「コブラ効果」という、人間の悲しすぎる賢さ。
ネズミを減らしたければ、
ネズミに値段をつけてはいけない。
少し奇妙な話ですが、20世紀初頭のベトナム・ハノイで、よく似たことが本当に起きています。
当時、フランス統治下のハノイでは、ネズミが大量発生していました。
困った行政は、ネズミを駆除した人に報奨金を出す制度を始めます。
証拠は、
「ネズミの尻尾」。
尻尾を持ってくれば、お金がもらえる。
ネズミを捕る。
お金がもらえる。
ネズミが減る。
完璧に見えます。
ところが、街には奇妙なネズミが増え始めました。
尻尾のないネズミ。
人々はネズミを殺さず、尻尾だけ切って、また街へ放していたのです。
生かしておけば、また子どもを産む。
子どもが増えれば、また尻尾が取れる。
つまり、ネズミ退治が、
「ネズミ養殖ビジネス」
に変わった。
問題を解決するための制度が、問題そのものに価値を与えてしまったのです。
これを、
「コブラ効果」
と呼びます。
「善意」が問題を大きくする。
コブラ効果とは、問題を解決するために作った仕組みが、逆にその問題を悪化させてしまう現象です。
名前の由来は、イギリス統治下のインドで、毒蛇のコブラを減らすために報奨金を出したところ、報奨金目当てにコブラを飼育する人が現れた、という有名な逸話。
もっとも近年、この「コブラ養殖」の話については、史実として疑問も指摘されています。
一方、ハノイのネズミ退治については歴史的記録が残っています。
歴史家のマイケル・ヴァンは、コブラの逸話より、むしろこちらを「ラット効果」と呼んでもいいのではないか、と指摘しています。
そして、この話の本当に面白いところは、
人々がルールを破ったわけではない
ことです。
むしろ、逆です。
人々はルールを、完璧に理解しました。
行政が提示したゲームの中で、もっとも効率よくお金を稼ぐ方法を見つけただけです。
ここに、コブラ効果の怖さがあります。
人間は「数字」を攻略するイキモノ。
これは、100年前のネズミの話ではありません。会社でも、学校でも、行政でも起こります。
売上。
契約件数。
テストの点数。
残業時間。
フォロワー数。
数字は便利です。
見える。
比べられる。
評価できる。
だから組織は、数字を使います。
そして、いつの間にか、数字そのものが目的になってしまいます。
これを説明する有名な考え方があります。
「グッドハートの法則」です。
ざっくり言えば、
「指標が目標になった瞬間、
その指標は良い指標ではなくなる」
というものです。
契約件数を増やせ。
そう言えば、「必要のない契約」まで増える。
残業時間を減らせ。
そう言えば、仕事そのものではなく、「残業の記録」が消える。
テストの点数を上げろ。
そう言えば、学力ではなく、「テストで点を取る技術」が育つ。
数字は改善します。
しかし、中身まで改善したとは限りません。
似た考え方に、
「キャンベルの法則」
があります。
社会的な意思決定に数字が使われれば使われるほど、その数字は操作されやすくなり、やがて、本来測ろうとしていたものまで歪めてしまう。
数字が悪いのではありません。
数字を、目的そのものにしてしまうことが危ないのです。
「ウェルズ・ファーゴ」という、数字の暴走。
この構造が、企業の中で極端な形になった例があります。
アメリカの大手銀行、「ウェルズ・ファーゴ」。
同行は、一人の顧客に複数の商品を販売する「クロスセル」を重視し、従業員には厳しい新規口座獲得目標が課されました。
口座を増やす。
商品を増やす。
数字を伸ばす。
成果を出せば評価される。
それ自体は、ごく普通の営業制度です。
ところが、数字へのプレッシャーが強くなりすぎました。
従業員の一部は、顧客の同意なしに銀行口座やクレジットカードを作り始めます。
やがて、数百万件規模の不正口座が問題になりました。
銀行が本当に欲しかったものは、
「顧客との取引を増やすこと」
