見出し画像

『神の器 幻燈の館』 後日談2 「Café Sereinでの再会」

後日談2 神依春一&代崎すみれ Café Sereinでの再会


午後も遅い時間、硝子窓越しに差し込む陽はもう傾きかけている。

喫茶店の扉が開くと、すみれが立っていた。薄い灰色のシャツに青藍のパンツ姿。強い決意のような光が、その眼にある。正義感と気高さを体現したような、いつも通りのすみれがそこにいた。


彼女が日常生活に復帰できた、そのことを何より嬉しく思う。すみれは、俺と同じく、あの館に遺された楓ちゃんの記憶を焼き付けられるように追体験したのだ。入院中、鎮静剤の静脈注射すら必要だった彼女が、生きてここに居る。

「……すみれさん。来てくれたんだね」


「春一くんの淹れてくれるコーヒーのファンなの。でもそうね、近くまで来たから、って言えば格好つく?」

勝気に笑ってみせる彼女の、普段より濃い化粧と、わずかに揺れる視線。

だから、あえて軽く笑って、手元のカップを拭きながら言った。
「すみれさんは、いつでもかっこいいよ」


すみれは席につき、しばらく沈黙したのちに、ぽつりと言った。
「この前、来てくれてありがとう。あれがなかったら、私は鎮静剤で誤魔化し続けるしかなかった。
……ごめんね、春一くん。私のためにあんなとこ行って、あそこで、2日も過ごしたんでしょ。あなたの異能なら、私よりずっと鮮明な苦痛だったはずよ。」

ふと視線を逸らした。
「……俺は、大丈夫だよ。諦観は、誰より得意だって自覚してる。典彦が連れ出してくれるまでの七年を思えば、なんだって耐えられる」

今でも夢に見る、あの歳月。魂すら侵され、喰われ、俺という人間が塗り潰されていく、あの感覚。でも、〝起きて〟しまっていた俺が、やってしまったことを知ったら彼らは怒るだろうか。

心配そうな顔をするすみれに、ふわりと微笑んだ。
「あのね。あの館では典彦も真さんも隣にいてくれたから。だから大丈夫だよ」

だって、本当に嬉しかったから。〝神の器〟として完成するために押し込められた、たった一人で凍えながら過ごした冷たい祠とは違う。

典彦はできる限り、手の届く距離にいようとしてくれていた。犯人が誰かわからなかった時、他人のいる場所では、真は常に俺を視界に入れていた。

『王女の間』での真との一夜を思い出す。かつてあの館に下宿していたという荻原貴司は、貴賓室である『王女の間』には、足を踏み入れたことはなかった。

あの夜、あの場所でだけ、俺は、苦痛から解放された。あの部屋に残された、楓ちゃんの陽だまりのように幸せな記憶だけを夢に視た。

「ね、すみれさん。俺、ガニュメデスみたいかな?」
極度の緊張と疲労にあった真の発言は、今思うとなかなか衝撃的だった。けれど、あの一夜がなければ、嵐はきっと止まなかった。

「ガニュメデスってなに?」

怪訝な顔をするすみれに、詳しく話す。
「ギリシャ神話で、ゼウスに見出されて神々の給仕係をしてた美少年、かな。水瓶座はその姿を模ってるんだよ。あの日ね、真さんに言われたんだ。ガニュメデスじみた見た目だって」

「あの男、そんなユーモアあったのね」
二人で、顔を見合わせて笑う。
優しく、正しい。そして、微笑ましい。
年上の男性に使うには少し失礼な表現だろうか。

やがて、すみれはカップに口をつけながら言った。
「もう少ししたら、また現場に戻れるかも。まだ本調子じゃないけど」

ふたりの間に再び静けさが戻る。

座面の深いソファに身体を預けながら、すみれはコーヒーカップを回していた。彼女らしくない行儀の悪さ。その不安げな仕草は、いまだ癒えない傷の深さと、精神の不安定さを表していた。

けれどすみれは、一瞬の逡巡ののち、彼女らしいハッキリとした口調で、俺の目を見ながら話し出した。

「あのね、春一くんの大丈夫、それは大丈夫とは言わないのよ。それは理性でなくて心的外傷からの麻痺だって自覚して。どれだけ些細でも、痛いときは痛いって、言いなさい。私はいやよ。春一くんが、あんなのですら、一人で耐えるなんて」


「なにもできなくても、知って傍にいたい」






いいなと思ったら応援しよう!

桜子 いつもありがとうございます。読んでいただけて、とても嬉しいです。