起きられない子どもと、待てなかった親
前の晩、「明日起きてから宿題をやる」と言っていた子どもが、翌朝、布団からなかなか出てこなかった。
「何から手をつければいいかわからない」
「一日の流れを整理しないと進めない」
やる気がない、という感じではなかった。むしろ、やろうとしているからこそ、頭の中が渋滞しているように見えた。
私は少し迷いながら、とりあえず先に遅刻の連絡を入れた。
もしそのまま休むのならまた連絡すればいい、と思ったのだ。
息子には「そろそろ起きておいで」と声をかけて、家事を済ませ、自宅の一階奥にある仕事部屋へ移動した。
仕事をしている間は、息子がまだベッドにいることはすっかり頭から抜けていた。
昼過ぎの部屋で
昼過ぎ、飲み物を取りに部屋へ戻ると、子どもはまだ家にいた。
とっくに出かけていると思っていたから、とっさに、
「え、まだいたの!?」
「行かないなら、お父さんに頼んで学校に連絡してもらわなきゃだめじゃない!」
と、思ったことをそのまま口に出してしまった。
すると子どもは、何も言わずに机に突っ伏してしまった。
そしてそのまま動かなくなった。
責めたつもりはなかった。
ただいつも言ってる、
「連絡だけはちゃんとする」
というルールを守ってもらいたかっただけだった。
でもたぶん、あの一言は、止まりかけていた息子の気持ちをさらに凍らせたのだと思う。
あとから見えてきたこと
これはあとから考えて整理できたことなのだが。
息子は怠けていたわけじゃない。
学校でやらないといけない役割がある。
でも今は起き上がりたくない。
かといって、休む選択肢も選びきれない。
その間で、立ち尽くしていただけだったのだ。
動けない時間がいちばん苦しい。
そこへ「正しいこと」が重なると、ますます身動きが取れなくなる。
待てなかったのは、わたしだった
そして、もうひとつ。
私がしんどかったのは、子どもが動けないことそのものより、「どうするのか決まらない時間を待つこと」だった。
どうするか決めてほしい。
学校に連絡してほしい。
片づけて、次に進みたい。
不確かなまま止まっている状態に、私は思った以上に耐えられなかった。
子どもは決断の前で止まり、私は決断が出るまでが待てない。
たぶん、ズレていたのはそこだった。
もし、あの朝に戻れるなら
あの場面で必要だったのは、段取りの確認じゃなかったのだと気づいた。
「まだ迷っているんだね」
それだけの言葉でよかったのかもしれない。
正しいことを言うのは、誰でもできる。
でも、相手の気持ちを汲んで、それをどう伝えるのかをその瞬間で判断するのは、案外むずかしい。
止まっている心より先に正しさを置いてしまうと、人は余計に動けなくなる。
家庭のすれ違いは、大きな価値観の違いというよりも、こういう小さな
「順番のズレ」
から生まれているのかもしれない。
あの朝のことを思い出すたびに、私は「まず深呼吸をひとつ」と思うようになった。
とは言っても、そうそうすぐにできるようになるものでもないのだけれど。
