37歳で父を亡くした後悔が、17年の介護を支えた
37歳で、父を亡くした。
父はC型肝炎で、長年治療を続けていた。
健康への気づかいは、誰よりも強かったと思う。
ある日、何気なく両親に電話をかけた。
「今、大きな病院で検査を待っているところ」という声。
結果は、肝臓癌だった。
一人っ子の私は、意を決して、故郷に戻った。
日赤では「無治療」と言われた。
「無治療って、何もしないっていうこと?」
私はどうしても納得できなかった。
大学病院で診てもらい、そこでの治療をスタートした。
入退院を繰り返すこと、約2年。
そして父は、77歳で旅立った。
父の葬儀のとき、もっと出来ることがあったのではないか?
もし、無治療を選んでいたら、父はもっと有意義な最期を迎えられたのかもしれない。
私が決めてしまったけど、良かったのだろうか?
後悔の念が押し寄せてきた。
葬儀の夜、私は決めた。
「母だけは、ちゃんと見送ろう」
父に献身的だった母。
通院にはいつも付き添っていた。
病院の泊まり込みは私がしていたが、日々の介護は母がしていた。
その父が突然いなくなった。
50年近く一緒にいた、父と母。
夫婦の絆がどれほど強いか、独身の私にはわからない。
母の心に、大きな穴がぽっかり空いたに違いなかった。
父を亡くして1ヶ月経ったとき、母の異変に気づいた。
知り合いからの伝言があったことすら覚えていない。
普段の何気ないことが、出来なくなっていった。
忘れられない記憶がある。
ある日、私が「ちょっと出かける」と言ったら、母は「私も連れてって」と泣いた。
今まで見たことのない、母の姿だった。
あれだけ父と一緒にいた母が、突然ひとりになったのだ。
心細くなって当然。
でもそのときの私にはわからなかった。
これが17年間の介護の始まりだった。
診断結果は、軽い認知症。
それを聞いて、最初は戸惑った。
「どうして?」半年くらい、葛藤が続いた。
でも、ある日、母は病気なんだと受け入れている自分に気づいた。
本当に、ある日ストンと。
わたしの友人たちの存在も大きかった。
何度も同じことを話す母に対して、誰一人「さっきも言っていたよ」とは言わず、ただ黙って聞いてくれていた。
母を自宅で看取ったのは2年前。
悲しかった、寂しかった。
でも、ホッとした。それが正直な気持ちだった。
母を見送ることができた。
やっと親孝行ができた。
気づけば、17年。
短かったのか? 長かったのか?
介護しているときは、母に時間を取られているとずっと感じていた。
自由になりたい! そう思っていた。
でも17年やり続けられたのは、あの夜の覚悟があったから。
「母だけは、ちゃんと見送ろう。」
37歳で父への後悔が、54歳まで私を支えた。
