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26.池袋という街と共に育つ飲食店

こんにちは、福山翔です。

私は渋谷に住みながら、池袋でイタリアンの飲食店を経営しています。お店を開いてからの年月を振り返ると、「なぜ池袋だったのか」「どんな不安と向き合ったのか」、そして「家族の存在がどれほど大きな支えになったのか」を改めて強く感じます。今日はその想いを少し綴ってみたいと思います。


渋谷に住みながら、なぜ池袋を選んだのか

私が暮らしているのは渋谷ですが、店を構えたのは池袋でした。周囲からは「なぜ近いのに渋谷じゃなく、池袋なの?」とよく聞かれます。実際、渋谷は若者文化の発信地として勢いがありますし、飲食店にとっても華やかなエリアです。

それでも私が池袋を選んだのは、この街の「多様性」に惹かれたからでした。学生、ビジネスパーソン、ファミリー層、海外からの旅行客…さまざまな人が集い、交差する街。どんな人にも居場所があるような雰囲気に、この街でなら自分の店も地域に溶け込めるはずだと感じたのです。


開業当初の不安と挑戦

もちろん、開業当初は不安でいっぱいでした。
お客さんは本当に来てくれるのか?
池袋という街に、自分の味やスタイルを受け入れてもらえるのか?

日々の仕込みをしながらも、頭の片隅には「失敗したらどうしよう」という思いがよぎることもありました。ですが、同時に「挑戦しなければ何も始まらない」という気持ちも強くありました。私は会社員時代から人脈づくりやイベント参加を重ねてきましたが、それはすべて「いつか自分のお店を持つ」という夢につながっていたのだと思います。

今振り返れば、あの不安こそが原動力でした。試行錯誤しながら、ひとりでも多くの人に喜んでもらおうと動き続けたことが、今の店の形をつくってきたのです。


家族の支えを得て決意

そして何よりも大きな理由は「家族の存在」です。
結婚し、子どもが生まれる直前。これからの人生を考えたとき、私の心に浮かんだのは「家族に胸を張れる生き方をしたい」という思いでした。

安定した会社員生活を続けるという選択肢もありました。しかし、それでは子どもに「挑戦する背中」を見せられないのではないか。たとえ失敗しても、全力で挑む姿を家族に見せたい。そう考えたときに、迷いは消えました。

開業の裏側には、当然ながら資金面や時間の問題など多くの壁がありました。それでも妻が支えてくれ、家族が「大丈夫、やってみよう」と背中を押してくれたからこそ、私は覚悟を決めることができたのです。


池袋と共に歩むこれから

今では常連のお客さまや、近隣のお店との交流も増え、池袋という街に少しずつ根を張れている実感があります。地域のイベントに参加したり、他店と協力して企画を行ったりする中で、「お店は街と共に育っていくもの」だと改めて感じます。

これからも池袋に根ざし、この街にとって必要とされる存在でありたい。単に食事を楽しむ場ではなく、地域の人々が集まり、笑顔になれる場所をつくり続けたいと思っています。

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