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9月、次の世界が近づいてくる

9月になると、空気が変わる。

まだ何も起きていないのに、
何かが終わろうとしていて、

同時に、

まだ名前のない次の世界が
こちらへ近づいてくる。

私にとって9月は、昔からそんな月だった。

振り返ってみると、
人生の大きな切り替わりは、
不思議なくらいこの季節に重なっている。

24年前の秋。

私は日本を離れ、
10月にカリフォルニアへ降り立った。

これから24年もここで暮らすことになるなんて、もちろん知らなかった。

ただ、それまでいた世界を離れ、
新しい土地へ向かっていた。

「会社員」という生き方を終えたのも、9月だった。

長く自分を置いていた場所から外れ、
決まった所属を持たない世界へ出た。

そのときも、その先に何があるのか
はっきり見えていたわけではない。

ただ、

ここまでなのだ、
ということだけはわかっていた。
5年前の秋には、森の中の家を見つけた。

大きな木々に囲まれた家。

そこに暮らし始めてから、
植物や動物、風や光と過ごす時間が増えた。

あの森は、私にとって
ただ住むための場所ではなかったのだと思う。

外の世界から少し離れて、

自分の奥に眠っていたものを
静かに思い出していく場所だった。

そして去年の9月。

スーツケース暮らしが始まった。

滞在先の近くの丘からサンフランシスコを眺める

まだ自分の家はあった。

家を出て、
しばらく別の場所で暮らし、
また戻り、

そしてまた出ていく。

滞在先のわんちゃん

その頃は、それがこれからの暮らしの形になるとは思っていなかった。

けれど今振り返ると、
あれは予告だったようにも見える。

身体のほうが先に、
次の暮らしを始めていた。

そして今年
家を手放した。

もうすぐ、
24年間暮らしたカリフォルニアとも離れる。

こうして並べてみると、
私にとって9月は
何かを始める月というより、

ひとつの器から出る月
なのかもしれない。

会社という器。

家という器。

土地という器。

ひとつずつ外していくたびに、
不思議なことに世界は狭くならなかった。

むしろ広くなっていった。

所属を失っていったのではなく、
所属できる世界のほうが大きくなっていった。

でも、これは私だけの感覚なのだろうか。

昔から人間は、秋をひとつの境界として見てきた。

春に芽吹き、
夏に広がったものを、

秋に収穫し、
選び、
必要なものだけを残していく。

そして今年の9月、私は葡萄の実る土地にいる。

春から夏の光を受けて育った実を、
秋に収穫するワインカントリー。

熟した実は、枝に残り続けるのではなく、
離れたところから次の姿へ変わっていく。

24年間の最後にこの土地にいることも、
どこか象徴的に思える。

葡萄の実る季節

東洋の五行では、秋は「金」。

外へ広げる季節から、
余分なものを削ぎ落とし、
内側へ収めていく季節へ変わる。

西洋の星の暦でも、
秋分はひとつの大きな境界になる。

春分から外へ向かって広がってきた光が、
ここで昼と夜の均衡点を通り、

世界は少しずつ
内側へ向かう季節に入っていく。

暦も、星も、植物も、
違う言葉を使いながら
同じことを伝えているように見える。

広がったものを、一度収める。

そして、

次の循環へ何を持っていくのかを選ぶ。

だから人間も、
新しい年が来るずっと前から
次の一年を感じ始めているのかもしれない。

まだ形にはなっていない。

まだ説明もできない。

けれど、
なぜか手放したくなる。

なぜか違う場所が気になる。

今まで心地よかったものが
急に合わなくなる。

偶然、新しい場所や人に出会う。

そういう小さな変化の中に、

次の世界の座標は、先に置かれている。

大きな変化は、ある日突然起こるように見える。

でも本当は、

現実になるよりずっと前に
空気のほうが先に変わっている。

去年の9月、
私はスーツケースを持って家を出たり戻ったりしていた。

一年後、
その「戻る家」そのものを手放している。

去年は旅のように見えていたものが、
今年は暮らしになった。

そして今年の秋、

私はカリフォルニアを離れ、
日本に降り立つ。

24年前の秋、
私は日本を離れ、
カリフォルニアへ降り立った。

そして24年後の秋、
今度は反対方向へ向かう。

一周したようにも見える。

けれど、

元の場所へ戻るわけではない。

24年前に日本を出た私と、
今、日本へ降り立つ私は、
もう同じ人ではない。

あの頃は、
新しい土地の中に
自分の居場所を探していた。

今は、
ひとつの場所を
「私の場所」と決めなくてもいいと思っている。

家を手放し、
土地を渡り、
動物たちと暮らし、

必要な場所にしばらく滞在して、
また次の場所へ。

地球のあちこちに
小さな居場所が現れては消えていく。

だから今回の日本は、
「帰る」というより、
再び降り立つ
という感覚に近い。

そして、その頃には秋分が来る。

昼と夜が並び、

光と闇のバランスが
静かに反転していく境界。

その先に何があるのかは、
まだわからない。

でも、9月はいつも
答えを見せる月ではなかった。

ただ、

次の世界が近づいていることを
知らせる月だった。

24年前の秋、
私はカリフォルニアに降り立った。

24年後の秋、
私は日本に降り立つ。

帰るのではない。

いくつもの器を脱ぎながら
一周してきた私が、

もう一度、
新しい地球へ降り立つ。


最近になって、もうひとつ気づいたことがある。

私の人生は、不思議と7、8年ほどで
大きく景色を変えてきた。

そしてカリフォルニアで過ごした24年は、
8年を三つ重ねた時間でもある。

それが何を意味していたのかは、
まだわからない。

去年の9月に始まったスーツケース暮らしは、
一年後、私の日常になった。

だとしたら、
この9月に何気なく現れるものの中にも、
来年の私がもう暮らしている世界が
混ざっているのかもしれない。

次の予告は、もう始まっているのだろうか。

まだ、私にはわからない。

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