、海かと間違えるくらい、芦ノ湖の水が歩道にまで乗り上げていました。
風が怖かったため、休憩をする暇もなく歩きます。

↑芦ノ湖周辺の旧道は、ちらほら観光客も歩いていました。

↑箱根関所。
小学生が団体でいてにぎわっていました。

↑関所も通り過ぎて、また山道に入っていきます。

↑ほんの少し、車通りのある道に出ます。
横断が怖かったですが、緑色の歩道の目印があったため、安心しました。

↑いよいよ三島の方に降りていきます。
途中、工事のため迂回をする必要があり、プチパニックに。
YAMAPとGoogleマップ、市の公式情報などを確認し、国道一号線を歩きました。こういった山にある道は、片方の歩道が途中で途切れることがあるあるなので、ストリートビューで確認をして歩きます。

↑接待茶屋。
箱根には、旅人を救うために人や馬におかゆや飼葉、焚火を無料で施す接待茶屋という場所がありました。1970年まで続いたとのことです。

↑かぶと石。
その由縁は、兜を伏せたような形であるという所説と、豊臣秀吉が兜を石の上に置いた所説の2つがあります。
この近くに、富士山がとてもきれいに見える展望台がありました。
近くを歩いていた方が教えて下さり、たまたま立ち寄ることが出来ました。
とてもきれいに富士山と海が見え、スタートしてから一番テンションが上がりました。

↑階段を降りていきます。

↑少し紅葉していました。

↑山中城址。
北条氏が1558~1570年に築城をしたと言われている中世最末期の山城です。1590年に、豊臣秀吉の大軍によって、1日で落城したと伝えられています。

↑芝切地蔵。
急な腹痛で亡くなった旅人を供養し、参拝に来た親族に小麦まんじゅうをふるまったところ、その味が有名になり、その収益は1年間の山中部落の費用を賄えたほどだったとのことです。

↑とにかく富士山がよく見えます。ここら辺からは、箱根峠を超えた実感が湧いて、東海道を歩ききる自信も湧いたため、気持ちに余裕ができて富士山の写真ばかり撮っていました。
長距離を歩いてきた身にとって、富士山はエネルギーをもらえる偉大な存在でした。
きっと不安を感じながら命がけで峠を越えた昔の人も、同じような気持ちだったんだろうな。

↑三島スカイウォーク。

↑とにかく風が強かったです。

↑錦田の一里塚。両塚が残っていて、とても立派でした。
一里塚に関する以前の解説はこちら↓

↑三嶋大社に到着。

↑ハート形のみしまコロッケをいただきました。
本日のお宿
この日は、ホテルセレクトイン三島に宿泊。
料金は6500円。

↑旅をスタートしてから、この日初めて洗濯をしました。
洗濯300円、乾燥は30分100円でした。
本日の記録
この日は峠越えのために距離は抑えていたため、こんな感じ。

次に続く
次回は、三島宿~吉原宿です。
