No more iPhones, No more ハワイ。
新しいiPhoneを買わなくなった。
ハワイにも行かなくなった。
別に、物欲がなくなったわけではありません。
海外旅行に興味がなくなったわけでもない。
ましてや、ミニマリストになったわけでもありません。
単純に、高いのです。
もう少し正確に言えば、円が安い。
Apple Storeを開く。
新しいiPhoneを見る。
値段を見る。
「今年はいいか」
旅行サイトを開く。
ハワイを見る。
航空券を見る。
ホテルを見る。
ラーメン一杯の値段を考える。
「今回はいいか」
海外ブランドを見る。
円に換算する。
そっとページを閉じる。
最近、こういうことが増えました。
これは、単なる物価高の話ではありません。
日本円で暮らしている私たちにとって、世界が少しずつ遠くなっている。
という話です。
円安は、誰かが決めた値段ではない
円安になると、
「政府は何をしているんだ」
「日銀はもっと何とかできないのか」
という話になります。
もちろん、政府も日銀も何もできないわけではありません。
日銀は金利を動かせる。
政府は為替介入もできる。
ですが、日本は変動相場制です。
円の値段を、政府が決めているわけではありません。
原則として、市場が決めます。
世界中の銀行。
ファンド。
企業。
年金。
投資家。
そして今では、世界中の個人。
彼らが円を買うのか。
売るのか。
その無数の判断の積み重ねが、
「1ドル=◯◯円」
という数字になります。
だから市場は、日本政府の言葉だけを聞いているわけではありません。
条件を見ています。
「日本、ホントに金利上げられるの?」
円安の説明でよく出てくるのが、日米金利差です。
アメリカの金利が高い。
日本の金利が低い。
だったら、円よりドルを持った方が有利。
ここまでは分かりやすい。
ですが、市場が見るのは、その先です。
日銀が利上げした。
そこで終わらず、
「で、ここからどこまで上げられるん?」
と考えます。
日本には大きな政府債務があります。
住宅ローンもある。
企業の借入もある。
景気への影響もある。
金利を上げれば、円にはプラスに働きやすい。
ですが、上げれば上げるほど、別の場所に負荷がかかる。
逆に金利を抑えれば、円安や輸入物価には厳しくなりやすい。
だから市場は、日本の「やる気」より、実際にどこまでできるのか
を見ています。
少し乱暴に言えば、まあ、舐められているのです。
ただ、もっと正確に言えば、
手の内を読まれている。
さらに言えば、
日本の制約まで読まれている。
市場は、日本をいじめているわけではない
ここを、
「海外投資家が日本を攻撃している」
と考えると少し違います。
市場参加者は、日本を困らせるために円を売っているわけではありません。
ただ、自分にとって有利な場所へ、お金を動かしている。
それだけです。
日本政府には介入する自由がある。
市場には円を売る自由がある。
日銀には金利を動かす自由がある。
それを見て、また市場が動く。
全員が同じ巨大なゲームの中で、
自分に許された手を打っています。
そして、おもしろいのは、
市場は政策そのものにも値段をつける
ということです。
「介入します」
と言われれば、
「どこまでやるの?」
と考える。
「利上げします」
と言われれば、
「何%まで?」
と考える。
市場は、言葉より、その次に何ができるかを見ています。
介入は、一発KOではない
1998年にも、日本とアメリカは円安を止めるために協調介入しました。
介入によって円は大きく動きました。
ですが、それだけで市場の潮流そのものが完全に変わったわけではありません。
その後、
世界的な金融不安。
ポジションの巻き戻し。
投資家のリスク回避。
いくつもの条件が重なり、円の流れそのものが変わっていきました。
だから私は、為替介入を、
一発で相場を倒すパンチというより、
ジャブに近いものだと思っています。
一発では潮流は変わらない。
ですが、何発か打たれる。
「また来るかもしれない」
と市場が警戒する。
そこへ別の大きな材料が入る。
すると、最初はただの波だったものが、いつの間にか潮流になる。
1998年と今では、市場そのものが違う
当時は、まだiPhoneもありません。
今のように、世界中の個人が同じチャートをスマートフォンで見る時代でもありませんでした。
今は資金の動きも速い。
アルゴリズムも動く。
海外株や海外ファンドを個人が簡単に買える。
クラウド。
広告。
ソフトウェア。
海外サービスへの支払い。
円から外へ出ていくお金の通り道そのものが増えています。
日本だけが変わったのではありません。
相手である市場そのものが、巨大になり、速くなった。
だから政府が巨額の円買いを入れても、その後ろには、さらに巨大な世界の資金があります。
同じ数字でも、意味は同じではない
では、相場は何で動くのか。
金利。
物価。
景気。
賃金。
財政。
貿易。
資金フロー。
こういうものを、ファンダメンタルズと呼びます。
ですが、それだけでも相場は読めません。
例えば、同じ「政策金利1%」でも、
市場が、
「ここが限界」
と思うのか、
「2%へ向かう途中」
と思うのかで、
意味はまったく違います。
数字は同じ。
でも、解釈が違う。
市場はいつも、「今」だけではなく、次を見ています。
次に日銀は何をするのか。
アメリカはどうするのか。
政府はまた介入するのか。
景気は持つのか。
世界はリスクを取るのか。
その問いに対して、世界中の参加者がそれぞれ答えを出す。
そして、その答えがお金の流れになります。
少し大げさに言えば、
相場とは、その時代の気分に値段がついたものなのかもしれません。
チャートは、未来の設計図ではない
人間は昔から、その相場の中に法則を探してきました。
移動平均線。
一目均衡表。
フィボナッチ。
そして今ではAI。
過去の価格。
金利。
ニュース。
経済指標。
人間では処理できないほどの情報から、次の動きを探そうとする。
ですが、それでも外れます。
市場は固定された方程式ではないからです。
政策が変わる。
参加者が変わる。
資金量が変わる。
世界で事件が起きる。
そして、予測を見た人間自身が行動を変える。
だからチャートは、未来の設計図というより、無数の人間と機械が動いたあとに残った、市場の足跡なのだと思います。
そして話は、Apple Storeに戻る
ものすごく巨大な話をしてきました。
中央銀行。
政府債務。
為替介入。
世界中の投資家。
アルゴリズム。
何兆ドルもの市場。
ですが、その巨大な話は、最後には私たちの日常へ戻ってきます。
Apple Storeを開く。
値段を見る。
「高っ」
旅行サイトを開く。
ホテルを見る。
「今回はいいか」
一つひとつは、大したことではありません。
誰かにiPhoneを買うなと言われたわけではない。
ハワイへ行くなと禁止されたわけでもない。
ですが、こういう小さな、
「まあ、いいか」
が増えていく。
すると、生活の半径が少しずつ小さくなる。
欲しいものがなくなったわけではありません。
世界に興味がなくなったわけでもない。
私たちが突然、質素になったわけでもない。
ただ、値段を見て、行動を変えた。
その値段の後ろには、
金利。
景気。
政策。
企業。
金融機関。
世界中の投資家。
そしてアルゴリズムがあります。
無数の判断が市場を通って、
最後には、ひとつの価格になって返ってくる。
私たちがApple Storeで、
「高っ」
と感じる。
その瞬間、私たちは巨大な市場の計算結果を、生活の中で受け取っています。
世界がなくなったわけではありません。
ただ、日本円で届く世界が、少し遠くなった。
No more iPhones.
No more ハワイ。
これは、節約の標語ではありません。
ミニマリズムでもありません。
市場がつけた、
いまの日本円の値段の話です。

