トナカイと卵料理【#シロクマ文芸部】
波の音に気づいてカーテンを開ける。
七夕が過ぎてから静かだったのに、今日は愉快そうだね。
懐中時計を見やる。
茶色い手。五本のかぎ爪で囲まれた、かたくて黒い肉球の上で、時刻は19時半を示していた。
ここ、カラザ星雲で天の川は海のように見える。
天の川は見る場所によってちがったふうに見える。
ちがったかたちになる。
ここでは波をもつ。潮の満ち干きもある。
家の窓から見える天の川はごきげんそうだった。毎日見ているから分かる。周りの「夜」はふるえていて、むくむくと拡がりそうだった。
カーテンの横の丸椅子には木彫りのくまが置いてある。おとうさんのかたちに似せてつくられている。鮭獲りの名手だった。肥った鮭がよく食卓に並んでいた。
でもぼくは魚より、卵料理がすきだった。ダイニングテーブルの上には、今晩ぼくがつくったたくさんの卵料理。ふわふわのオムレツ。半熟卵ののったカルボナーラ。この目玉焼きに見えるものは、実はチーズケーキ。プリンもある。ぼくはスプーンとフォークでつぎつぎ頬張る。テーブルの上には、ちいさなトナカイの置き物があった。
そう狙ったわけじゃない。でも、卵にはそういう作用があるのかもしれない。ぼくは小さくなっていった。料理で使った卵くらいの大きさになって、ダイニングテーブルの上に立っていた。
「はああああ」
大きなため息のようなものが聞こえて、ぼくはふり返る。トナカイの置き物が頭を下げて、テーブルの上の卵料理を食べていた。
こっちを食べて「はああああ」、あっちを食べて「はああああ」。ひとつひとつに感嘆していたようだった。
「極寒の地で、卵料理は食べられないんだ。おいしい。おいしい。このコクと、独特な甘み。匂いだって味わい深い。なんて、おいしいんだ!!」
しばらく夢中になって食事をしていたトナカイは、大きなげっぷをひとつして、こちらに向きなおる。
「ありがとう。卵料理を食べさせてくれたお礼をさせてくれ。ぜひとも、させてほしい。わたしたちの長老に会ってほしいんだ」
ぼくは戸惑う。
「いやあ、そんな…。大したことじゃないですよ。料理ならいつでもつくりますし…」
「まあ、そう言いなさんな」
トナカイはにこにこして、ぼくの肩に前脚をかける。
ぼくは、トナカイに連れられて、ダイニングテーブルの奥にいつの間にかできた茂みに入っていった。
見たこともない雪原が広がっていた。ま白いひかりの中に足を踏みいれる。
そこは、ひときわ長いあごひげを生やしたトナカイと、大勢の若いトナカイたちがいる広場だった。長老であろうあごひげのトナカイは前脚に上質そうな紙をのせ、玉座に座っていた。
「さあ、こちらへ」
トナカイに促され、ぼくは長老の前に立つ。
「ふさふさのくま公。ここに、感謝の意を表する。極寒の地に住む卵の味を知らないトナカイに、その味を教えてくれた。さあ、この感謝状を受けとってくれたまえ」
ぼくは、受けとる。感謝状は雪に負けないくらい白くて、卵の殻みたいな触り心地だった。
ぼくはトナカイたちに誘われて、彼らの引く橇に乗る。橇は雪の上を滑らかに走りだし、そのまま夜空へと飛びだしていく。
ま白いひかりは夜空にもあった。
それは雪ではないようだった。でも次々と降ってくる。ぼくは腕をのばして、手のひらでそれを受けとめる。
まあるいダイヤモンドだった。
シャンシャンと音をたてて、橇の横を次々と通過していく。
ぼくは、すこし眠たくなってきた。
目を細めると、星々はソーダ水の気泡のように見えた。
ほんとうに、甘ったるい匂いがしてきて、ぼくはふり返る。
驚いた。天の川が鏡のような、ネオンピンクに艶めいていた。
何かシルバーの照り返しがある。見上げてみると月だった。先端をナイフのようにかざして、ぼくたちを見ていた。
月と天の川はときめきあっているんだ。
水の流れる音がする。滝のようなものが近づいてくる。
最初は水が流れているんだと思った。でも近づいてきて分かった。水に見えたのは、ひとつひとつがダイヤモンドで、流れ落ちるとその粒は煌めいて散らばっていった。
そのままダイヤモンドたちは砕けて、星々の色をまとって反射した。ネオンイエロウ、ピンク、ブルー、ライムグリーン…。夜空全体が巨大なプリズムのようだった。
徐々に空が白みはじめる。
もう朝が近いのかもしれない。ぼくはもう一度ふり返る。月はもうシルバーではなく、青くなって
いた。
淡いグレーの空に浮かんで、何か言いたげにこっちを見ていた。
あれ、あそこにカラザ星雲が見える。
真ん中にぼうっとした、丸いオレンジ色のひかりがある。その外側に薄い靄のような白い輪っかが見える。
ああ、卵だな。
そう思った時には、ぼくはもうダイニングに戻っていた。
テーブルの上に食べかけの卵料理たちがある。トナカイの置き物も元の位置に、ぽてんと置いてある。
懐中時計を見やる。7時半だった。はあ、ぼくは夜通し遊んでいたんだな。
窓の外で、朝の日差しをうけた天の川の水面は、細かいラメみたいにひかっていた。
楽しかったんだな。今はもう落ちついて、すました顔している。
波のテンポに合わせてゆっくりまばたきしてからぼくは、カーテンをそっと閉じた。