だったはずです。
ところが現場が与えられた指標は、
「口座の数」。
すると、顧客との関係ではなく、口座の数そのものが増えました。
数字は、命令に忠実でした。
ただ、目的には忠実ではなかった。
プルデンシャル生命が課した「インセンティブの罠」。
2026年、日本でも象徴的な出来事がありました。
プルデンシャル生命です。
同社の調査では、100人を超える社員・元社員について、顧客との投資話や金銭貸借など、金銭に関わる不適切行為が確認されました。
対象となった顧客は数百人。
受け取った金額も、数十億円規模にのぼります。
もちろん、不正を行った本人の責任が消えるわけではありません。
ただ、この事件には興味深い点があります。
会社自身が原因分析の中で、営業社員の活動管理や、報酬制度そのものの課題に言及していることです。
業績に強く連動する報酬。
高い成果。
高い評価。
表彰。
社内での昇進。
本来は、優秀な営業社員を育てるための制度です。
成果を出した人には、より大きな報酬が与えられる。
極めて合理的です。
ただ、インセンティブが強くなりすぎると、景色が変わります。
人を動かす制度が、人を動かしすぎる。
顧客との信頼関係は、本来なら保険営業にとって最大の資産です。
ところが、その信頼が別の金銭取引へ流用された瞬間、
「信頼を作る能力」が、
「信頼を換金する能力」に変わってしまう。
制度がそれを命令したわけではありません。
ただ、
強いインセンティブ。
強い個人営業。
強い成功体験。
それらが重なると、人間は、ときに制度が想定していなかった方向へ走り始めます。
これも、インセンティブ設計の難しさです。
noteにも「トンネリング」はあります。
そして、これは企業や行政だけの話でもありません。
もっと身近なところにもあります。
たとえば、
note。
最初は、
「何を書きたいか」
だったはずです。
しかし、
アクセス数が見える。
スキが見える。
フォロワー数が見える。
ランキングが見える。
表彰してくれる。
数字が見えると、少しずつ意識が変わります。
何を書きたいか。
から、
何を書けば伸びるか。
へ。
文章を書くために数字を見ていたはずが、いつの間にか、数字を作るために文章を書くようになる。
これは、悪いこととは限りません。
読者を意識することは大切です。
届く文章を書くことも大切です。
しかし、評価される数字に意識を奪われすぎると、
「なぜ書き始めたのか」
という最初の目的が見えにくくなっていませんか。
行動科学には、
「トンネリング」
という考え方があります。
目の前の不足や目標に意識を奪われ、それ以外が見えにくくなる状態です。
ノルマ。
締め切り。
評価。
報酬。
アクセス数。
フォロワー数。
その一点に集中すると、
「何のためにやっているのか」
という本来の目的が、少しずつ視界から消えていく。
出口だけを見て走っていたら、いつの間にか、「なぜ、このトンネルに入ったのか」を忘れてしまった。
そんな状態です。
ハノイなら、ネズミを減らすこと。
銀行なら、顧客の資産を守ること。
保険会社なら、顧客の人生を守ること。
noteなら、自分の中にある何かを、誰かに届けること。
本来の目的は、それほど複雑ではありません。
しかし、評価される数字が見えた瞬間、人はそこへ向かいます。
人間は愚かだから、
ルールを攻略するのではありません。
むしろ、
賢いから攻略する。
コブラ効果というのは、人間の愚かさの話ではありません。
われわれ人間の、
「悲しすぎる賢さ」
の話です。
良い制度は「人間を信じすぎない」。
では、どうすればいいのでしょう。
答えは、少し冷たいですが、
人間を信じすぎないこと。
もちろん、「人間は悪人である」という話ではありません。
経済学には、制度を作る側と、実際にその制度の中で行動する側の目的がズレる、
「プリンシパル=エージェント問題」
という考え方があります。
行政は、ネズミを減らしたい。
住民は、報奨金を増やしたい。
会社は、顧客との取引を増やしたい。
営業社員は、自分の評価や報酬を増やしたい。
プラットフォームは、良いコンテンツを増やしたい。
書き手は、自分の記事を読んでもらいたい。
目的は似ているようで、完全には同じではありません。
そして人間は、その違いを見つけます。
ルールを読む。
数字を攻略する。
抜け道を探す。
制度を壊すのではなく、制度が決めた条件の中で、自分にとって最も有利な行動を探す。
こうした行動は、
「Gaming the System」
と呼ばれます。
まさに、制度そのものをゲームとして攻略する。
そして、良いインセンティブのつもりが、望ましくない行動を合理的にしてしまう。
これを、
「Perverse Incentive」
逆インセンティブと呼ぶこともあります。
コブラ効果の本質も、そこにあります。
だから制度を作る側も、
「こう動いてほしい」
だけでは足りません。
見るべきなのは、
「このルールなら、人は何をしたほうが得なのか。」
です。
ネズミの尻尾を集めるのではなく、本当にネズミが減ったかを見る。
口座数を見るだけでなく、顧客の継続率や苦情を見る。
契約件数を見るだけでなく、解約率や顧客満足を見る。
残業時間を見るだけでなく、仕事量そのものを見る。
PVだけでなく、読了率や再訪を見る。
一つの数字だけではなく、それと逆方向の数字も見る。
生産数を見るなら、不良品率も見る。
売上を見るなら、返品率も見る。
契約数を見るなら、解約率も見る。
こうした、
一つの指標の暴走を別の指標で監視する考え方を、
「カウンター・メトリクス」
と呼びます。
さらに、制度を作る前に、「自分がこの制度を悪用するなら、どうするか」を考えてみる。
いわば、
制度の
「レッドチーミング」
です。
善意で制度を見るのではなく、
悪用する側。
攻略する側。
最適化する側。
その頭で、一度ルールを眺めてみる。
そして、「何件やったか」というOutputだけではなく、
「その結果、社会や顧客に何が起きたか」
というOutcomeを見る。
制度設計とは、人間を思い通りに動かすことではありません。
人間が思い通りに動かないことまで、あらかじめ設計に入れておくことなのだと思います。
善意だけでは、社会は設計できない。
制度は、たいてい善意から始まります。
教育を良くしたい。
犯罪を減らしたい。
会社を成長させたい。
顧客を増やしたい。
良い文章を届けたい。
街からネズミをなくしたい。
出発点は、たぶん正しかったはずです。
問題は、その善意を、
「どんなルールに変換するか」。
です。
ルールを作れば、人はその通りに動きます。
ですが、そんなに単純ではありません。
人は、ルールに従いながら、ルールを利用します。
そして、ときどき、制度を作った人より早く、制度の穴を見つけます。
コブラ効果。
グッドハートの法則。
キャンベルの法則。
トンネリング。
プリンシパル=エージェント問題。
Gaming the System。
Perverse Incentive。
名前は違います。
しかし、その奥にあるのは、同じ人間です。
ハノイの人々は、ネズミ退治の制度を壊したのではありません。
制度が与えたインセンティブに、忠実すぎただけです。
ウェルズ・ファーゴの社員も、
プルデンシャルの営業マンも、
そして、数字を気にしすぎる私たちも、
構造だけを見れば、どこか似ています。
普通の人間が、
少しだけ賢く、
少しだけ得をしようとする。
だから、制度を作るときに本当に考えるべきなのは、
「人は、このルールに従うだろうか」
ではないのかもしれません。
「人がこのルールに完璧に従ったら、何が起きるだろう。」
そこまで考える。
少し皮肉ですが、人間のずるさまで想像することが、いちばん人間にやさしい制度設計なのかもしれません。
